comics and songs blog

ラジオ何処へ#13 “Don’t Take Your Time”

 
“Don’t Take Your Time” by Roger S. Nichols, Tony Asher
 
あいたいってわかったよ
あいたいきもちをつたえるメロディーも
わかったよ
 
ごまかさないでこっちみて
おしえてきっとさ
そうずっとまってる
 
もうかまわないよふいにであっても
きめたんだずっと集中して
きみにくびったけ
 
まちきれないんだ
そう駆け出したいんだよ
 
真夜中およいでさがしてる
ここにきみといれたら
いそげこころ
 
やがてすごすふたりのときめき
はずんでる止められないメッセージ
 
いまは声に出せなくっても
まちきれないんだ
もう駆け出したいんだよ

 

 
(試訳:細馬)

ラジオ何処へ#12:Estrada do sol

Estrada do sol (太陽への道) (A. C. Jobim)
 
おひさまがきて
あまつぶてらすよ
まだひかってる
まだおどってる
風にあわせてうたうたうよ
 
ほらきて
手をとって
外にでよう
なんだっけ
さっきの夢
泣きはらしていたこと
だって朝だよ
もう忘れた
手をとって
外はおひさまだよ
 
(試訳:細馬)
 
*手元に「タンゴ・サンバ・ラテン名曲集」という曲集があり、すばらしいことに新町洋子や谷川越二らがすべての曲に歌詞訳をつけている。この曲にも谷川越二の抒情あふるる訳がついているのだが、ここではあえて、原曲の語順をある程度活かした訳を新たにつけてみた。といってもわたしはポルトガル語が話せるわけではなく、辞書と首っ引きでどうにかした程度だから、内容はちょっとあやしい。

See more glass(ねずみくん、ごもっとも!)

左に笑ってる子 そして
右には泣いてる子
しらないふりしていたら
どっちも(どっちも!)走りだしてしまった
こりゃおどろいた
こりゃおどろいた
そりゃもっとも もっとも
じゃ出かけよう
見てごらん もっと見てごらん
もっともっともっともっともっともっと
 
左にはバケモノ そして
右にはおんなのこ
そのままうとうとしていたら
どっちも(どっちも!)手をつないでしまった
こりゃおどろいた
こりゃおどろいた
そりゃもっとも もっとも
じゃ踊ろう
見てごらんもっと見てごらん
もっともっともっともっともっともっと
 
左にネコがいて そして
右にもネコがいる
そのまましずかにしていたら
どっちも(どっちも!)ねむりこけてしまった
こりゃおどろいた
こりゃおどろいた
そりゃもっとも もっとも
じゃ夢見よう
見てごらんもっと見てごらん
もっともっともっともっともっともっと
 
(作詞・作曲:細馬宏通)

ムービーメモ・起動ツール「Shiori_numbers」

ムービーメモ・起動ツール「Shiori_numbers」(QuickTime Player, Numbers用)

ムービーメモ・起動ツール「Shiori」

ダウンロードはこちらから

【できること】

・Numbersにムービーの情報、ムービー名、ムービーの再生位置を書き込みます。
・Numbersに書き込まれたムービーを指定位置から再生します。

【基本的な使い方】

まず、Numbersで何か文書を立ち上げ、適当にセルを選びます。QuickTime Playerで何かムービーファイルを再生(停止)しながら、Shiori_Writer.appを実行して下さい。選んだセルから右三つにムービー・ファイルのパ ス、ファイル名、時刻の三つが書き込まれます。これらを以下「栞」と呼びます。この栞の先頭を選んでShiori_Reader.appを実行すると、今度は指定したムービーをその時刻から再生します。

【こんな人にお勧め】

・パソコンのあちこちにムービーファイルが散らばっていて、どこに何が入ってるのかさっぱりわからない。整理しようにも方法を思いつけない。

・カメラを何台も使って記録を撮ったものの、どのファイルのどの時刻が同じ場面なのかわからない。メモをとってもあとでいちいちムービーを探すのが面倒。

・細かい分析はおいといて、とりあえずムービーを次々と見て思いつきを記録したい。

・映像のメモをとったあと、メモ部分にあたるムービーファイルと該当箇所をさっと立ち上げたい。

・グループで撮影した自分たちのムービーをいくつか使って振り返り(リフレクション)を行い、そこで出た意見を集約したい。

【何をするツールか?】

QuickTime Playerで再生中の動画のファイル名、再生時刻をNumbersに「栞」として記録しメモをとるツールです。また、Numbers上の栞をクリックすると、動 画ファイルを記録された時刻から再生します。ファイル形式はQuickTime Playerで再生できるものなら何でもよく、mov、mpeg4、mp3、m4a、MTSなど動画でも音声でも栞を記録することができます。

