トットの抜け道 第4回(「トットてれび」のこと:再掲 2016.6.19)

 独り言を他人がきくことはできない。

 いや、もちろん、一人だと思ってつぶやいたことがうっかり傍できかれてしまうことは、ある。傍に人がいようがいまいが、独り言が出てしまうこともある。しかし少なくとも、黒柳徹子の独り言を、わたしはきいたことがない。いや、もちろん、黒柳徹子はお芝居の中で独り言を言うこともあるし、彼女が矢継ぎ早に放つことばの中には、誰に宛てているのかわからないものもあるのだけれど、それらはあくまで、観客やカメラの前で意識されて放たれるものだ。「ンヒッ」のように。

 霞町のマンションに住む向田邦子と「毎日会っていた」頃、トットちゃんは、ふと独り言を漏らす。テレビの前で放たれる黒柳徹子の声を、満島ひかりは実にあざやかになぞってきたが、実はその黒柳徹子が独り言をどのようにつぶやくのか、わたしたちも彼女も知らない。

 「○○×○××△□☆□□○×○」

 満島ひかりが何ごとか小声でつぶやく。それはあまりにすばやくふいに鼻から抜けるようにつぶやかれるので、ふいに目の前をけものが横切ったようで、最初は何を言ったのかわからない。

 新橋のけばけばしいネオンの中で、電器店のテレビの中で、また満島ひかりが言う。今度は二回目だから、はっきりききとれる。

 「あたらしらしいってどういうことかしら」

 トットちゃんが、「あたしらしさ」について迷うことなんて、あるんだろうか。でも、その小さくすばやいことばは、小さくすばやいのにあまりに粒立ちがはっきりしていて、トットちゃんが言ったとしか思えない。
 満島ひかりはもはや、彼女もわたしたちも知らない黒柳徹子を演じており、しかもそれは黒柳徹子としか思えないのだ。


 第四回は、手から頭への回。

 『繭子ひとり』に登場する青森からやってきた家政婦、田口ケイのキャラクターを作るべく、子供の声がトットちゃんの考えを加速する。トットちゃんは牛乳瓶の底のような(この形容句はいつまで通じるだろう?)眼鏡をかけ、ぼろ布のような服をまとい、手にはあかぎれを覆う絆創膏を貼って、息子の洋平役の共演者の横に座る。そこに伊集院ディレクターが来て、通り過ぎようとしてから、振り返ってゆっくりトットちゃんの前に来る。ここで濱田岳は、首から上だけのいわゆる二度見のようなあからさまな所作をせずに、踵を返す前の速さと返した後の遅さの対比によって、一瞬のうちに「またコイツか」と即断するディレクターらしさを表している。彼はわずか数歩の間にクールダウンして挨拶へと転じる。

 「おはようございます…これでいきますか?」

 そして洗面所にトットちゃんを連れて行くと、一気に沸点をあげる。

 「絶対これやりすぎでしょ!…あのさあ、これ朝だよ、朝から誰もこんな汚い格好みたくないんだってば」

 そこから昭和二十年、疎開先青森の回想場面での見知らぬおばさん(木野花)の青森弁は、しみいるような調子なのだが、ここでもっともこちらの心を揺さぶるのは、その手に貼られた絆創膏だ。冬の駅舎で、おばさんの手が幼いトットちゃんのかじかんだ手をとって丁寧にこするのを見るとき、見ているわたしは、絆創膏の凹凸によってもたらされるであろうがさついた感触、そしてそのがさつきの摩擦とともに立ち上がってくる温かさを感じている。この、きわめて触覚的なショットのあとに、さらにおばさんは、トットちゃんの手に、まるで人工呼吸で蘇生させるかのように温かい息を吹きかける。

 そして、トットちゃんと伊集院ディレクターは、合わせ鏡の洗面室にいる。鏡に向かって、トットちゃんは「牛乳瓶の底のような」眼鏡をかける。その確信に満ちた表情は、第二回「実家に帰ってます、のひとことで片付けられちゃうって、なんなんだろう?」と消えたテレビに映った自分に見入っていたトットちゃんとはまるで違っている。

 トットちゃんは、ちょうど昭和二十年に見知らぬおばさんが自分にやってくれたように、伊集院ディレクターの手を、絆創膏だらけの手で握り、 「たのむすけ、このかっこうでやらせてくれねか」と疎開先で覚えた青森弁で言う。この様子をカメラは、あえて鏡ごしの角度から捉えている。そのことでわたしたちは、洗面所の外にいる息子役の男の子が、二人のやりとりをわたしたちと同じように盗み見ていることを、絆創膏だらけの手を見ることで、その手がもたらすであろうがさがさとした手触りとぬくもりを感じているであろうことを、知る。

 トットちゃんをデビューの頃から知る伊集院ディレクターは、いつも仕事に忙殺されており、なにごとも現場の打算で即断する。もつれたコードはほどくしかないし、奇矯な演技は遠ざけるしかない。この場面でも、彼は現場の都合をそろばん勘定するように困惑した表情を浮かべているのだが、その隙間に、ちょっとだけ人情の隙に囚われているような瞬間があって、そういう微妙な表情を、濱田岳は実に印象的に演じている。


 この回では何度か「グッドバイ」ということばが放たれる。トットちゃんが新しい世界に飛び込むときは、いつもちょっとかなしくて、お別れのかなしさを感じるくらいお互いが近くにいて、そのかなしさをさっと振り払って溌剌と「グッドバイ」をする。

 トットちゃんは、ニューヨークで田口ケイを演じきったあと、ヤン坊ニン坊トン坊の「さあさあ出発だ、さあさあお別れだ」を口ずさみながら、ゆっくりと絆創膏を剥がす。この「出発の歌」が、『トットてれび』ではなんとせつなく、愛らしく響くのだろう。見る者の手を温めた絆創膏は、いまやかさぶたのように剥がされて、新しい皮膚のような髪型が現れる。

 そしてラスト近く、三浦大知演じるチャップリンが「オニオン・ヘアー」と彼女にささやいたとき、わたしはそれがまるで「あたしらしいってどういうことかしら?」に対する答えをチャップリンがささやいたんじゃないかしらと思ってしまった。ああ、そこからニューヨーク・ニューヨークのセットを抜け出して、スタッフロールが流れる中、満島ひかりが「徹子の部屋」まで移動していくまでのワンショットのなんてすばやくてすてきなこと!