広島のブラジル(父のノートから)

 お父さんがたまに広島へ行く事があった。そんな時は大抵二つ三つ用事をまとめていた。それでも”連れてってやる”と云われるのは嬉しくって、とにかくほいほいついて行った。例えば福屋の横を通って銀行の様な所(後で考えると株屋だったかも)に寄り、本通の下駄屋へ行って十日市のポンプ屋へ修理の事で辿りつく頃はもう歩くのはいや、と思った。

 本通りから十日市の方へ抜ける道は電車道を渡る頃から、次第に人気が少くなり、道巾も細くなって、広島の路地裏と云った雰囲気もあった。

 その辺にブラジルと云う食堂があって「用事が済んだらあこの食堂に入ろう」と云われると重い足が一番喜んだ。長い用事の後、待望のブラジルに入るとぷーんとコーヒーの香りがして、カーテンの様なつい立で仕切られた席につくと、西洋と云うのはこんな所ではないかと見廻した。後で考えるとお父さんの「陳列館…」と云う言葉が耳に残っているから、原爆ドームのすぐそばだったに違いない。

細馬芳博(昭和4年生)のノートから
小学校にあがる前:昭和9-10年ごろ?