ここはTwitterの記録です。ところどころ備忘録を足してあります。ブログはこちらへ。
先週から始まった『車内放送』の第二弾、『車内放送(2) 果ての夢』がLilmagに入荷しました。 http://t.co/v7tbJCfe
posted at 16:27:49
『車内放送(2) 果ての夢』もネットプリントにて配布します。例によってセブンイレブンのコピー機に20円を入れて「ネットプリント」を押すと、んべー、と出てくるでありましょう。認証番号:88351806
posted at 16:32:24
ところで、今回のネットプリントや、音楽ダウンロード、そしてかつてのハイパーカードの話にいたるまで、mapの小田さんがいろいろ書いてますよ。ちょいと懐かしい話も。 http://t.co/2wduOtsi
posted at 16:38:14
なお、車内放送(1)「かか」がネットプリントで、んべー、とできるのは、本日23:59:59までです。認証番号は「19565982」です。
posted at 16:45:10
かえる目のムシムシ大行進@蟲文庫。楽しい昨日と今日でした。蟲文庫のある倉敷はすばらしいよ。
posted at 16:18:04
さて、本日は「かえる目 秋のパレード」第一弾、京都はZANPANOで19:00からライブであります。そして譜面として愛用しているiPadに初期化の危機が!うろおぼえの魅力を放つのか? http://t.co/2XDJpOEz
posted at 15:24:21
原子炉事故「500年に一度」問題まとめ。1年1炉あたりのシビアアクシデント発生確率を0.2%とすると、50基中1基以上が向こう1年でシビアアクシデントを起こす確率は9.5%。向こう5年では39.4%、向こう50年では99.4%。 http://t.co/u2vlFECV
posted at 10:09:32
初めて読んだ虫の本は、熊田千佳慕の挿絵のファーブル昆虫記。初めて買った虫の文庫本は、どくとるマンボウ昆虫記。北杜夫の本はどれも紺色の記憶。
posted at 10:15:23
いろいろな催促を承ってますが、む、無理・・・
posted at 16:42:58
無理。すまぬ。
posted at 16:43:14
さぶー
posted at 08:47:15
原子力委員会の委員会報告をもとに原子炉の事故発生頻度は「500年に1度」と新聞で報じられている。しかし、委員会の文書をよく見ると単位は「1/炉年」。1つの炉、1年で0.2%。
posted at 12:17:31
仮に原子力委員会の試算が正しいとすれば、50基の原子炉があって、それぞれが向こう1年間事故をおこさずに済む可能性は99.8%。50基すべてが1年間事故をおこさずに済む可能性は、その50乗で、約90.5%。つまり向こう1年間のうちに10%弱の確率で事故が起こる。
posted at 12:20:47
ちなみに原子力委員会の委員会文書は以下の頁に。 http://t.co/qcWy5PyC
posted at 12:23:38
回答:100%:6人、50%:9人、20%:2人、10%:17人、1-5%:5人、1%以下:20人。つまり、59人中、53人の人がリスクを50%以上低く見積もったことになります。こういう認知バイアスって何か名前がついてるのかしらん。「500年に一度」問題とでも呼ぼうかな。
posted at 15:26:58
訂正:試しに講義で59人の学生に質問してみた。1基が1年あたり事故を起こす確率が0.2%として、向こう50年間で、50基のうち最低1基以上が事故を起こす確率はいくらか。直感で答えて下さい。結果は前のツイートで。
posted at 15:36:36
ちなみに単純に確率を計算すると、1基が1年あたり事故を起こす確率が0.2%として、向こう50年間で、50基のうち最低1基以上が事故を起こす確率は99%以上になります。計算はツイートを遡って下さいな。
posted at 15:38:34
がー。やっぱり前のツイートも0.002を0.002%って書いてる〜。
posted at 15:41:36
訂正:仮に1年1炉あたりの事故発生確率が0.002(0.2%)だとすると、50年50炉が無事故である確率はいくらか。0.998を50乗してまた50乗すると、0.6%。つまり、50年間で最低1炉の事故が起こる確率は99.4%。
posted at 15:42:46
文章にまとめてみました。 「原子炉事故の『500年に一度』問題」 http://t.co/u2vlFECV
posted at 20:28:44
何が「500年に一度」だ。起こってしまったことは確率じゃねえ! と、ちゃぶ台ひっくり返すのがまっとうな考えというものだろうなあ。
posted at 22:31:57
「500年に1度」問題については、こなみ先生 ( @konamih )がすでに期待値の計算をされていた。
posted at 23:04:30
