月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12



19991215
米原から東京へ。神田で絵はがき。絵はがき屋では奥で店員がビニル袋から絵はがきを取り出して分類中。ここの絵はがきのほとんどは、こうした編集の産物で、こちらも編集作業にお金を払ってるという感じ。樺太、震災ものなど、なるほどよく分類してあるのだが、ぼくはむしろ骨董市のように、引き出しの中身に直にアクセスさせてもらって、はがきの持ち主のプロフィールが見るような渉猟が好き。それでも数千円ほど買う。しかし何者なのか、世界探検家菅野力夫。絵はがき屋ではよく見かける人物なのだが、国会図書館で人物事典調べても出てこない。

「カタって」/花岡安佐枝、高橋悠治。花岡さんは「耳を澄ますように身体を澄まし、そこにあるものたちに触れることで生成するダンス」について語り「ダンサーは、受像機であり、変換機に過ぎない」と、踊り手の「受動性」について語る。そのとき、手の甲を向こうに向けながら腕を倒す。その、あたかも声を出すのを促すようなしぐさ。掌は身体のこちらがわに向けられていて、「受動」的に見える。いっぽう腕は身体の向こう側に出されることで能動的に見える。する/される。掌と腕が一挙に受動と能動を表してしまうしぐさの表現力。
悠治さんの話はあたかも講話のごとく、質問の時間のないまま終わる。レジュメとメモから書き写しておく。

余白をまとう=のがれるという感覚/飛白を内に=散るという感覚
飛白というのは、スピードをつけて書いた墨字の中にできる空白のこと。
「絡まる枝を振り切って 風はのがれてゆく」自分が逃げる、ではなく、逃れられた痕跡となること。
「虹は空にはない そうでなければ なぜ消えるのか」

ちょうど来てた中ザワさんが「オフレコなんだけど」と差し出すメモには「方法音楽」の文字。打ち上げのとき悠治さんの向かいに座ったのだがメモをことばにするにいたらず。ピューリファイ!の藤井さんともほとんど話さなかった。単にアガってたのかも。
そのピューリファイ!を悠治さんがうたにした「泥の海」は来年2・13に世田谷パブリックシアターでとのこと。

足立さん宅泊。方法神社、というのを思いつく。方法神社は参拝と祈願を禁じ方法によって祭る、というのはどうか。
19991214
5年前に雑誌に連載していた「グミ脳」というテキスト。画面とテキストとテクノロジーの話。読み直したらいまでもじゅうぶん読めるので、ぼくと時代の関係の進歩のなさにあきれて再掲。
19991213
ビブリボン。いいねえ、あそびかた。
まずはドイツ語講座を軽くこなす(ただしビブリボン)。次は志ん生。なんまんだぶなんまんだぶ、はLボタン。ホロヴィッツのスカルラッティ。いい絵と音。みとれてると最後までたどりつけないけど、この綱渡りのスカルラッティの静かなこと。米朝の「狸さい」を全部聞いたよ(ただしビブリボン)。
19991212
インセクトタブーライブ。
世界の人口レーニン。ぴかぴかの駝鳥。人とおんなじだね。などなど、前にも後ろにもひとけのないむしむし大行進。おそるべし虫博士。人間よ、もうよせ、こんなことは。暴力反対。
古澤健「怯える」の引き。遠いバン。ぼくは「嫌な感じ」よりも「遠い感じ」に心引かれました。
終演後、メンバー、じゃいさんがうちに来てマンガ喫茶状態。古澤さんのリクエストでモンティ・パイソンを見てると、ここでも「引き」。取り返しのつかない遠さ、そしてその遠さを目撃しちゃうこと。

カメラは誰の目を借りているか。カメラの目を借りることで何が見る側に憑くか。見たいものが見たいように見えているときは「憑いてる」感じがしない。何かが動き、それが何なのかに突如気づくときの「憑いてる」感じ。遅れ。遅れを産み出す遠さ。とりかえしのつかなさを産み出す遠さの持続。
19991211
米朝一門会。
吉弥「狸さい」米平「正月丁稚」南光「胴斬り」
中入り後、雀松「マキシム・ド・ぜんざい」米朝「かわり目」。
おもしろかったのは米平の後の南光。米平は自称「110(kg)の王」というほどの巨漢で、声が豊かでよく響く。その後にやった南光の声は風邪を引いてるのかと思うほど尖ったかすれ声。モジュレーターがかかって、そのがさがさ声の半分が金屏風の向こうから聞こえるかのよう。胴を半分に斬られた男が脚と頭に分かれて麩職人と番台を勤める、がさついた声が切れ込みを入れる。
途中、解説が入って話までまっぷたつ。
オチがひらめいた客が大声でオチをつぶやくときがある。「そこで問題です」というかけ声のないクイズ。
米朝の「かわり目」にはオチらしいオチはない。ただ酔態の流れる様を楽しむ。

