ぎっくり日記 2018.1.4

1/4 ギックリで自転車の乗り方を思い出す

 なんとなくできてしまうことについて書くのはむずかしい。身体がスムーズにできること、習い性となっていることに対して、思考はスルーする。問題ないことに対して思考はつっかからない。たとえば、自転車にうまく乗れているときに、ハンドルをどう握るか、サドルにどうまたがるかについて、いちいち考えたりはしない。ちなみに「自転車に乗る」というのは、心理学で言う「手続き記憶」の典型例で、教科書にはしばしば、「いったん覚えると意識的な処理をしなくともできる」「人に説明しにくい(言語化しにくい)」記憶として紹介されている。

 ところが、今日、試しに自転車に乗ろうとして、イテテテとなって気づいた。自転車にまたがる直前、両腕はハンドルに預けられる一方で、両足は自転車の片側にある。これが腰に負荷をかける。実にささいな、ふだんならほぼ無視してよい負荷なのだが、ギックリにはイテテテなのだ。下半身は身体を支えるため垂直に近くなっており、遠い方の腕(左から乗る場合は右腕)だけが無理に横に伸びている。これがよろしくない。この姿勢で乗らずに押してみる。やはりシクシク痛い。

 「自転車を押す」でGoogleの画像検索をかけると、押してる押してる、みんな押してるのだが、いざ自分がこのポーズに違和感を持ち始めると、何か異星人の写真集を見ているような気分になってくる。身体がまっすぐになっているのに、片腕だけにょきっと横に出し、奇妙な道具を押しているいきものたち。

 ところで、ギックリが自転車に乗って大丈夫なのかとご心配の方もおられるだろうが、わたしが暮らしているのは近江平野の平坦地、ほとんど坂もなくペダルにさほど力を入れる必要もないので、いったん乗ってしまえば思ったより腰に負担はかからない。ただ急にカーヴを切るとイテテテとなるので注意が必要だ。冷静に考えてみると、サドルに乗った腰は正面を向いているのに、両腕がぐいと左右にひねられるのだから、カーヴはギックリにとって大変激しい動作なのだった。

トップチューブ(上図の赤線)のある自転車では、脚を大きく開き後ろから逆サイドに回す。一方、トップチューブがない場合(下図)、前方から脚を曲げて乗ることができる。

 自転車にひらりとまたがるのも、ギックリにとって脅威だ。普段なら何も考えずに、片足をこちら側から向こう側へ、後ろから送り出しているのだが(と、いま書きながら一生懸命頭の中でなぞってようやくわかったのだが)、そんな大開脚大回転をしたら腰に多大なるショックが訪れるのは間違いない。

 幸いにも、わたしのふだん乗っているのは買い物用(ママチャリ)なので、サイクリング用のやつによくある、あのサドルから前方に水平に伸びる「トップチューブ」(という名称も、いま調べて知った)がない。おかげで、サドルに跨がる際に、片足をひょいと前から送り出すことができる。いつもならペダルに先に足をかけて乗るのだが、それでは不安定な状態で片脚で踏ん張ることになるので、地面に片脚をつけ、もう片方の足を向こう側に(前から)送り出し、そろそろとサドルに腰を送りつつ両足をすばやくペダルに乗せる…

 と、このようにギックリについて書くとき、わたしは普段ならまず挑まないであろう、「誰でもやってる自転車の乗り方」を言語で記述するということに結果的に挑んでいる。そしてその過程で、自分が意識せずにやっているサドルへの跨がり方を頭でなぞりなおし、簡単そうに見える自転車の各パーツに「トップチューブ」だの「ステム」だの「シートポスト」だのときちんと名称が与えられていることを知る。

 身体が何かをしようとしてうまくいかないときの方が、ふだん自明に(あたりまえに)スルーしていることの仕組みがよくわかる。これは何もわたしだけがひねくれてやっているのではなく、身体を論じる人の多くが感じていることだ。

 試みに熊野純彦『メルロ=ポンティ:哲学者は詩人でありうるか?』(NHK出版)を開いてみよう。

「正常に機能している身体の生において立ちはたらいているのは人称的な「私」ではなく、むしろそれに先だつもの、前人称的で非人称的な次元、しいていえば「ひと on」の水準なのである。
 だからこそ、身体とそのはたらきかたについては、否定的な事例、逸脱した実例のほうが、うらがわからそのありようをあきらかにする。」

 このように現象学の身体論ではしばしば「否定的な事例、逸脱した実例」によって身体のあり方に近づく方法が記されている。実際、ここで論じられているメルロ=ポンティもまた、『知覚の現象学』で、第一次大戦で手足を失った人たちが苦しんだ「幻肢」や、後頭部を損傷したシュレーダーの症例について多くのページを費やし論じている。

 …おっと話が大げさになってしまった。

 ふだんのように1時間くらい椅子に座ったままだと、立ち上がるときにしばらくイテテテのテとなる。座ること自体よりも、同じ姿勢をずっとしていることのダメージが問題のようだ。座りっぱなしにならないように、着席したらタイマーをセットすることにした。いわば、すぐ先の痛みだけでなく、30分後、一時間後の痛みを予測するようになった、ということだ。新しい痛みの時間スケールを一つ手に入れた。