「浅草十二階計画」に「虞美人草と博覧会」を追加。
先週『虞美人草』を読み直して今週は『明暗』。
『虞美人草』は漱石における『なんとなくクリスタル』である。というか、『なんとなくクリスタル』は漱石の『虞美人草』である。
つまり、人の思考や意識や性格とはその人の所持品と所作に表われる、というポリシーのもとに書かれている。
だから、『虞美人草』には絢爛たる装飾の描写があちこちに登場し、高速度撮影したかのような微細な時間の所作が表われる。金時計を持っている藤尾はそれだけでも奢った存在だが、それを「右手を伸べて、輝くものを戞然と鳴らすよと思う間に、掌より滑る鎖が、やおら畳に落ちんとして、一尺の長さに喰い留められると、余る力を横に抜い」たりすると、もうこの上なくイヤミに奢りたかぶっている、というわけだ。
『虞美人草』ではしばしば対比が用いられる。
人に示すときは指を用いる。四つを掌に折って、余る第二指の有丈にあれぞと指す時、指す手は只一筋の紛れなく明らかである。五本の指をあれ見よと悉く伸ばすならば、西東は当るとも、当ると思わるる感じは鈍くなる。糸子は五指を並べた様な女である。受ける感じが間違っているとは云えぬ。然し変だ。物足らぬとは指点す指の短かきに過ぐる場合を云う。足り余るとは指点す指の長きに失する時であろう。糸子は五指を同時に並べた様な女である。足るとも云えぬ。足り余るとも評されぬ。
人に指点す指の、細そりと爪先に肉を落すとき、明かなる感じは次第に爪先に集まって焼点を構成る。藤尾の指は爪先の紅を抜け出でて縫針の尖がれるに終る。見るものの眼は一度に痛い。要領を得ぬものは橋を渡らぬ。要領を得過ぎたものは欄干を渡る。欄干を渡るものは水に落ちる恐れがある。
所持品や所作の描写は何に使われるか。それは対比に使われる。
『虞美人草』では登場人物のうちの二人を取り上げては、つぎつぎに対比していく。対比は、必ずしも二項対立のようにお互いに排除的とは限らないし、じつは勧善懲悪である部分は少ない。では、この小説が「勧善懲悪」的という印象をしばしば与えるのはなぜか。
『虞美人草』では、静や動、善や悪といった内面をもった人物が比べられているというより、むしろ、対比が先にあってそこからあたかも内面があるかのように書かれる。つまり、登場人物の善悪がはっきりしているから「勧善懲悪」的なのではなくて、まず対比させそこへ登場人物に内面を割り振っていく書き方が「勧善懲悪」的なのだ。
たとえば先の引用では、まず所作が先行する。糸子という女が五指を揃えて指すではない。揃えて出した五指があって、糸子はあたかも揃えて出した五指のような女である。では、藤尾はあたかも細そりと爪先に肉を落したような女なのか。そうではない。藤尾は細そりと爪先に肉を落すのである。発端はじつは所作の対比である。糸子は所作になぞらえられた。にもかかわらず、藤尾は所作を為した。所作の対比は内面の対比の比喩であったはずだ。それが途中で、あたかも内面のある人が内面にふさわしい所作を為したかのようにすり替えている。
こうしたことからもわかるように、『虞美人草』の登場人物が「つくりもの」っぽいのは、各登場人物が内面ではなく対比の産物だからである。
ちなみに『虞美人草』の対比には同時代の発明品(ないしはその同義語)がよく使われる。活動、パノラマ、観覧車、イルミネーション。発明は、移動の速度と方向を変革し、かつては見えなかった面(光景)をあらわにする。博覧会とはそのように可視となった面を見せる見世物である。
『虞美人草』とは対比の博覧会だ。漱石はこの小説で、発明の力を借り、所持品と所作による対比を行い、それを内面の対比にすり替える。そこでは作者の「地」の文が幅をきかせている。
さて、自然主義作家なら、こうした対比を捨てて生々しい生を描こうとしただろう。しかし、後の漱石は、対比を手放すかわりに、対比を登場人物に預けた。そこでは作者が地の文で対比を行なうかわりに、登場人物が語りの中で他人という面を発見する。
作者が二者を対比するときは二つの形容を用いる。いっぽう、登場人物が他人と自分とを比べるときは、一つの形容を用いる。すなわち、他人に対して一つの形容を思いつき、その形容を自分に欠けたものとして捉える。