車内放送(1)のネットプリント(認証番号:19565982)、100部を越えた模様です。ありがとうございます。
posted at 23:28:58
やるときゃやるmapup小田さんの間欠泉のごとく噴出する頁から。まずは、10月末から11月「かえる目 秋のパレード」のご案内です。 http://t.co/gYRtM7MT
posted at 00:19:27
mapupからもうひとつ。たゆたうのPVがすごい出来になってます。 http://t.co/OaBWGKm9
posted at 00:35:54
たゆたう、手間暇かけていいものを作ってるなあ。今月のはじめのアバンギルドのレコ発、もうライブが終わったあとに申し訳なくも会場だけ見に行ったんだけど、設営がふだんのアバンギルドじゃなくてすごかった。
posted at 00:47:34
何かを届けた/届いた、という感じは、受け手の受け取り方がわっと立ちあらわれるときにやってくる。たとえば真夜中のコンビニで受け取られたことを示すタイムスタンプから。Lilmagのこの静かなサンプル写真からも。 http://t.co/v7tbJCfe
posted at 01:21:50
BCCKSが新しくなりました。三年前に作った 『絵はがき風呂』も、レイアウトが変わってリニューアル #BCCKS http://t.co/L7oDeHUl
posted at 11:56:18
ええと、これも三年前に作ったもの。地点の「ワーニャ伯父さん」をみたことがちらと書いてある。自分でも忘れてました。『黒板のある部屋』 #BCCKS http://t.co/RC6Mp3cM
posted at 12:09:21
あやー、そんなこともありました。時代は変わりすぎる。 RT @mapupnews 20年前の深夜丑三つ時、ウチのボロアパートの新聞ポストに、かえるさんがスタック入りの2DDフロッピーを投函してくれたときの「ゴトっ」という音を今でも覚えてます。
posted at 12:29:54
オレがムシになりまして。
posted at 12:45:07
車内放送(1)(ネットプリント/認証番号:19565982)。記録を見ると、2部、あるいは3部いちどにプリントしている人も。間違いか、あるいは誰かに持ち帰るためか。いずれにしても、コンビニのさらに向こう側にある配布の気配。
posted at 13:52:07
気になって彦根の名産「バルブ」を辞書で引いたら、なんとヴァルヴ valve だった。えーーー。てことは「バルブもなか」は「ヴァルヴもなか」? ちなみにカメラのバルブシャッターはbulbで球根の意(丸いゴム製のやつのことでしょうね)。
posted at 15:27:36
以前は終わりの音を「す」と「ず」の中間くらいで曖昧にしていたので「ジョブすね」「ジョブすわ」と気楽に言えたのが、いまは「ジョブずね」「ジョブずわ」と、いちいち肩に力を入れねばならぬ。
posted at 15:44:30
ある力で置いたつもりのことばが、じつはまったく違う構造を持っていたことに気づく。カバーしていただくというのは、そういうぜいたくな体験ですが、その体験がすとんと耳に落ちてくる、岸野雄一さんのミックス。図書館の「パンダ対コアラ」。 http://t.co/XdtKLDw8
posted at 21:53:15
「塔から見えるもの、見逃されるもの 浅草十二階と文学」というタイトルで話します。11/12(土)立教大学公開講演会「環境と文学のあいだ9: メディア・言語・表象」 http://t.co/crYLd2bb
posted at 00:07:57
わわ!週末にひかえる、かえる目秋のパレードを前に、図書館によるかえる目のカバーが登場しました。1stに収録の「パンダ対コアラ」が、なんと田中亜矢さんのボーカルで。 http://t.co/XdtKLDw8
posted at 01:06:41
先週から、週一で猫村さんこと、秘書の方に来てもらっている。先週末は書類やパソコンの使い方を一通りやったところで終わったのだが、今朝来たらレンジ周りがきれいになっていた。ぼくの居ない間に片付けてくれてたんだな。いい月曜の朝になった。
posted at 10:47:44
昨日は、宇野良子さん、河村美雪さんを迎えて、オープンコミュニケーションに関するイベント打ち合わせ。宇野さんは発売中のTVブロスでも紹介されている気鋭の文法学者。河村さんは「インタヴュー・ショウ」で観客のあり方を揺るがす試みをしておられる。お二人ともたいへん明晰。本番が楽しみ。
posted at 11:07:22
セブンイレブンのネットプリントを試してみた。登録した画像をコンビニでコピーできるだけのことなのだが、妙に遠隔感があってうれしい。これをミニコミやzineに使おうと思いついた人、頭いいなあ。
posted at 13:41:15
エラ通信 ( @2nd_error403 さん)、いい!この直送感! 紙にぬくもりが・・・てか、物理的にぬくい!
