八つ折りの歌(父のノートから)

昭和18年4月-20年

 先の頁にも記した様に学生も次第に業を離れ工場に軍隊に戦場に駆り出されて行った。殆んどの者が「報国」との信念で出て行った。私達は第十一航空廠の兵器部で航空機搭載艦の設備を作る工場に通った。確か朝七時始りで六時過ぎに家を出、約二km余の峠道を歩くと、徴用工員の隊列に会った。16〜50才位迄、兵役検査に受からなかった人達が、中には家族と離れて、所謂る徴用されて来ていた。
 その人達も一応隊列を組んで工場迄行進なのだが、履き物が「八つ折り」であった。靴が不足し、草履の裏に分割された木が付けられ、一応足の動きに沿って曲った。行進の足音はザックザックでなくガチャガチャ、ガチャガチャと不揃いな哀愁の響であった。

 細馬芳博(昭和4年生)のノートから