【応用編】

たとえば、あるムービーを再生していて、気になったことをNumbers上にメモしたいときは、Shiori_Writerを実行し、書き込まれた栞のそばのセルに、思いつきをメモしておきます。メモはどこに書き込んでも構いません。あとで、メモに該当する箇所を見直したくなったら、栞の先頭を選んでShiori_Readerを実行します。

シンプルなツールなので使い方はアイディア次第。具体的な使用例としてNumbersのサンプルファイル sample.numbersを用意しました。メモの取り方やレイアウトのコツ、時刻表示の仕方など、いくつか工夫を埋め込んであるのでご覧下さい。

【使用環境】
Macintosh OS X (High Sierraで動作確認)
Numbers (2018年版で動作確認)
QuickTime Player (10.4で動作確認)

【開発言語】
AppleScript

【パッケージ内容】

Shiori_Reader.scpt

Shiori_Writer.scpt

Shiori_Read.app
Shiori_Writer.app
sample.numbers

shiori_manual.rtf(この文書)

シェイプ・オブ・ウォーター:声の記憶(3):ことばの栓

 

  ニューヨークとサンフランシスコとの大陸横断電話、といっても、それは狭いヴォードヴィル劇場の舞台の上でのこと、上手にはフラット・アイアン・ビルに電話機が直接取り付けてあってそれがニューヨーク、下手には崖っぷちに立つクリフ・ハウスの向こうに陽が沈まんとしておりそれがサンフランシスコ、二つの書き割りの間には電線らしきワイヤが渡してありこれがアメリカ大陸横断線という趣向。ジョン・ペイン演じるジョニーはニューヨークで、アリス・フェイ演じるトラディはサンフランシスコで受話器を握っている。二人は「ハロー・フリスコ」をコミカルに演じるのだが、そのあと照明は暗くなり、スポットライトのなかでアリス・フェイは一人、静かに歌い出す。
 
You’ll never know just how much I miss you…
 あなたにはわかりっこない、どんなにわたしがさびしいか。アリス・フェイは低い、クルーナー・ヴォイスで、Youで始まり、youで結ばれることばを歌う。
 彼女はいままさに握りしめている最新のテクノロジーによって、相手の耳にダイレクトに届く声を得たはずであり、相手から自分の耳にダイレクトに届く声を得たはずだった。しかし、いまや彼女の歌声を聞いているのは暗がりばかりで、相手のあいづちすら聞こえない。長く引き延ばされるyouは、スポットライトから暗がりへと染み入っていくようだ。
 アリス・フェイは、受話器を耳元に当てたまま、ゆっくりと歌いながら立ち上がり、クリフハウスの向こう、太平洋に沈む夕陽の書き割りにもたれかかり、歌い続ける。歌い手の思いは「You’ll never know(あなたにはわかりっこない)」ということばによって栓をされており、相手には届かない。それでも、栓をされたバスタブに水を惜しげもなく注ぎ込むように歌は思いを溢れさせる。「どんなにあがいても隠せやしない、あなたへの恋心」「もうあなたに何百万回言ったかしら」「願い事をするたびに唱えているあなたの名前」。
 彼女が背にした書き割りでは、太陽が日没の最後の光をたらたらと波間に漏らしており、相手に向けて語りかけるはずだった「恋心」もまた、相手もなく外へと溢れ出している。まるで受話器に「You’ll never know」という栓がはまってしまったかのように。

シェイプ・オブ・ウォーター:声の記憶(2)電話越しの「ハロー・フリスコ」

 「シェイプ・オブ・ウォーター」で引用される映画「Hello, Frisco, Hello」の舞台は、1910年代半ばのサンフランシスコ。若きヴォードヴィリアンのジョニー(ジョン・ペイン)は、トラディ(アリス・フェイ)、ダン(ジャック・オーキー)、バーニス(リン・バリ)の四人組で場末のヴォードヴィル劇場に出ている。やがてジョニーが三人とともに名声を得、転落し、再び復帰するまでが物語の大筋だ。

 「You’ll never know」が最初に歌われるのは、映画の前半で、劇場の舞台上にはニューヨークとサンフランシスコを模した簡単な書き割りが作られている。トラディはサンフランシスコ、ジョニーはニューヨーク。二人は離れた場所でお互い電話に向かっている。

 この劇中劇の中で「You’ll never  know」は歌われるのだが、重要なのは、この曲がタイトル曲「Hello, Frisco」と続けて歌われることだ。「Hello, Frisco」は、1915年を代表する古い小唄なので、ちょっと寄り道して、どんな歌なのか説明しておこう。


 1915年。この年、アメリカの大陸横断電話はようやく開通し、ニューヨークーサンフランシスコ間での通話が可能になった。ジークフェルド・フォーリーズは、この時事をさっそくレビューに取り入れて、「Hello, Frisco」という小唄にした。ニューヨークにいる男が、交換手を急かして、サンフランシスコにいるフリスコという女と語り合う内容だ。

