バビロン・シスターズ (Steely Dan “Gaucho” 1980より)

飛ばせ西へサンセット通り
そして海へ
ちょっとそのジャングル・ミュージック小さくして
街を出るまでの辛抱だから
これは一夜限りじゃない本格的なやつ
目を閉じればほらもうそこにいる
足りないものはない
パーフェクトな一日の終わり
そこに来る遠い光、湾の向こうから

バビロン・シスターズ シェイク・イット
バビロン・シスターズ シェイク・イット
ああ美しい 若い
「ねえ、わたしだけだって言って」

ああ、あのサンタ・アナの乾いた砂風がまた…

ハリウッドの連中とジョギングする砂浜
チェリー・ブランデーを貝殻からすすり
サンフランシスコ風できめる、か
さてそろそろ気づいてもいいんじゃないか
これは束の間のオーガズム
ティファナの日曜みたいなもの
それに安いと言ってもただではなし
昔のおれならいざ知らず
わかってるだろう、恋は三人でするもんじゃない

バビロン・シスターズ シェイク・イット
バビロン・シスターズ シェイク・イット
ああ美しい 若い
 「ねえ、わたしだけだって言って」

友達はみなやめとけって言う
綿菓子みたいな女だが
おまえ、ありゃ火傷するぜ
何事も経験ってか
橋が焼け落ちてからじゃ
後戻りはきかないぜ

(試訳:細馬)


 スティーリー・ダン「ガウチョ」(1980)冒頭の一曲。初めてきいた頃は、ろくに歌詞も読まずにただそのタイトで妖しいサウンドに魅了されていたのだが、改めて逐一歌詞を追っていくと、これほどまでに墜ちるままに墜ちる男の歌だったのかとちょっと驚いてしまう。

 歌詞と合わせてきくと、2コーラス目から入るランディ・ブレッカーによる弱音器付きのフリューゲルは、1コーラス目のドライブの果てに広がる虚飾の世界であり、サンタモニカかヴェニスあたりの砂浜でのくつろぎを暗いユーモアで飾りたてている。もしかしたらそこにはティファナ(T.J.)ブラスのハープ・アルバートのイメージも混入しているかもしれない。

 「さてそろそろ気づいてもいいんじゃないか」と自分で気づきながらも、そして「友達はみなやめとけって言う」と周囲に言われながらも、語り手は危うい世界へあえて耽溺していく。ここにドラッグの影を見るのはたやすい。

(2015.1.8掲載の訳詩に追記)