『明暗』の対比装置は世代だ。
時間を隔てた自分と異なる世代と自分を比べるとき、他人は、自分にとってありえた過去、ありえた未来に映り、自分の失ったもの、自分には得がたいものとして映る。
『明暗』のお延は、従姉妹の継子と肩を並べ、対比される。お延はこちらから好んで対比するのではなく、気がつくと対比の場に立たされている。作者ではなく、お延が次のように「心の中で」言う。
彼女は心の中で継子に云った。「あなたは私より純潔です。私が羨やましがる程純潔です。けれどもあなたの純潔は、あなたの未来の夫に対して、何の役にも立たない武器に過ぎません。私のように手落なく仕向けてすら夫は、決して此方の思う通りに感謝して呉れるものではありません。あなたは今に夫の愛を繋ぐために、その貴い純潔な生地を失わなければならないのです。それだけの犠牲を払って夫のために尽してすら、夫はことによるとあなたに辛く中るかも知れません。私はあなたが羨ましいと同時に、あなたがお気の毒です。近いうちに破壊しなければならない貴い宝物を、あなたはそれと心づかずに、無邪気に有っているからです。幸か不幸か始めから私には今あなたの有っているような天然そのままの器が完全に具わっておりませんでしたから、それ程の損失もないのだと云えば、云われないこともないでしょうが、あなたは私と違います。あなたは父母の膝下を離れると共に、すぐ天真の姿を傷けられます。あなたは私よりも可哀相です」
「心の中」の独白では、作者の語りは退いている。とはいうものの、すでに他人の衝撃は緩まり、整理されつつある。
単なる作者の趣向ではなく、意識の隙に吹き込む風、無意識を動転させる他人は、次のように現われる。
「じゃ此方でも簡潔に結論を云っちまう。果して由雄さんが、お前のいう通り厳格な人ならばだ。到底悪口の達者なお前には向かないね」
こう云いながら叔父は、其所に黙って坐っている叔母の方を、頷でしゃくって見せた。
「この叔母さんなら、丁度お誂らえ向かも知れないがね」
淋しい心持が遠くから来た風のように、不意にお延の胸を撫でた。彼女は急に悲しい気分に囚えられた自分を見て驚ろいた。
朝、台東区図書館へ。去年、三筋町からかっぱ橋筋に移ったのだが、こちらに来るのは初めて。全館ガラス張りで、下には池波正太郎記念館になっている。
池波正太郎が昭和40年に生家跡を訪ねた際の「浅草行」のスケッチと写真が展示されていて、あらためて鬼平犯科帳冒頭でたどられる生家の記憶のありようを確認する。
郷土資料室は、ぐっと充実した。以前は書庫にあったり整理中だったものがどーんと開架で並んでいて、わ、小門勝二がこんなに、わ、こんな六区の写真が、おっとこの土地台帳は、などなど、とにかくパラダイス。コピーしまくる。
当時の十二階付近(千束町二丁目南部)の土地権利はかなり細分化されていて、その意味でもまさに「十二階下」というラビリンスだったことを知る。松崎権四郎と文治は浅草田甫を持っていた名士だけあって、大正期にはあちこちに土地を持っていたことも分かる。
14:00から雷5656(ごろごろ)会館で浅香光代公演。浅香風(もしくはサッチー風)メークの人々がエレベーター前にあふれ、中は大入り満員。受付そばには梨本勝やらデイブ・スペクターからの花輪目に入りやすいところに置いてある。
第一部「天竜恋しぐれ」、第二部「春夏秋冬ショー」。女剣劇とはいえ、さすがに浅香光代の殺陣は丁々発止のやりとはいかない。よろよろと足を動かしながら、受け手を決め、あとは若手がころりころりと倒れていく。体は動かずとも決めるところは決める。魔法のように相手が転がる。年寄りにはぐっと来る動きである。
そして、やはり盛り上がるのはトーク。とくに今日は楽日ということもあって、客席からゲスト観客が出てきて、お約束の「脱税」話。しかし、はかま満緒といい市川森一といい、これという意味もない、しかし年寄りがいかにも「ほう」と声をそろえて感心しそうなことを、よくあれほどまでに聞き手をとらえて話せるものだ。そして幕間には紙袋に入ったミッチー人形焼がじゃんじゃん売れる。