 もともとの歌のオープニング・ヴァースでは、男はまずセントラルの交換手に呼びかける。

ハロー・セントラル、ハロー・セントラル
とにかくもう、頼むから早く、頼むから早く、お願いだよ
サンフランシスコにつないでほしいんだ、あの娘が一人で待ってるんだよ
フリスコって名前でゴールデンゲイトにいて
セントラル、ひどいよ彼女をこんなに待たせるなんて
お願いだよ長距離電話、わたしをつないでおくれ、彼女を電話に出しておくれ

 歌はここからコーラスになるのだが、最初は電話はうまくつながらない

ジーグフェルド・フォーリーズのシート・ミュージック。

ハロー・フリスコ、ハロー
ハロー・フリスコ、ハロー
待たせないでおくれ
まったくしゃくだな、どうか交換手を急かしておくれ
なんでこんなに遅いんだ
ハロー、さあきこえるかい?
わかってるだろう、愛してるんだ、きみ
きみの声は音楽のように耳に届く
目を閉じるとすぐ近くにいるよう
フリスコ、電話をかけたのはハローと言いたかったから

 2コーラス目でようやく電話はつながり、男性の一方通行の歌から、今度は女性と男性のデュエットになる。

ハロー、ニューヨーク、ハロー(やあきみ、ここにいてくれたらなあ!)
ハロー、ニューヨーク、ハロー(そっちの博覧会はどうだい?クマがいるってきいたけど)
ええあなた、きこえるわ、あなたがここにいてくれたらいいのに
ああ、交換手さん、電話を切ってくださる?(きこえるよ、きこえるよ)
ハロー、あなた、ハロー(きみ、指輪を買ったよ、何もかも用意してある)
わかってるでしょう、愛してるのは(もうすぐ一緒になるんだ、ハネムーンに行こう)
あなたの声は音楽のように耳に響く
目を閉じるとすぐ近くにいるよう
ニューヨーク、あなたに電話をかけたのはハローと言いたかったから

サンフランシスコ万国博覧会(1915 パナマーパシフィック博)の絵はがき

 1915年に起こったもう一つのできごとにサンフランシスコ万国博覧会がある。「パナマー太平洋万国博」と銘打たれてこの博覧会は、1906年のサンフランシスコ大地震の9年後に行われ、大都市の復興を印象づけるものだった。ポスターには地震で倒壊した建物の光景に、 州のアイコンであるクマのイメージが重ねられた。会場の中心では宝石塔がライトで照らし出され、巨大な噴水が設えられた。アメリカ初の蒸気機関車が展示され、日本庭園が整備された。ハワイのウクレレが紹介されたのもこの万博で、この後、アメリカではウクレレが大流行する。

 東海岸との電話線の開通もまた、この万博に合わせたものだった。「ハロー、フリスコ」で男性の語る「そっちの博覧会はどうだい?クマがいるってきいたけど」というセリフは、この万博のことを指している。


 相手につながっているともつながっていないともわからない長距離電話。ここにはいない相手に向けて、受話器に語りかける愛のことば。この「Hello, Frisco」に続けて、アリス・フェイは受話器を握ったまま「You’ll never know」を歌い出すのである。

シェイプ・オブ・ウォーター:声の記憶(1)

 シェイプ・オブ・ウォーターは、幾重にも入れ子になった、声の記憶の物語だ。

 朝鮮戦争から13年、映画の舞台はおそらくは1962年。政府の秘密機関で掃除婦として働くイライザは、映画館の上にあるアパートの一室に住んでいる。同じアパートの住人で売れないイラストレーター、ジャイルズの部屋には白黒のテレビがあり、古い映画が映っている。

 イライザが遊びに行くと、テレビでアリス・フェイが「You’ll never know」を歌っている。実はこの歌を主題歌とする「Hello, Frisco, Hello」(1943)は、1915年、まだ映画がサイレントだった頃、ヴォードヴィル光芒期を舞台にした映画である。つまり、2017年の映画の中で1962年のテレビが映し出しているのは1943年の映画、さらにその映画は1915年を描いているというわけだ。

 アリス・フェイは1930年代後半から第二次大戦中の1940年代前半にかけて20世紀FOX社のミュージカル映画の看板女優だった。ジャイルズがちらりと話しているように、彼女は人気絶頂だった1945年、自身の主演映画の編集のひどさを見て憤然とFOXのスタジオを出て、それからはいままでやりたくてもできなかった家庭での仕事に専念した。

