ぎっくり日記 2017.12.31

12/31 ギックリがうつぶせになるときなぜイタイのか?

 何度も寝返りで目覚めてしまう。寝返りが腰にくるとは思わなかった。自分で寝返りをスローモーションでやってみる。なるほど。どうやら我が右腰は、上半身と下半身の間に急な捻りがあるとイテテテとなるらしい。

 ではなぜ寝返りごときで上下半身の間に急な捻りが生まれるのか。それは掛け布団と体の間にある摩擦のせいらしい。体が寝返ると、摩擦で掛け布団が体にくっついてくる。すると、掛け布団は寝返った方にずれる。それがいやなので、わたしは掛け布団がついてこれないほどのスピードで上半身を回転させていたのだ。すると当然、下半身がついてこれなくて捻りが生じる。そこで、片腕を尻にあて、腰に捻りが加わっていないか確かめつつ、もう片腕で掛け布団の端を引き、体の回転によってずれないようにしながらそろそろと寝返ることにした。これを意識的にやるとあまり痛くない。ただし、眠ってるときにわざわざこんな寝返りは打たないので、つい捻りが入ってしまい、また起きてしまう。

ギックリがうつぶせになるときの、イタイやり方、イタクナイやり方。

 もう一つ不思議だったのは、横向けからうつぶせになろうとするときに痛いことだ。そろそろと体を回転させているのに、最後の最後でぴりっと痛い。これもスローモーションでやってみると原因がわかった。横向きからうつぶせになるときには、下側の腕がじゃまになる。横向けからうつぶせになる最後の瞬間に、わたしはこの腕を抜こうとして上半身だけをひねっていたのだ(図)。冷静に考えてみれば、別に腕に怪我をしているのではないのだから、下側の腕には束の間下敷きになってもらい、むしろ上半身と下半身の回転を連動させることに意識を向ければよい。そこで、上側になった腕を尻に当て、上半身と下半身の間で捻れがないことを確認しながらそろそろと体軸を回転させる。このとき、下の腕は下敷きになるがかまわない。顔が完全にうつぶせになったら、尻にあてていた腕を前に出してちょっとつっぱりながら、下敷きになった腕を静かに抜く。これで、ほぼ無痛でうつむくことができる。

 それにしても、上下半身のほんのちょっとの捻りがこれだけ明確な痛みを生むとはきづかなかった。腰痛を抱える高齢者の介護でもこの点は注意するといいのかもしれない。

 夕方、熊谷晋一郎さんと少しツイートしたら、痛みの時間スケールをズームイン/アウトする話になり、なんだか楽しくなってきた。

「動作の踊り場」という句を思いつく。動作が翻る場所で、これまでの痛みに対する感覚、予測誤差の履歴が検討され、次の動作のもたらす結果に対する予測が更新される(つまり、痛みが更新される)。そしてこうした踊り場は、介助の場面では相互行為的に発生するはずだ。お互いの発声と動作のタイミングのずれから、相互行為的な痛みが発生し、それは動作の踊り場において更新される、という具合に。

ぎっくり日記 2017.12.30

12/30 ぎっくりが来た

 朝、原稿執筆。午後から書棚の整理。自室から学校へと運び込むべくホームセンターで段ボールを買ってくる。ここで一つ失敗をした。これまでは10Lの段ボールを買っていたのだが、今回なぜか間違えて一回り大きい12Lを買ってしまった。このサイズは判型違いの書物も楽々入るので便利なのだが、つい詰めすぎてしまうのが難点だ。案の定、一箱運ぶごとに明らかに腰にきているのがわかる。結局、7箱分を詰めて運んだ。学校では台車を使って二回に分けたので、直に運ぶよりはマシだったが、上げ下ろしでそれなりに体力を使った。

 帰ってきて、ようやく空いた本棚に目指す本を入れようと屈んだとき、びりびりっときた。立とうとするが這いつくばってしまう。よく腰が抜けるというが、抜けるというよりは、立ち上がろうとするたびに四方八方で痛みが群発して、どうしていいかわけが解らなくなってしまうという感じ。

 ああ、これが「ぎっくり腰」というやつなのか。

「ぎっくり腰」という症状名が思い浮かぶと、なぜか這いつくばっている自分に理由がついた気がして、わあだめだー、と声に出して床をそのまま這ってひとまず敷きっぱなしの蒲団にたどりつく。しかし、寝転ぼうとするとすでに痛い。ひどいことになった。

 寝転んでしばらくすると、やはり痛いのだが、それは手なずけることのできる痛みであるように思われてきた。そしてその鈍痛がベースラインになって、どっちの方向に動かすとより痛いか、ということに気が向くようになった。どうやら右の臀部のあたりのようだ。這ってスマホをとってきて検索。「ぎっくり腰」で引くと、いろいろ出てくる。とりあえず年末だし、医者にかかってすぐによくなるものでもなさそうだ。いろいろやり残したことがあるし書かねばならぬものもあるが、寝る。