藤原さんの話では、人力車の後ろに掲げてあった宣伝の看板を持っていたファンが客席にいたという。おそらく車夫に頼んで譲ってもらったのだろう。
最後には、楽日にあたって公演での座員への表彰という内輪の儀式、その賞状ひとつ渡すにも、この役者が養子に行った、この役者は女房に逃げられたと、軽いくすぐりを入れながら退屈させない。内輪ネタほど盛り上がるという、「一座=家族」の図式は大衆芸能の基本だ。
やぶそばでざるを食って浅草を出る。
東京は小春日和で暖かい。ジャケットがいらないくらい。例によって浅草で自転車を借りてあちこち走る。
まずは言問通りを西へ、JRを越えて文京区の弥生美術館へ。「おすもうさん展」は、錦絵、おもちゃ絵からメンコに至るまで相撲関係の刷り物や出版物で相撲の歴史を見る企画。ちばてつやや岡野玲子など相撲マンガの生原稿も。
3Fには高畠華宵の挿絵がまとまって展示されている。華宵の描く男の子って、あの細い眉をぎゅっとひそめてるところがエロなんだよなあ。表情に精神のMが漏れてるのだ。
隣の竹久夢二館へ(中でつながっている)。『中学世界』の挿絵や『都会の詩』など、十二階の絵が数点あった。いずれも影のようにぬっと立っていて、「層々暗き十二階(芥川龍之介)」という感じ。花やしきの裏通りから見るめずらしい構図もあり。
下町風俗資料館へ。「正岡子規が生きた明治」展。ここにも十二階。「雲の峯 凌雲閣に並びけり」。もうひとつ、もしかしてと思って捜したらやっぱりあった双眼写真。子規は古島一雄(古洲)に「双眼写真」(ステレオ写真)を送ってもらったことを病床六尺に「嬉しくて嬉しくて堪らんのだ」と書き残している。
そのことは昔「ステレオ」という本に書いたのだが、じつはまだ実物を見たことがなかった。それがちゃんと展示されていた。神田の「活画館」製の双眼写真で、東京名所や日光、田子の浦などのほか、昆虫の標本を紅葉を散らすように並べたもの(蝶のもの1枚、蝉や蜻蛉など一枚)があった。病床六尺に描かれていた、澱粉の顕微鏡スケッチを思い出した。
夕方、人力車の時代屋の事務所を覗いたら藤原さんがいたの少し話。明日の浅香光代の公演に招待して下さるとのこと。
夜、金寿司で軽く食べて演芸ホールへ。中に入ると七福神の絵がどーんと後ろに描かれていて、いかにも正月気分。ちょうど宮田章司の物売りの声真似が始まったところ。孝行糖から田楽売りの東西、そして七色唐辛子。七色唐辛子の口上は、酉の市のときに夜店で聞いたことがあるが、まさにこういう声だった。これは幸先よく気持ちいい芸を聞いた。柳橋の平べったい話っぷりで「かわり目」の前半分をいただきました、桃太郎の代演に小円右(小円遊って読む人がいるんですけど、という前フリに「ほー」と感心する正月客)、東京ボーイズ!(わわわわー、中之島ブルース。仲八郎の切れのよさに、顔を見てるだけでなんともいえないヒゲの菅六郎)、小柳枝、キャンディ・ボーイズ(傘の上でおめでたくもささやかに鳴る駅鈴)、トリは米丸。米丸師匠、何度も「昭和二十一年に入門」を繰り返す。そうか、あの声だとなんだか若く感じるけどもう77なんだな。
東京へ。赤羽の冨田さん宅へお邪魔して十二階経営日記や台帳を拝見。台帳にはコーヒー代から芸人への立て替えなどが細かく書かれてあって、ページをめくるごとに当時の経営の厳しさを見る思い。
夜、石井さん、剛田さん、弥生美術館の松本さんと幸楽で飲む。
卒論指導。ゼミ生が四人並んでタコ部屋状態。
ずっと卒論指導。
いよいよ卒論が押し詰まってきて次々指導。
大学の情報室のSPSSをインストールし直す。というのも数量化プログラムのバージョンが古くて、ロングネームのディレクトリを受けつけないからだ。えらく時間がかかる。
今年最初の講義とゼミ。
今日の5連:
1:「ジョアン 声とギター」
2:ファジル・サイ「サイ・プレイズ・バッハ」
3:ポリーニ「シェーンベルク・ピアノ・ミュージック」
4:グールド「バッハ・リサイタル」
5:青山陽一「Songs to remember」