posted at 16:47:17
エラ通信のいいところ。このコンビニの片隅にあるこのコピー機、その紙を吐き出す紙出口、そこから紙を取り上げる人、その場所と人を強く意識しつつ、かつ、とてもストレートに、その出口の向こうにいる人に向けて書かれている。
posted at 17:04:48
コンビニの片隅に呼吸器があるなんて思わなかったよ。
posted at 17:05:57
じつはネットプリントということは全く考えずに、A3一枚のミニコミを作ったばかりだったのだが、エラ通信を見て考えてしまった。このわくわく感、ぜひ真似したい。その一方で、ぼくの作ったのは、出口感が、足りない。コピー機の向こうにいる人が見えてない。うーん。
posted at 17:16:04
ま、やってみっか。
posted at 17:16:43
あー、あー。聞こえますか。「車内放送」開始のお知らせです。車内放送はA3一枚のチラシ放送です。細馬宏通が自身のイタコとなって電車の中でA6の紙にかきなぐります。第一号「かか」はLilmagさんで手に入ります。 http://t.co/XRD8RUWX
posted at 17:26:14
あー、あー、コンビニのコピー機の前のみなさま。「車内放送」をそちらにも流すことにいたしました。「エラ通信」の呼吸の仕方に学び。セブンイレブンのコピー機にある「ネットプリント」にて20円で放送。認証番号は19565982。10/31までプリントできます。
posted at 17:29:53
さ、三枚プリントアウトされた・・・(じーん)。
posted at 18:14:07
「車内放送」(1)をセブンイレブンでネットプリント(認証番号:19565982)して、あまりのでかさに途方に暮れている方は、とりあえず二つ折か四つ折りにしてお持ち帰り下さい。豆本にするのはこんな風に。 http://t.co/EgCUUPnL
posted at 18:42:31
ネットプリントには「利用実績」というメニューがあって、そこに利用された時刻が表示される(どこのコンビニかは表示されない)。その時刻に、誰かが、コンビニに来て(すでに「行って」じゃなく「来て」の感覚)コピー機にお金を入れて出てくるのを立って待ってるんだな。
posted at 22:58:34
ネットプリントで発信する側になってみると、誰かがコンビニに「来る」感じ。コピー機の周りっていちばん人の気配がなさそうなところだったのに、紙の出口っていちばんの暗がりだったのに、いまやそこがいちばん濃密な場所になりつつある。
posted at 23:13:30
女子だの男子だのの呼称は先生面とか同級生面して声に出す学校用語だろうと思うから普段は「」付きでしか使わないけれど、アニス&ラカンカ、泊、Alfred Beach Sandal、オーロラの土曜日にアンテナ立てよ女子、って思いましたよ、幻の同級生面して。
posted at 00:39:18
東新宿から歌舞伎町を抜けて高架下をくぐろうとして、他人の夢の向こう側からこちら側に入るような、境界の感覚。たぶん、「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集」を読んだせい。
posted at 12:02:53
来月、神奈川で行われる、やなぎみわさんの新作「1924 海戦」にはなんと凌雲閣こと浅草十二階が登場するのだという。なんとかかけつけたい。 http://t.co/YBSPHfFT
posted at 23:58:33
昨日の第三回イカロ研は高梨くんの発表。ジェスチャーの過去と未来に深い洞察を得た一日だった。さて今日はこれから身振り研。
posted at 12:15:09
梅雨の晴れ間のようなオーロラ。とおもったけど、ちょっとちがう。歌うと、そこに晴れ間が現れるオーロラ。
posted at 23:48:18
アウトレットモールのフードコートで訪問先のグループホームのみなさんと会食。広々とした食事エリア、車椅子ずらりでも違和感なし。みんな同じ柄の外出用膝掛けしてるんだけど、回廊を行くとなんかリュミエールの乳母車ずらり場面みたい。「わ、おそろ!」とすれ違う人たちから声がかかる。
posted at 00:33:34
それにしても、屁と実の区別が鈍っているのは風邪の後遺症であろうか。
posted at 00:41:23
空気玉なのか実体を伴っているのか、括約筋が測りかねているのである。
posted at 00:41:55
そういえば「尻子玉」というのもあるな。あれは屁でも実でもない何かなのか。
posted at 00:42:50
河童は尻から抜こうとするとき、屁と実と尻子玉の区別をどうやってつけているのであろうか。
posted at 00:43:24
河童が判別の名人なのだとしたら、わたしはいま、河童になりたい。
