シェイプ・オブ・ウォーターは、幾重にも入れ子になった、声の記憶の物語だ。
朝鮮戦争から13年、映画の舞台はおそらくは1962年。政府の秘密機関で掃除婦として働くイライザは、映画館の上にあるアパートの一室に住んでいる。同じアパートの住人で売れないイラストレーター、ジャイルズの部屋には白黒のテレビがあり、古い映画が映っている。
イライザが遊びに行くと、テレビでアリス・フェイが「You’ll never know」を歌っている。実はこの歌を主題歌とする「Hello, Frisco, Hello」(1943)は、1915年、まだ映画がサイレントだった頃、ヴォードヴィル光芒期を舞台にした映画である。つまり、2017年の映画の中で1962年のテレビが映し出しているのは1943年の映画、さらにその映画は1915年を描いているというわけだ。
アリス・フェイは1930年代後半から第二次大戦中の1940年代前半にかけて20世紀FOX社のミュージカル映画の看板女優だった。ジャイルズがちらりと話しているように、彼女は人気絶頂だった1945年、自身の主演映画の編集のひどさを見て憤然とFOXのスタジオを出て、それからはいままでやりたくてもできなかった家庭での仕事に専念した。
彼女のヒット作は、19世紀末のシカゴを描いた「In Old Chicago」(1938)や、20世紀初頭の歌い手たちの世界を描いた「アレクサンダー・ラグタイム・バンド」(1938)など、現代劇というよりは古き良きノスタルジックな作品が多い。「Hello, Frisco, Hello」もそうした映画の一つ。この映画でアリス・フェイは、古いヴォードヴィル・ソング「They Always Pick On Me」(ベティ・ブープが「ミニー・ザ・ムーチャ」で泣きながら歌う歌)や、ティン・パン・アレイ時代の佳曲「By The Light Of The Silvery Moon」を歌っており、いやが上にもノスタルジックな雰囲気を高めている。
その中にあって「You’ll never know」は意外にも「Hello, Frisco, Hello」のための新曲だ。作曲は「ブロードウェイの子守歌」や「チャタヌガ・チューチュー」など幾多のスタンダードを生んだハリー・ウォーレン。新曲なのになぜか懐かしくきこえる理由は、冒頭の「You’ll never know just how much」のメロディにある。ソドミソ、ミドソ。ハリー・ウォーレンは、ビューグル(軍隊ラッパ)の音階をこの冒頭に埋め込んでいるのだ。第一次世界大戦前後には、アーヴィン・バーリンの「アレクサンダー・ラグタイム・バンド」や「Oh How I Hate To Get Up In the Morning」など、ビューグルの音階を巧みに取り入れた歌が流行ったが、この「You’ll never know」もそうしたスタイルを模しているのである。
けれど、この曲がなぜ「シェイプ・オブ・ウォーター」で重要な役割を果たすかを考えるためには、ただの懐かしさだけを語るだけでは足りない。
(続く)