考えてみたら、その日に起こったことをあれこれ頭の検閲を通さずに書くやり方はたくさんあって、ブログっていうのもそういうものの一つだったんだよね。Twitterでみんな、140字とアイコンによってどんな立場の人も同じフォーマットで話すってことに気持ちよさを感じてて、わたしもそれは気持ちいいなって思ってて、ずっと(ずっとって10年だよ)使ってたんだけど、もういいやって昨日思っちゃった。思っちゃったけど、何もかも止めるってほど極端に思い切ってるわけでもなくて、単に一つの場所に依存してるといつか足もとすくわれるなって危機感でこうやって別の場所に書いてるのね。書いてると、ああ、140字じゃない場所にはこれくらいだらだらしゃべれる空間があるんだって、発見をしてるわけ。
こういうテキストをTwitterさよならとか言ってるわりにTwitterに告知することについてあれこれ言う人もいるだろうけど、それがどうしたっての。わたしはTwitterにアクセスするたびにあのプロモーションとかいろいろな広告を目にしていて、それはみかじめ料だと思ってる。みかじめ払ってんだから、気まぐれにアクセスしたって何のうしろめたいものがあるものか。気ままに使って、でもそこには入り浸らないよって言うことに、なんのうしろめたさがあるっていうの。
ああ、もうそんなこたどうでもいいや。
さてはてね。わたしはいま、人生で初めてきた羽犬塚というところで、たまたま泊まってる宿のむかいにある「集家」っていう飲み屋が、なんか夜目に店構えがおもしろいのでふらりと入ったら、ここがモルトをけっこう置いてあるし、焼き鳥を頼んだらもうたまらん美味しさで、え、なんでこんな焼き鳥おいしいんですかってたずねたら、実は福島の相馬にいたんですって言われて、わあ、浜通りにおられたんですね、って言ったら、このあたりで浜通りってことばをきいたのは初めてですって言われて、そんでいろいろ相馬のことや熊本のことを話したのでした。まあこういうことって、まだ袖振り合うも多生の縁くらいのことで、まだこの土地のことをわたしはちっともわかっちゃいないんだけど、でもわかるためのエントリーとしてはいいじゃないか。ビギナーズラックってことがあるのだ。ある場所のことを考えるいちばん最初のとっかかりにいい出会いがあるかどうかはとても重要だ。で、ラックから過去へと遡るのだ。ラックを引き当てた自分の嗅覚はまんざらでもないなって。そうやってわたしはわたしを肯定するのだ。ラックを引き当てるたびに少しずつ肯定していくのだ。足もとは危ういぞって思ってるけど。それは地震の国に生きてるからそういうもんだと思ってる。