ドナルド・フェイゲン、ウォルター・ベッカーを悼む

 以下、ローリング・ストーン誌(英語版)に掲載されたドナルド・フェイゲンによる追悼のことばの全訳。


 ウォルターは友達であり、曲作りのパートナーであり、バンド仲間でもあった。1967年にバード・カレッジで学生として会ってからずっとだ。ぼくらは狂った短い曲をアップライトピアノでいくつも作り始めた。ワード・メイナーというハドソン・リバー沿いにあったぼろぼろの古いマンションの小部屋にそのピアノがあって、当時はカレッジが寄宿舎として使っていたんだ。

 ぼくらは趣味がとても合った。ジャズは20年代から60年代半ばまで、W. C. フィールズにマルクス・ブラザーズ、SF、ナボコフ、カート・ヴォネガット、トーマス・バーガー、そしてロバート・アルトマンの映画も。それからソウルにシカゴ・ブルース。

 ウォルターはとてもひどい子供時代を送った。詳細は省くけれど。幸い、彼は切れ者で、優れたギタリストですばらしいソングライターだった。人間に対しても自分自身に対してもシニカルな一方で、ものすごい笑わせ上手だった。ひびの入った家庭に育った子供がたいていそうであるように、彼もまた人をおもしろおかしく真似たり、他人の隠された心理を読んだり、見たものをさらりと知的なものに変えてしまう才能を持っていた。よく彼が、送るつもりのない手紙をぼくの妻のリビーの言い方そっくりに書いて、三人で腹がよじれるくらい笑ったっけ。

 彼は中毒のせいで70年代末にはつぶれてしまって、しばらく連絡は途絶えてしまった。80年代にリビーとニューヨーク・ロック&ソウル・レヴューを作り始めたとき、また付き合うようになって、スティーリー・ダンのコンセプトをさらにすごいバンド・スタイルへと発展させていったんだ。

 ぼくはこれからも、二人で作り上げた音楽を、自分のできるかぎり、スティーリー・ダン・バンドとともに生かし続けていこうと思う。

ドナルド・フェイゲン

Rolling Stone誌 “Read Donald Fagen’s Moving Tribute to Steely Dan Partner Walter Becker”より