四三は播磨屋の主人、清さんと、毎日走るコースを相談している。
「どこを走ってんの?」
「お茶の水ん寄宿舎から大塚ん学校までば行ったり来たり」
そのコースは坂が多いし道がよくない、というのが清さんの意見だ。それはもっともだとして、そのあとの提案がちょっと変わっている。お茶の水の宿舎から坂を下りて平地でトレーニングするのであれば、南東の日本橋へ直接行けばごく平坦な道ではなかろうか。なのに播磨屋と清さんのおすすめは、わざわざいったん北側の上野に向かうルートだ。コースはますます日本橋からそれて、さらに東、浅草に行く。
「上野から浅草、凌雲閣をぐるって回って…」
凌雲閣こと十二階は浅草の北、だからそこを「ぐるっと回る」と180度方向転換して南向きになる。浅草から人形町、日本橋、というのは落語「富久」で主人公がたどるルートだ。
四三は奇妙な迂回をすることになる。ただ直線の平地を行くコースではなく、まるで回転する身体から砲丸を放つように、十二階をぐるっと回るその遠心力によって自身を放つ。「ぐるっと回る」ことで四三の身体は一気に加速する。そこからはぎゃん行ってぎゃん行って、浅草から日本橋、いっそ距離をのばして芝の浜まで。宮藤官九郎のことばは、「ぐるっと」で回転加速し、「ぎゃん」でスピードアップしたその速度を表す。
カメラはどうか。「上野から浅草」という四三のことばとともに、ショットはすでに十二階に走り込む四三の姿を写している。目眩のように景色は回転する。猿回しの猿が逆立ちをしているそばを四三が通り過ぎる。楽隊が音楽を鳴らしている。あたかもここ十二階こそ、身体をひっくり返すヘソなのだとでもいう風に。「浅草を抜けたらぎゃん行ってぎゃん行って…」ここでは町並みを進む四三を横から捉えながらカメラが併走し、ストレート感を出している。そしてショットが切り替わると、低層の東京がぐっと開ける。海までは平地だ。
そこから日本橋をゴールにしてもいいけれど、四三はさらに芝まで行く。ちょうど志ん生が落語の中で、日本橋まで行けばいいはずの「富久」をそこからさらに距離を伸ばして芝までにしてしまったように。
日本橋と芝。ばしとしば。あれ、回文だ。芝から。ばからし。あれ、アナグラムだ。阿部サダヲ演じる田畑は言う。「しばからにほんばしまではしるばかどこにいる?」。ばっ、まるで早口言葉だ。
浅草。あ「さくさ」。あれ、回文が入っている。あさくさは、「あ」から「さくさ」への回転。上野から浅草、あさくさの「く」で生まれる遠心力。しばはばしの反転。芝は、日本橋まででよかったその先に据えられた夢。四三は毎日夢に行き、夢から帰ってくる。明日もまた夢になる。夢になるといけねえ。