「いだてん」周回遅れその3

 まずは手元の絵はがきを一枚。明治期の浅草で、左端から中央にかけて写っているのが活動写真の千代田館。その隣、奥が電気館。右は三友館だろうか。ということは、これは浅草六区を、ひょうたん池の南端から南に向かって見たところ。カメラマンの背中側、池の北端には浅草十二階がでんとそびえているはずだ。

 左手前でピンボケになっている少年が、三友館を見上げる一瞬の表情が、この街に来たことの高揚を示しているようで見飽きない。同じ方向を向いているヒトが何人かいるのだが、あるいは掲げられた看板が見事だったのか、それとも何か見世物があったのか。

東京浅草公園(明治末期の浅草六区を南に向かったところ)

 さて、やはり注目すべきは千代田館にでかでかと掲げられた「不如帰全十一場」の幟と絵看板だろう。これはまさに『いだてん』第三回で、四三と美川が入った演目そのものではないか。

 この絵はがきは明治のいつ頃ものなのだろう。日本映画データベースによれば明治期に『不如帰』は1910年と1911年と二回映画化されている。さてどちらか。その奥の『苦学生』の幟に注目してみよう。こちらは1911年11月15日に電気館(!)で封切りとなっている。ということは、これは1911年(明治44年)の浅草、秋から冬というところではないか。服装もそれらしい。
 もう一押しして、明治44年秋以降の都新聞の広告をしらみつぶしにあたれば、千代田館、電気館その他の上映館でいつ何がかかっていたかが明らかになり、時期がはっきりするはずだ。この作業、都新聞のある図書館でいつかやろうと思いつつ、さぼっております。すみません。

 不如帰のかかっているのが仮に千代田館だとすると、専属の人気弁士がいたはずで、こちらも当時の新聞をくまなく繰っていけば誰かわかるかもしれない。というか、ドラマの中で見事な活弁をふるっておられた坂本頼光さんがすでにご存じかもしれない。

 絵はがきの画像を見るときは、モニタいっぱいに引き延ばして見ることにしている*。片目をつぶって見ていると、だんだん写真の中に入っていけそうな感覚が立ち上がってくる。そうすればしめたもので、あの左端の少年の横を抜けて、雑踏の中にまぎれることだって、できてしまうのだ。活動写真を見終わった四三と美川がひょいとまぎれていったように。

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