posted at 00:43:44
そういえば、へのかっぱ、というが、あれは尻子玉を抜こうとして屁をつかまされたやつのことだろうか。
posted at 00:44:24
つまり、「すかたん」というやつなのだろうか。
posted at 00:44:55
すかしっぺ、というが、あれは、爆音でならそうとしてすかたんに終わった屁のことであろうか。
posted at 00:45:49
そもそも、かっぱの「ぱ」というところがもう、括約筋をふるわせていそうである。
posted at 00:47:04
もしかすると、屁の音というのは実は、尻子玉が抜かれる音なのだろうか。
posted at 00:48:32
屁が高らかになったとき、それは河童が尻子玉を抜いたのです。
posted at 00:49:24
そう考えると、屁の予感に包まれているいま、わたしは河童の存在を引き寄せているのかもしれない。
posted at 00:50:11
屁に映るすべてのことはメッセージ。
posted at 00:50:31
尻子玉とギリシャ神話は似てる。
posted at 01:33:10
尻子玉と耳鼻咽喉科は似てる。
posted at 01:33:35
尻子玉と日々の泡は似てる(あ、かなり似てる)。
posted at 01:34:54
これらのことから明らかなように、尻子玉はほとんどのものと似てる(またか)。
posted at 01:35:31
チェーホフの「かもめ」を読んでいたら、第四幕の冒頭でマーシャが「爺さんたら、のべつ幕なしに聞きどおしなんだもの」。ふと、「のべつ幕なし」の「幕」が芝居の幕だということに気づいた。劇中劇のある第一部に対して、ことばの幕中幕を第四部に配したのは、神西清の機知なのだろうか。
posted at 11:47:10
ぷ キッパリ
posted at 15:11:44
屁のキッパリはいらんですよ
posted at 15:11:57
ぷ キリッ
posted at 15:13:23
ああよく屁が出る。
posted at 15:13:39
ぷ、はいいけど、ぷり、はちょっとあぶない。
posted at 16:38:43
えびっぷり、いかっぷり、おんなっぷり、ぷりっとした食感、など、「ぷり」にはどこか「実」、しかも手応えや歯ごたえのある「実」の存在がほのめかされている。ぷ、がよくて、ぷり、が危ないのだとしたら、たぶん「り」あたりに「実」らしさがひそんでいるのであろう。
posted at 16:40:46
となると、「ぷ」を「り」にいたらしめてしまう直前に括約筋をコントロールし、「り」を無化しなければならぬ。たとえば「ぷり」ならぬ「ぷし」、また「ぷり」ならぬ「ぷぎ」を目指す必要がある。
posted at 16:42:59
火の魚、その街のこども、カーネーション。屈託を片意地で固めた男をこんだけ描き分けてしまう渡辺あやという人はおとろしい、いや、すごいなあ。
posted at 01:21:04
そして『火の魚』の尾野真千子が『カーネーション』で、屈託片意地男に全く違う表情で向かっているからまた驚くのであった。
posted at 01:24:41
鶴見俊輔の『読んだ本はどこに行った』の中に「応援歌の系譜」という話が載っている。その中で「家の中の自立的な関係を司るのは、父親では無く、母親と娘です。」と指摘してから、工藤直子の『いとしのパパ像は空を飛んだか」を引いている。それはどんな詩かというと。
posted at 02:08:02
「父あなたが/座布団にきっちり/坐った日/父あなたは/しわしわの象だった/ 工藤直子の父親は、台湾の学校で校長をしていたんですが、戦後、日本に帰ってきてからは生きる気を失い、しわしわの元気のない象になっていた。この詩はさらにこう続く。・・・
posted at 02:10:01
ところで父あなたは/死んだからといって/ぐうぐう寝るわけには/いかない/象! あんたもそうだ」
posted at 02:10:59
ただがんばれというのではなくて、相手を「くだらないしわしわのもんだおと認めて、象のバルーンみたいに空を飛べと励ましている」。これは「一種の応援歌にもなっている」と鶴見俊輔は書いている。
posted at 02:13:33
このくだりを読んで、むかしむかし、工藤直子の「ごまめ」という詩を読んで、よしごまめでいこうと思ったのを思い出した。そうだった、あれも応援歌だったのかもしれない。
posted at 02:16:16
詳しくは本文に譲るけれど、鶴見俊輔がたどろうとしているのは、父親と娘の関係にとどまらない。宮本百合子、吉屋信子、宮部みゆき、工藤直子、吉野せい。これら女性作家が、苦難する人物に添うように論や物語を進めるところに「母と娘の倫理」を読みとり、それを「応援歌の系譜」としている。
posted at 02:27:09