 彼女のヒット作は、19世紀末のシカゴを描いた「In Old Chicago」(1938)や、20世紀初頭の歌い手たちの世界を描いた「アレクサンダー・ラグタイム・バンド」(1938)など、現代劇というよりは古き良きノスタルジックな作品が多い。「Hello, Frisco, Hello」もそうした映画の一つ。この映画でアリス・フェイは、古いヴォードヴィル・ソング「They Always Pick On Me」(ベティ・ブープが「ミニー・ザ・ムーチャ」で泣きながら歌う歌)や、ティン・パン・アレイ時代の佳曲「By The Light Of The Silvery Moon」を歌っており、いやが上にもノスタルジックな雰囲気を高めている。

 その中にあって「You’ll never know」は意外にも「Hello, Frisco, Hello」のための新曲だ。作曲は「ブロードウェイの子守歌」や「チャタヌガ・チューチュー」など幾多のスタンダードを生んだハリー・ウォーレン。新曲なのになぜか懐かしくきこえる理由は、冒頭の「You’ll never know just how much」のメロディにある。ソドミソ、ミドソ。ハリー・ウォーレンは、ビューグル(軍隊ラッパ)の音階をこの冒頭に埋め込んでいるのだ。第一次世界大戦前後には、アーヴィン・バーリンの「アレクサンダー・ラグタイム・バンド」や「Oh How I Hate To Get Up In the Morning」など、ビューグルの音階を巧みに取り入れた歌が流行ったが、この「You’ll never know」もそうしたスタイルを模しているのである。

 けれど、この曲がなぜ「シェイプ・オブ・ウォーター」で重要な役割を果たすかを考えるためには、ただの懐かしさだけを語るだけでは足りない。

(続く)

畠山直哉展『ナチュラル・ストーリーズ』(東京写真美術館、2011年12月4日)

畠山直哉展『ナチュラル・ストーリーズ』(東京写真美術館、12月4日)

 ここから歩み去ろうとする人がいる。写真家はカメラの前にとどまっている。その人とこことの間に、侵すことのできない領域が広がりつつある。ここは、写すことによって生まれつつある領域の縁(ふち)、人と人との縁(ふち)。その人は瓦礫を踏んで行く。陸前高田市で撮影された写真だという。

 畠山直哉の写す雲に、はっきりとした縁がある。それはそれは、ターナーの描くような、画面を覆う蒸気ではない。雲の発生する縁に力は偏在している。そこは今起ころうとしているCatastropheの成長点だ。Cataphileの眼は、広がりつつある不可侵の領域に魅入られている。地下の洞窟で、スレートが剥がれ落ちる。一つの層が、地層の拘束力から剥がれて、層の形をまとったスレートとなって崩れてゆく。わたしもまた、ひととき、この世に剥がれ落ちるように生まれ、二本の足で転がり、層の上を歩き回っている。この地面もまた、見えない活動の成長点として形成された。わたしは、その縁に危うく偏在している遍路。

 写真に写された水の領域を前に立ち止まる。そこにもまた縁/淵がある。窪地とは力が加えられた跡、そこに水が貯まっている。水は、人が意識せずにいた土地の凹凸を感知し、貯まり、眼に見える鏡となり、空を映しとる。空は人の及ばぬ場所、その空を地に映すことで水は人を払う。人払いされた水の領域の縁/淵が、写真に写し取られている。

 地面の活動によって山が生じる。生じた山の頂に、小さな人が写り込んでいる。それは、山を征服した人というよりは、そこに縁を見つけた人、力の危うい平衡点を発見した人に見える。写真は、それじたいがひとつの平衡点の産物だ。くっきりとした輪郭を写し出すために、一点に据えられ、露光のあいだの短いひとときの平衡を得たこと、それが写真の伝えていることだ。眼前で雲が成長し、力が広がりつつあり、しかもなお、写真は平衡点にとどまっている。そのような縁が写真の画面となって壁にかけられている。写真のこちら側に、人の居ることのできる場所が生じる。写真の前に人は立ち、立つことでそこは縁になる。

 写真に近づく。山腹の暗がりと思われた手前の領域に、ひっかいたような樹木の枝が微かに写し込まれているのがわかる。写真の層に埋め込まれたものたち。そこからかろうじて剥がれ落ちてくる階調の層を、わたしは見ている。てくてく歩きながらこの館を経巡っている。

 ひとけのない場所の前に人が立つ。そこに縁が生じる。雲の縁が空気の力を表し、水の縁が地の力を表すのとは別のやり方で、人は場所の前にひとり立つことで、そこに縁があることを表す。

 やはり陸前高田市で撮影された一枚の写真の中で、一人の女性が、川辺でカメラを構えて立っている。女性はその縁で、あたかもそこに小さな居場所を見つけたかのように、自然にカメラを構えている。その小さな居場所、縁を、写真家は自らなぞるように写し取っている。二人はまるで、あちらとこちらで並んでいるようだ。

 

(2011年12月4日『車内放送』号外「縁(ふち)」を改訂/2011年12月31日 ブログ”Fishing on the Beach”に掲載)