正月気分が抜けた証拠にCDを変える頻度が減り、ズボラという名のヘビーローテーション化が生じている。
印刷に版ズレがあるように、青山陽一の声はどこかフォルマントずれしていて、どの母音も日本語からちょっとだけはずれて響く。そのせいで曲のところどころに「いまなんていったの?」な箇所があって、そういう箇所ほど何か大事なことを聞き逃した感じがする。きみのことばははやすぎてききとーれない。
大阪で会話分析研究会。中越さんのレヴューでKitzinger,C. and Frith,H. の、「イヤなことはイヤといいましょう法」は正しいか、という論文。セクハラ対策や交流分析などでしばしば使われる「理屈をつけて引き延ばさずにはっきりノーと言おう」という方法は、じつは会話の本来のあり方からするとはずれてるのではないか、という内容。会話分析の論文には珍しく?論旨の明快な論だった。ただ、この論文は、「ノーをはっきり言うのは無効だ」という意味で読むとつまらないのであって、「言いにくいノーをはっきり言わされる方の身にもなれ」と読むべきなんだろう。つまり、女がノーと言えるかどうかという問題以前に、ノーといわれなければ分からない/引き下がらない男の方が問題なんじゃないの?という話。
今日の5連:
1:「ジョアン 声とギター」
2:ファジル・サイ「サイ・プレイズ・バッハ」
3:ポリーニ「シェーンベルク・ピアノ・ミュージック」
4:グールド「バッハ・リサイタル」(声がなくてガキガキした音にした方がものが書きやすい)
5:スティーリー・ダン「The decade of...」(「FM」を聞きたいから)
起きてからこの前買った和服を羽織ってこの寒いのに草履で出かける。歩幅が狭まって、どうしても日和下駄の速さになる。小便をしようと前をはだけると、裾にためた暖かい空気を全部逃げてしまう。席に戻ってまた空気がこもってくる。
足袋は福助足袋。とはいうものの、まだ足になじんでいないせいか、足先が寒いのやら足袋が寒いのやらわからぬ冷たさがじんわりと足首から先を包んでいる。哀切極まる福助足袋テーマソングを思い出す。
ゆうべみゝずの 泣く声きいた
あれはけらだよ おけらだよ
おけらなぜ泣くあんよがさむい
足袋がないから 泣くんだよ
おけらにあげよか 福助足袋を
こはぜが光るよ ちょいとごらん
(作詞、サトーハチロー 作曲、三木鶏朗)
この歌のすごいところは、足袋とはもっとも無縁の動物の声で始まるところである。
『彼岸過迄』読了。探偵小説ではなく、探偵失敗小説。犯罪や不倫という結末はなく、探りうかがう行為は裏切られる。自然主義という探偵は裏切られる。裏切られない自然主義は敗北する。この小説の「結末」は軽いサゲである。
探偵は失敗し、探偵に誘った杖の魔が残る。杖の魔は探偵ならぬ遊民をなおも誘う。探偵への告白、探偵の報告は、『行人』『こころ』において「手紙」となる。
5連CDに入っているものを列挙。
1:ジョアン・ジルベルト「ジョアン 声とギター」
ジャケがすべてを表わしている。静かに。そしてただ耳を傾けること。キーボードを叩く音さえはばかられるので、これをかけたら仕事は休み。
2:ふちがみとふなと「アワ・フェイバリット・シングス」ふちふなのカバー集。ええ曲満載。ちょっと泣ける。自業自得。でもあんまりくよくよ、しないでね。
3:Joep Bruijnje 「Medicine Vitamins」Bastaのコンピに入ってた曲がよかったので買う(同下)。1987年のアルバムだが今聞いても楽しい。いい曲が多いからなんだ。後のパスカル・コムラードやクリンペライを感じさせるところもあるし、ピーター・ブレクヴァドのメロディラインにも通じる。バスタのチョイスにはやられっぱなし。
4:Fay Lovsky & la Bande Dessinee「#Numbers」レイモンド・スコットを多く出しているオランダのBastaが精力的に出しているフェイ・ロフスキ(と読むのかな)のアルバム。Bastaのサンプラーに入っている曲がとてもよくて一気に5枚買ったのだが、どれもすばらしい。その声はフィービー・スノウのようにふくらみがあってダグマー・クラウゼのようにさりげない。