の安売りで買った「パープル・レイン」。十数年ぶりに見た。Take me with U のシーンでこの曲にノックアウトされたはずだったのだが、今見るとすげえダサい。それでもプリンスのステージのスピードは改めて速い。毒を食らわば「エクソシスト」まで。カメラは誰の視線?
19991210
夜中過ぎにリモコンをぽんぽんやってたらジョン・ランディス「Into the night」。不眠症の男の話、夜2時にふさわしい映画。
19991209
冬だ休みだ図書館だ。図書館の休館日のメモ。都立図書館は18日から1月いっぱい休みだよ。

ルベさん来訪、山ほど飲む。
日本語にインクルードされるもの。たとえば、「ちょうだいさせていただきます」「たべさせていただきます」行為者はこちらなのに、あたかも相手の行為をこちらが受信するような言い回し。ときには相手の行為のないところにすら相手の行為を発生させる仕組み。
19991208
「関連性理論」は基本的に発信者の理論だ。そこに欠けているのは、漏れること。つまり、情報意図が歪んだり、あるいは情報意図なき行動が資源として使われる、という現象だ。会話分析では、この「資源」という考え方がキーポイントになる。「情報」とか「伝達」ということばには、発信者の意図がうっすらまとわりついている。だから「情報」「伝達」ということばではなく、「資源」ということばで意図から切り離す。このことで、意図なしの行為が扱えるようになる。つまり、漏れることを記述するには、受信者の理論が必要となる。
金沢創「他者の心は存在するか」はデネットのレベルを導入することでこの問題にひとつの形を与えている。
その指摘で重要なのは、発信者と受信者がともに、「私」という像を思考に繰り込むことで、異なる質のコミュニケーションを発生しうる、ということだ。つまり、「私」の登場とともに、発信者と受信者は同時に新たなステージを獲得する、という点だ。

「関連性理論」の訳書では「manifest」ということばは「顕在的」、「mutual manifest」は「相互顕在的」と訳されている。ちょっと座りが悪い。
manifestとは、「意識に表れる」ということだ。だから「mutual manifest」は「お互いの意識にのぼる」という意味になる。
 つまり、「関連性理論」は、「manifest」ということばを使うことによって、じつは意識と無意識の往復、つまり注意の問題に関わっている。そして関連性理論では明確に語られていないが、じつは意識せずにある行為に影響を受けること、あるいは意識せずにある行為を行うという現象が、この理論の周辺に広がっている。「漏れること」はいわば、サブリミナル関連性理論の位置にある。

宇波さん来泊、DJけろっぐの曲をちっちゃくデュオ。
19991207
 「関連性理論」がわかりにくい理由のひとつに、この本がトラブルをあまり扱っていない点がある。うまく行っているとき、人はなぜうまく行っているかを反省したりはしない。トラブルが起こったときはじめて、なにを間違ったかを考え始める。というわけで、「関連性理論」に何度も登場するピーターとメアリの話を、トラブルにアレンジしてみよう。

 たとえば、ピーターとメアリが親しく公園でお話していたとする。そこに、二人が苦手なウイリアムが現れたとする。が、メアリは話に夢中でウイリアムが近づいてくるのに気づいていない。ピーターはさりげなく軽く体をそらす。メアリはたずねる。「なにやってんの?」
 じつはピーターはいちはやくウイリアムに気づいていた。が、自分が影になっているのでメアリはウイリアムに気づいていない。そこで、体をそらせてメアリにも気づかせようとしたのだ。恋人というのはこうして、口で言えばいいことまでわざわざ体で示したりするのだ。
 ピーターは内心「あー、もう!」とか思いながら、しかたなく、メアリをこずく。このときメアリはようやく話をやめてウイリアムの存在に気づく。しかし、時すでに遅し。ウイリアムは二人を見つけて明るく挨拶する。「うす!」そしてウイリアムの長話が二億六千年続く。

 「関連性理論」という本は、野暮天に恋愛の資格はない、ということを説いている本だ。野暮天とはどういうヤツか。それは情報意図と伝達意図がわからぬヤツだ。メアリがその野暮天である。
 情報意図とは何か。それはピーターが、身をそらしながら「ウイリアムが来た」ことを伝えようとする意図だ。伝達意図とは何か。それは「こんな風に身をそらしてさりげなく言いたいことを伝えたりする、イケてるオレ」を伝えようとする意図だ。
 しかし実は、メアリが野暮天なのではなく、ピーターこそアッチッチで勘違い野郎なんじゃないか、と考えることもできる。なるほど、ピーターは気を利かしたつもりかもしれない。ピーターが身をそらしたおかげで、メアリがウイリアムに気づく可能性は、少しは高くなるかもしれない(このように、可能性が高まることを、「より顕在的になる」と言う)。が、それは少し高くなるに過ぎない。メアリが話に夢中だったり、ピーターのことしか見てなければ、ピーターの気配りは空振りに終わる。

