阿部青鞋の句/「ひとるたま」から(6)

悲しみは我にもありとむかでくる

阿部青鞋『ひとるたま』より。

 「我に『も』」と言う以上は、事前に悲しみにひたる人がいたり、悲しみに関する思考なり語らいがあったはずなのだ。その感情や思考や語らいの最中に、まるでお呼びでないはずのむかでが、「我にもあり」とやってくる。たくさんの足をぞろぞろ動かしながら。おそらく足の数だけ、足の動きだけ悲しみがあるのだろう。いや、もしかしたらむかでにはむかでなりに、もう少し繊細な悲しみがあるのかもしれないが、そんなに足をいっせいに動かされては、もう足なのだと思うしかない。たくさんの悲しみを動かし、たくさんの悲しみで歩いてくる。しかしこの悲しみたちはなんとなめらかにすばやくのだろう。わたしの悲しみはもうどこかへ行ってしまった。