そして、渡辺あやさんの脚本にぼくが毎回やられてしまうのは、おそらく彼女の書く物語が、鶴見俊輔の言う「応援歌の系譜」から、まったく新しい水を汲み取っているからではないかと思う。
posted at 02:38:22
朝から頭が切れそうなくらい泣いている尾野真千子を見たあとには、なぜかすっとしているのであった。
posted at 08:48:10
つぶやきだとやはり分断されてしまうので、まとめて書きました。「応援歌の系譜」と渡辺あや http://t.co/4SPZa3uT
posted at 13:28:40
「値」問題の多くは、そこに分散の考え方が入っていないという点なのかもしれない。食品の放射線量にしても計測値にしても、それがどれくらいの範囲でばらつくのかを知ってるのと知らないのとでは感じ方がかなり変わる。こういう現象にこそ「偏差値」が必要なのかも。
posted at 11:44:27
仕事でくたくたになって帰ったら、Enjoy your life が届いていたよ。隣組最高! http://t.co/yPF25O5E
posted at 21:31:18
いましげしげライナーを読んだら、植野くんの文にこうあった。「ぜひ、仕事帰りのお父さんが家で宝焼酎を飲みながらプロ野球見てるような感じて聞いてほしいです」。名盤だなあ。ういー。(Enjoy your lifeのことですよ) http://t.co/LvdGXNCK
posted at 22:00:09
わたしは掘るだけでなく、掘り当てられるのだ、という感覚は、9月に見た『宮澤賢治/夢の島から』以降、いっそう強くなった。
posted at 00:55:38
それにしても、昨日彦根でええライブがあちこちであったのに寝込んでいたのが情けない。
posted at 14:51:01
スタニスワフ・レム+タルコフスキー=スタニスラフスキー・・・ @kikumaco スタニスラフスキー・システムって、SFっぽい響きだな
posted at 16:07:51
スタニスワフ・レム+タルコフスキー<あなた
posted at 16:08:14
あいかわらず熱でくたばっている。
posted at 11:54:02
秋のパレード。「かえる目のどすえま専科」10/28(金)ZANPANO(京都)、「かえる目のムシムシ大行進」10/29(土)蟲文庫(倉敷)。蟲文庫はあと1,2席だそうです。お早めに。 http://t.co/zNzQ9OfN
posted at 12:10:54
表面的な批判が長く続かないのは、思い出す細部を持たないからなのかもしれない。
posted at 16:54:10
一度登ってしまった塔を眺めて飽きないのは、「あのときこの場所は見逃された」ことを思い出すからで、それは「あのとき見逃したこの場所を見つけた」ということでもある。
posted at 16:56:31
よき鳥瞰は、ランドマークを持ち、繰り返しそこで見逃されているできごとを教える。
posted at 16:59:45
「根本特殊化学」の頁にある日本の夜光塗料史。「日本夜光塗料製造所」に関する記述があり、放射線の受容史としても興味深い。 http://t.co/uFxMYCI5
posted at 23:15:44
世田谷で発見された瓶じたいは戦前のものかもしれない。しかし、ラジウムが用済みとなり、夜光塗料の表舞台から消えたのは第五福竜丸事件によってだった。それが2011年の今、放射線測定によって検知された。
posted at 23:26:04
瓶はいわば、歴史の除染が消し忘れたあと。そして2011年の地層から未来の人びとが何を発見するか考えてみるなら、けして昔のできごととして片付けることはできない。
posted at 23:43:51
鼻水がとまらんので寝る〜。
posted at 02:18:40
科研の分担や連携を引き受けるときは、研究者番号、機関番号・所属番号・職とその番号のほかに、2012/4時点の年齢、学位、専門分野を相手に知らせるといいぞー。 #有益なことをつぶやこう
posted at 16:58:07
熱で朝からダウン。しかし科研の申請は出さねば・・・
posted at 16:58:35
昔、夜光塗料絵はがきのことを調べていたとき、塗装に従事した「ラジウム・ガール」たちにずいぶんと被害が出た、という話を読んだことがある。ちなみに夜光塗料の蛍光じたいは放射線ではないので、念のため。 http://t.co/HKl0vlzl
posted at 17:07:22
なぜ空き時間を狙いすましたように会議が入るのか不思議だったが、それは日程調整表を出していたからだと気づいた。 #有益なことをつぶやこう
posted at 19:48:22
探す、ある、借りる、ってとこ、妙にくせになるなー。
posted at 20:03:59
