「希望という名の党」、にしたらどうか

もうこれで民進党もなくなったも同然だ。いま出来合いの政策、出来合いの政敵、出来合いの「希望」にすがって小池氏についた人たちはあとで煩悶することになるだろう。煩悶せずに済む人たちはそれだけの人たちだったということで。今回どのように振る舞うかは旧(ともう書いてしまうが)民進党のそれぞれの人の考え方を表すことになるだろう。

新潮11月号(10/7発売)に展評「風の一撃:札幌国際芸術祭から」

 芸術祭を語るやり方にはいろいろあるが、わたしの場合それは、よい旅だったかどうか、というのを語るのに似ている。芸術祭の名の下に普段行かないところへ行き、そこで作品に出会い、その作品によって生みだされた自分のことばに導かれてまた別の場所へ行き、作品に出会う。そうした連鎖の果てにある一連なりの考えが見いだせたなら、それはよい旅であり、よい芸術祭だったということになるし、特段何も得られなければ、くたびれもうけだったと恨み言の一つも言うかもしれない。誰もが同じルートですべての場所を巡るというわけにはいかないだろうから、芸術祭がおもしろかった、つまらなかったといった語りについて考えるには、その語り手がどこをどうたどったのかを知らなければならないだろう。

 さて、8月17日から18日にかけて、札幌国際芸術祭の展示のごく一部を1日半かけて観たのだが、これはよい旅であり、あとで思いつきをいろいろ書き付けることになる経験だった。それがどんな旅だったかは、新潮11月号に短い文章を書いてますのでそちらを。

 また、KBS京都「大友良英のJAMJAMラジオ」を半ばジャックする形で2回分くっちゃべっていますので、そちらもどうぞ。

吉増剛造『火の刺繍-「石狩シーツ」の先へ』展について

芸術の森美術館:クリスチャン・マークレー展について