トットの抜け道 第5回(「トットてれび」のこと:再掲 2016.6.4)

これは、『トットてれび』第五回を見てから読むといいですよ。


 『トットひとり』に向田邦子の妹和子さんと黒柳徹子との対談が収められている。そこで、黒柳徹子は向田邦子に教わったという「禍福はあざなえる縄の如し」のことを、こんな風に語っている。

 でも私、今でも思い出して笑っちゃうんだけど、最初にその言葉を教えてもらった時に、「でも、幸せの縄二本で編んである人生はないの?」って訊いたのよ。そしたら向田さん、言下に「ないの」(笑)。

 対談だから、もしかしたら「言下に」というところは、実際には身振りを交えた、少しくだけた言い回しだったのかもしれない。ともあれ、このやりとりは、『トットひとり』の中でとても印象的で、『トットてれび』でもやはりこのことばは取り上げられていた。

 スタジオの調整室で差し迫った台本書きに勤しんでいる向田邦子に、セリフにあったその諺の意味をたずねにいく場面で、満島ひかり演じるトットちゃ んは、「あの、幸福の縄だけで撚ってあるってことはないんですか?」とたずねる。すると、原稿用紙にむかっていた向田邦子、まるで向田邦子の写真から抜け てきたようなミムラは、ちょっと笑ってから微かに首を横に一度振ってさりげなく言う。「ないの」。そしてすぐ、原稿に向かう。

 その、執筆の時間にちょっと差し込まれたしぐさ、歌の合間にほんの少し差し挟まれる会話のような、首のわずかな動きとすばやさを見て、もうわたしは「言下に」とは何か、わかってしまった。

 シャム猫はひとなつこいというけれど、寝転んでいる背中に飛び乗って平然としていることができるのは、限られた人の背中だろう。満島ひかり演じる トットちゃんの背中には猫の伽里伽がまるで柔らかい家具にでものっかるように乗る。同じ部屋でディレクターたちがトットちゃんの留守番電話で談笑していた ときには、まるで落ち着きがなかったのに。それで、この部屋で向田邦子とトットちゃんが、気配を消すくらいそれぞれの仕事に没頭していた、その時間の長さ がわかる。

 猫は、誰もいない部屋なら留守番電話の上にだって乗るけれど、トットちゃんの声が電話から聞こえただけで落ち着きなく駆け回る。その、向田邦子にあてた電話でトットちゃんは「黒いにちゃにちゃしたお菓子」を買ってくると言う。

 いつになくしみじみと落ちついた演出を見ながら、これは井上剛さんじゃないな、と思っていたら、百歳の黒柳徹子が現れて、こわいこわい『阿修羅の ごとく』のテーマが鳴り出した。百歳の黒柳徹子は、冒頭で無理矢理「んひ」と笑顔を作る以外は、この世の中なんてくそくらえだわとでもいうようにいつも憮 然とした表情なのだが、曲がまたその表情に似合って怖ろしい。昔わたしがテレビで見た『阿修羅のごとく』は、このトルコの軍楽隊の行進曲が鳴るだけで家族 の命運が逆落としに転がっていきそうな、この世に幸せだけなんてありえないかのような、食べたことのない味のする、こわいこわいドラマだった。その行進曲 が鳴り響く中、百歳の黒柳徹子がこどもたちに、「黒いにちゃにちゃしたお菓子」をまるでイモリの黒焼きのように刺した串を手渡してから、「ふん!」と鼻を 鳴らして串を嗅ぐ。

 見ているこちらにもにちゃにちゃした黒い味と匂いがつんときたとき、突然、トランペットスピーカーから歪んだサイレンのような音がして、それは 『寺内貫太郎一家』のテーマだ。そして商店街にその明るいテーマが鳴り響く中、向田邦子のお気に入りだった中華料理屋の席に向かって「あたしね、おもしろ いおばあさんになる!」と、トットちゃんが決然と言い放つや、世界はいまどきありえない紫色のネオンに輝きだし、トットちゃんが踊り出す、そうか、『寺内 貫太郎一家』はダンスナンバーだ! そして、百歳の黒柳徹子までも、立ち上がって踊り出す! もうその動きを見て、わたしはどうかしてしまいそうだった。 百歳の黒柳徹子とトットちゃんが、遠くのものを近くに見せるテレビの中で、踊りあっている。もし、いまの黒柳徹子が普通のメイクでカメオ出演しただけな ら、それはただ「おもしろいおばあさん」をこれこの通りと見せるお話になっただっただろう。でも、いまはそうじゃない。だぶだぶの衣装で踊る百歳のトット ちゃん、百歳とトットちゃん、未来と過去が踊っている。わたしの頭の中で現在が踊る。百歳とトットちゃんの間にある、「ないの」のような踊りを。