楽観主義は予想よりもネガティヴな情報を見過ごしやすい、というSharot, Korn & Dolanの研究。一方、予想よりもポジティヴな情報に対しては、楽観主義者も悲観主義者もほぼ同じように反応する。 http://t.co/SRzVxzRB
posted at 11:29:42
ここからは私見。予想よりもネガティヴな情報への評価は個人差が大きいが、ポジティヴな情報では個人差が小さい。ならば、情報の送り手にとっては、相手がポジティヴに考えるかどうか、だけでなく、いかにポジティヴなニュースを産むかが問題かも。 http://t.co/SRzVxzRB
posted at 11:31:45
たとえばガンの罹患率を40%と見積もっている人に本当は30%だと教えると、評価は30%近くまで修正される。しかし、10%と見積もっている人に30%だと教えた場合、評価の修正は小さい。この評価バイアスには前頭葉の活動が効いているらしい。 http://t.co/SRzVxzRB
posted at 11:43:41
いま出てる「新潮」に田の浦(歌津、南三陸町)のことを書きました。短い文章ですがよかったらどうぞ。
posted at 11:55:54
Sharot, Korn & Dolanの知見は、リスクを実際よりも低く見積もっている人にどう対処するかという問題を考えさせる。そうした人に、実際のリスクをひたすら主張するよりも、オルタナティヴなポジティヴ情報を知らせるほうが実は有効なのではないか。
posted at 12:27:40
もうひとつ、Sharot, Korn & Dolanの知見で気になるのは、実験に使われているのが「%」という確率情報だということ。つまり、彼らの知見と重なるのは、リスクが数値化された状況。まさにいま起こっている放射線リスクの問題。
posted at 12:29:52
自分の知っている表現があるかどうかに注意するときと、自分の知らない表現がそこにあるかどうかに注意するときとでは、ことの評価はずいぶんと変わる。
posted at 15:55:25
前の講義で教室にPC忘れた。いやはや。
posted at 15:56:23
対象に欠如を見出すか、自分の認知に欠如を見出すかで、ものの見方はがらりと変わる(と言い換えることもできる)。
posted at 15:58:30
五姓田芳柳親子はパノラマ画家でもあるすよね。これは見ずば。
posted at 16:01:32
おそらく知人のかなりの人が科研の書類で苦しんでいるであろう今週来週。
posted at 16:04:47
PCがないとなーんもできん。
posted at 16:05:12
今期からお城のそばの学校に週に一度通っている。お堀端を自転車ですいすい通うなんてなあ。他校の通学路だが、なんとなくうらやましい。
posted at 16:09:59
さて、そろそろPCをとりにいこう。
posted at 16:10:12
京都芸術センターの茶室で地点による「かもめ」。屈曲することば、衣装、装置ともすばらしかった。公演は残っているので、まだの人は是非。
posted at 01:52:26
中断される劇中劇のある劇。地点の「かもめ」、茶室でのもてなしすら危うく劇に重なる。今日は蒸しますので上着などお脱ぎになって下さい、と言われたとき、「蒸しますので」ということばが薄皮一枚、浮き上がって気になった。帰って確かめると、マーシャの台詞に「蒸し蒸しすること」とあった。
posted at 01:54:31
京都芸術センターでは高嶺格のインスタレーションも。どちらの部屋を先に見るかで見方が変わるかも。ぼくは北館から見ました。
posted at 01:58:11
フェスティバルFUKUSHIMA!のことをもう少しつぶやいておこう。ETVでもよく見れば感じられたと思うが、和合亮一さんの「詩の礫」と「福島群読団2011」とは、よほど違う内容だった。前者は、和合さん自身のツイートから構成され実際の土地が強く浮かびあがる。
posted at 16:08:53
しかし後者の群読では、多くの人の詩がパッチワークされた結果、そこで浮かび上がってくる「福島」はより抽象度の高いものだった。加えて、群読という、戦前の戦争詩や学校の行事に使われてきた形式から、ぼくはよくも悪くも公的で教育的な印象を受けた。
posted at 16:11:10
大勢がいちどきに「福島!」と声をあげるから、テレビでその部分を見た人はぎょっとしたかもしれない。でもその部分もよく聞くと、まずそれぞれの出演者によってタイミングをずらしながら発声されており、この群読が危うく統一された「福島」から逃れようとしているのが聞き取れた。
posted at 16:17:47