彼女はボーカルのみならず、ギター、バイオリン、キーボード、はてはテルミンまでさまざまな楽器をこなすのだが、単に珍しさをひけらかすのでなく、どの楽器もまるで電話の呼び出し音のように思いがけないところで的確に鳴る。
そして大事なこと。曲がいい。ブライアン・ウィルソンの影。
5:スティーリー・ダン「エクスタシー」マイ・オールド・スクールを聞くため。
午後にゆうこさんと京都へ。高島屋で和服を買う。渋沢青花の文章を引き写していたら、たもとに何か入れたくなったから。とは言え、和服初心者なので、まずはいい加減な五点セットを。
帰ってさっそく服を着てみる。なにしろ小学校の剣道着以来、まともに和服なんぞ着たことがないから、襦袢と羽織の重ね方もわからない。
『彼岸過迄』を読み出す。漱石はこの小説の連載を明治四五年の正月から始めた。物語は、正月の緩んだ気分に気鬱をかぶせるような、湯屋の会話で始まる。年頭に読み出すにはちょうどよい。
「僕の事はどうでも好いが、貴方はどうしたんです。役所は」と聞いた。すると森本は倦怠そうに浴槽の側に両肱を置いてその上に額を載せながら俯伏になったまま、
「役所は御休みです」と頭痛でもする人のように答えた。
「何で」
「何ででもないが、僕の方で御休みです」
敬太郎は思わず自分の同類を一人発見したような気がした。それでつい、「矢っ張り休養ですか」と云うと、相手も「ええ休養です」と答えたなり元の通り湯槽の側に突伏していた。
昼過ぎ、大矢先生宅へ内祝いを届けにあがる。小学生のときに伺って以来だ。いまはあのときの家ではなく実家におられる。
バスは昔通った小学校のそばを過ぎる。校舎は多少塗り替えられたもののほとんど構造は変わっていない。あの渡り廊下に購買部があったっけ。なつかしいでんな、「購買部」。はい、みなさんごいっしょに、「購買部」!(と、南光が「胴斬り」でやっていた)
お話しながら、いまはまるで変わってしまった通学路のこと、病院わきの道や茄子作の池や万代百貨店のそばを通った時間を思い出す。もう30年くらい、思い出すことのなかったことだ。
子供の頃の土地の記憶は、単に美しい記憶ではない。どこに住んでもそうであるように、近寄りにくい場所、近づいてはいけないであろう場所、大人は近寄るなというが近づきたい場所があって、どこそこの角を曲がるたびに、道を選びとるたびに、理由の知れない微細な禁忌のようなものに縛られていた。自分を好むように誰かの家に行き、自分に気おくれするように迂回し、自分を厭うように遠ざけた。
禁忌のいくつかは大人からのいらぬ世話によって生まれたし、それに対して納得のいかない感情が生まれもしたが、いらぬ世話だとはねのけるだけの知恵も力もなく、それでいていらぬ世話をどんな世話とも知らず受け入れる程度のずるさは身につけていた。そうしたずるさが今にいたるまで澱のように自身の中にたまって、ノスタルジーに浸ることを拒む。三つ子の屈託は百まで続くだろう。
帰りに梅干をいただき、車で送っていただいた。
彦根へ。道には雪が積もっていた。
実家。一日親としゃべる。
大矢先生に電話。
夜、猫伝を読みながら寝る。
実家に戻る。三ヶ月の甥にいろんな韻律で語りかけてみる。
小学校のときの恩師、大矢先生から昨年出した本へのお祝いが届いていた。電話してみると、「ああ、ほそまくん」という声がして、その声があまりに生々しく、ああ、この声で、こんな風に自分は確かに何度となく呼ばれたと一気にわかって、涙が出る。声をきいただけで、何かを思い出す間もなく、ある時間に一度にたどりついてしまった。
先生が、理科の実験のときに使う硫酸紙が足りないので実家の文庫本の薄い紙をはがして来られたことや、新聞なのかミニコミなのかよくわからないものを作ろうとするぼくのためにボールペン原紙を惜しげもなく下さったことを思い出したのは、電話を切ったあとのことだった。
夜、BSでブロードウェイの舞台裏に関する番組。スウィング・ダンスという概念。マクニールや喜多荘太郎氏の研究に出てくる「スウィング」という身振りには深い地層があることを知る。