𠮷浦(注:呉市𠮷浦)の漁師さん達は特に蟹をとるのが上手だったのだそうな。これは後でお父さんから聞いたことで。
子供の頃は手拭を頭に巻いたおばさんが、手押車の中に活きの良い魚や蟹を入れて売りに来てたのを家から出て行って見た。「サカナー、イリマヘンカ、カニャー、イリマヘンカ」と遠くから呼び声が聞えて、ゴロゴロゴロと鉄の車輪をつけた木の手押車の音が響いて来た。
お祖母さんは佛さんの精進の日に肉魚は食べなかったから、車を呼び止める日は限られていた。車は上が半分蓋が開く様になっていて、中から魚を掴み出したら「今日は蟹も生きちょりますが、メバルも活きがエエンですで」と板の上ではねさせた。そう云えば、私は苦手だったが、メバルの様な白身の魚の煮付けが多かった様に思う。然し、何たって蟹が一番、甲羅が菱形をしてて長径が20cm位、脚は短いが、胸厚が厚く、おばさんが甲羅をはさんで持つと、バタバタと脚を動かし眼の近くから泡をふいた。沸した鍋湯に抛り込まれた蟹は三日市等への土産となった。
細馬芳博(昭和4年生)のノートから
昭和8年〜昭和14年?ごろの思い出。
図キャプションは本人の解説。