実際には「詩の礫」も「福島群読団2011」も長大な作品。ETV特集ではドキュメンタリとしては思い切った長さでとりあげられていたが、それでも実際よりはずっと短い。それをあえて抜粋によって論じるなら、交響曲の抜粋を聞いて交響曲を論じるのに近いことが起こるだろう。
posted at 16:22:30
10/8の蒼月書房ライブ。楽しい夜。おすしさんこと見汐さんのカバー集、よかったなあ。ぼくはセットリストを書き出すかわりに、書棚から各曲に関係する本を一冊ずつ抜いて、それを順々に紹介していきました。曲順も間違えないし、これは便利。終わってから飲んでたら終電もなくなった。
posted at 12:07:45
昨日は神戸の運河で「おおだまこだま」。音遊びの会、アキビン、三田村管打団?他、運河一帯を使ってその反響を聞きながらあちこちで演奏。小学校の前で歌ったら、思いがけず壁の反響がよく、他の場所から来る歌声がその反響と混じり合う。それにしても遠い管の音は記憶をくすぐるな。
posted at 12:12:20
ETV特集プロジェクトFUKUSHIMA!。「希望をフクシマの「地」から」と題されたこの番組は、しかし、「地」を考えることの難しさを思い知らせるものだった。
posted at 12:27:41
当日のライブまでの企画運営の記録が中心なのかと思って見始めたが、ディレクターはライブに交差する参加者の来歴に踏み込んでいく。とりわけ、あんざい果樹園の安斎さん親子の話と、シャッターの降りた家で暮らされているご家族の話には胸を突かれた。
posted at 12:32:03
シャッターの降りた家のショットは、人の気配の薄いものだった。しかし、何ショットか映されていたご家族の部屋は、とても端正にデザインされたもので、共働きだというご夫婦にとって、その家がどれだけ思い入れのあるものかはうかがい知れた。
posted at 12:47:56
そして、その映像から、ぼくは「福島に住んでもいいのだ」といったメッセージを読みとることはできなかった。むしろ、通り過ぎただけではシャッターで閉ざされているかにみえる、その内側で暮らしている人びとがいるのだ、ということを受け取った。
posted at 12:50:51
一つ思い出したことがある。フェスの日、道路を隔てたところに、線量検査を経た農作物の公認ブースがあった。ぼくは8/15の日、ほとんどウォーターステージ会場にいて、暗くなってあわてて駆けつけたが、もうブースは店じまいしていた。
posted at 12:57:34
すごすごと戻ると、鉄板焼きやそばの屋台に混じって、そこでも桃が売られていた。線量の表示は見当たらなかった(見過ごしたのかもしれない)。おいしいですよ、と楊枝にさした桃を差し出されて食べた。それは本当においしかった。
posted at 12:58:18
そしてぼくはその桃を買わなかった。
posted at 12:59:04
番組の一ショットにあった、ざるに盛られて雨ざらしになった桃を見て、買えなかった桃と買わなかった桃のことが、また思い出された。
posted at 13:02:13
買わなかった桃もまた、あんざい果樹園でそうであったように、晩春に花を咲かせ、丹念に間引きされ、ひとつひとつ収穫されたものに違いない。差し出されたものをぼくは食べ、おいしいと思い、しかし買わなかった。
posted at 16:10:28
おそらく、そういうことに出会う「ために」、けして放射線量がゼロリスクではないフェスティバルに、行ったのだと思う。
posted at 16:11:30
本当は、桃を差し出したその人に、「これ、線量はいくらなんでしょう?」とにこにこと聞けばよかったのだ。それはスーパーの果物売り場ではなく、目の前に売っている人がいたのだから。けれど、そのとき、そういう風にうまく体が動かなかった。そういう自分の体の不自由さを見つけてしまった。
posted at 17:02:34
ことばたらずだったかもしれません。あんざい果樹園の桃は(おそらく)公認ブースで売られていて、ぼくはそれを買えなかったのです。そして買わなかった桃はまた別のもの。しかし、どちらも、しかるべきやりとりをして、買って食べればよかったのです。そういうことはあとで判る。
posted at 19:13:55
おそらくぼくの体は、気づかぬうちに、紙媒体やネットで、あるいはスーパーの値札で物を選ぶことにならされており、目の前にいる相手と交渉して買い物をすることを疎んじている。その疎ましさが、知らず知らずのうちに相手と係わることなく何かを判断することへとつながっている。
posted at 19:15:55
さ、今日からは思い出に生きよう。
posted at 00:39:17
というわけで、10/8(土)は、蒼月書房にて、見汐麻衣さんとのライブです。18:30open 19:00start。埋火の新譜も楽しみだ〜。
posted at 00:42:09
先日の旧グ音楽講座「洋楽を日本語で考える」のことが書かれた記事を二つ見つける。臨場感あふるる〜。そうそう、イエスタデイを「明日」って訳した人、すごいかったよね。 http://t.co/q5KJCjtl http://t.co/bw82NZB2
posted at 11:01:37
Macintoshをはじめて見て「なに、この箱!?」って思った。Macが出てくるまで周囲にあるコンピューターの画面は黒い画面に白か緑の文字で、宇宙空間に文字を打ち込んでるみたいだった。白い画面に黒い文字を打ち込むと、それは全然違う場所だった。
posted at 11:11:50
初期のMacというと院生室の空気が濃密に思い出される。日高研で疋田努さんや百瀬浩さんがplusで論文を打ち始め、ぼくはpascalを覚え始めて、そのうちどの部屋でもSEやSE/30を見かけるようになった。コンピューターがパーソナルな記憶と結びついている。
posted at 11:23:18
自分の使ってきたコンピューターを順に思い出していくだけで、これまでの来し方のディティールにかなりアクセスできるのだなあ。
posted at 11:44:40
あまり思い出を美しくすると、自分が親しんできたMacの顔が、ジョブズではなくビル・アトキンソンだったことまで塗り替えてしまいそうだから、この辺にしておこう。
posted at 11:47:31
ぼくの記憶が捏造されてなければ、パーソナルコンピューターにマウスがついてるのをはじめてみたのはMacintosh。
posted at 13:09:57
むかしはマウスってもんがなかったんですよ、みなさん(ジジイの戯言めくな)。
posted at 13:10:37
マウスが出てきて何が衝撃だったって、画面を斜めに移動できるようになったんだよな。カーソルで移動する画面は、見た目は二次元でも動作は一次元だった。マウスによって動作は初めて二次元を得た。
posted at 16:43:33
いま、グループホームにいるお年寄りが、十把一絡げの懐メロをきいて「これはもっと下の人の歌」と言うことがあるけど、今40,50代の人が年寄りになったら、ボランティアの子がiPadを持ってきて、「子供の頃によく使ってたでしょう?」とか言うんだよ。
posted at 16:46:35
sad macってどんなんだっけ
posted at 17:57:21
ジョブズさん、箱とマウスと板をありがとう。
posted at 22:37:46
みんな美しい思い出にひたりすぎてるよ! MacPLAYMATEを忘れたのか?
posted at 22:59:32
ジョブズの、というよりはジョブズが再登場して息の根を止められたHyperCardだけど、これもまたMacintoshとそのフォント、そしてQuickDrawの嫡子ということで、リンクを貼っておこう。 http://t.co/Gf3ulLi1
posted at 23:02:59
さてと。
posted at 23:36:08
5とsは似てる、とな
posted at 11:27:52
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posted at 11:37:21
今日はゼミで「エスノメソドロジーを学ぶ人のために」輪読。「学校で過ごす」の章に、秋葉昌樹さんの発案による即興劇が出てくるのだが、その内容が、いまひとつピンとこない、と学生が言う。なら、実際やってみようと、その場で役割を振って読み上げてもらった。
posted at 23:13:32
秋葉さんの「エンゲスノ」の記録は、ただ黙読するよりも、多人数で読み上げたほうが、圧倒的に理解の度合いが増す。とくに視線の向け方、発話のアドレスの仕方が生々しく体感される。
posted at 23:15:30
リスクの数値化とともに、リスクのものさしにどのような生活を当てるのかが問題になる。しかし生活のだいじなところは、数値化できない。できないのは困るので、数値化できる問題に置き換える。しかしすでにだいじな生活があるから、置き換えられた問題は生活にとって望ましい形をとる。
posted at 15:34:29
地点の三浦基さんにお会いしたので、数年前に見たワーニャ伯父さんの感想を申し上げようと思ったのだが、情けないことに神西清の名前すら出てこない。最近固有名詞の物忘れが激しいな。当時書いた感想は以下の日記に。 http://t.co/s0VgbTN6
posted at 12:56:22
「アールブリュットを巡るトークシリーズVol.4」@彦根。保坂健二朗さんがファインアートから見た視点、ぼくが「作業」から見た視点で、わりと立体的な話になったのでは。twitterによる実況中継は @artbrut_talk にて。
posted at 16:44:33