 ここで別の場合を考えよう。ピーターが体をそらした。メアリはウイリアムに気づいた。そしてピーターに誇らしげに言う。「なにやってんの、ウイリアムが来たじゃない、早く行きましょうよ。」ピーターは心の中で思う。「オレが気を利かせてやってんのにこのバカ」。
 メアリがウイリアムに気づいたのだから、ピーターの目標は達成されたはずだ。なのに、なぜピーターは「このバカ」と思うのか。メアリにとっては、たまたま、ウイリアムの姿が眼に入っただけのことだ。メアリはピーターがもたらした情報には気づいたものの、それがピーターのおかげだとは気づいていない。ピーターは単にウイリアムに気づいて欲しかっただけではない。「オレが気を利かせた」ことに気づいて欲しかったのだ。つまり、情報に気づいて欲しかったのではなく、情報意図に気づいて欲しかったのだ。このように、情報意図に気づいてもらおうとする意図を、伝達意図、という。
 伝達意図が伝わるとはどういうことか。それは、メアリがウイリアムに気づき(つまりピーターの情報意図に気づき)、さらに、そんな風にさりげなく危険を知らせてくれるピーターったらもう!ステキ!と思うということだ。
 ピーターにとって、自分の情報意図は明らかだ。そして、メアリがピーターの気配りを理解するとき、メアリにも情報意図は明らかになる。このとき、情報意図は「相互に顕在的 mutual manifest」になるという。
 話に夢中なメアリに対して、ピーターは体をそらすというさりげないしぐさで注意をうながす。この、注意をうながすことを、「認知環境を変える」という。

 伝達意図の伝わりにくさこそが、人を恋に駆り立てる。伝達意図は、自動的に伝わるのではない。それは賭けである。たぶん、ピーターはストレートに「ウイリアムがきたよ」とメアリにささやけばよかったのだ。が、ピーターは身をそらすことで賭けに出た。地味な賭けやねえ。しかし地味な賭けでも敗者は生まれる。トリュフォーの映画が恋愛映画なのは、賭けに負けることを描いているからだ。
 「関連性理論」は、「公然」ということばの代わりに「顕在 manifest」ということばを使うことで、コードモデルがコミュニケーションから奪っていた「賭け」の要素を取り戻した。で、伝達意図だの認知環境の変化だの顕在化だのの重要性を盛んに説くことで、恋愛ってすばらしい、伝達意図を伝えることができる人間ってすばらしい、と説いているのだ。ね、いやったらしい本でしょ?「関連性原理」の著者の一人、スペルベルがおフランスなヤツだ、というのは、そういうことだ。
19991206
インセクト・タブー彦根ライブが間近。12/12(日)3時からです。古澤健の上映会もあるぞ。ぼくは当然行くのですが、来ません?

蛭川立「性・死・快楽の起源」(福村出版)。クオリアMLに書評
19991205
EV FILEを移転。容量が増えたので、ついでに昔のフロッピーマガジンGumi Brains!をダウンロードできるようにした。1900年代に花束。もはやデッドメディアすれすれのハイパーカードだけど、まだG3でも動きます、というか、音関係はG3でようやく満足な動作環境になってきた。Tile Composerでその実力をお試しあれ。
19991204
ところで今月の日経「私の履歴書」は白川静だ。

昨日の正解は
1.神奈川県・大阪府・東京都・千葉県
2.放火(もしくは放火の疑い)・たばこ・たき火・ストーブ
の順でした。神奈川が一位というのはちょっと意外なんだけど、今年でかい火事があったっけ?負傷者数では、東京・大阪・神奈川・千葉と、人口の順になる。
放火(もしくはその疑い)が出火原因の一位というのは、消防関係者にとっては経験上ナットクの事実らしい。問題は、たき火が意外に多いってことで、これは林野火災も含めた統計だから。ちなみにここにはあがってないが、こんろは建物火災のトップ。
くわしくは防災資料室の統計を

 あのビル・ゲイツも絶賛する?「Media Equation」おもしろかったので一気読み。
 羽尻氏から、あれはオーバージェネラライズのかたまり
だってツッコミが入ったんだけど、えー、その針小棒大なところがいいんじゃないですか。反論をどれだけ思いつかせるか、はおもしろさの指標のひとつだよ。それに、どれも実験の手順を示してあるから、どこで飛躍してるかちゃんとわかる。ツッコミやすいわけです。ライフスペースが「体温11度だから生きてる」というときのわかりやすさに似ている。

 ちなみにたいていの応用研究がそうだが、「人は○○する傾向がある」という結論が、「人は○○する」にすりかわるときに、話は面倒になる。たとえば、「人はパソコンにポジティブなことを言われると機嫌がよくなる傾向がある」という結論を「人はパソコンにポジティブなことを言われると機嫌がよくなる」にしちゃうと、世のソフトウェア開発者はこぞってパソコンにおせじを言わせることになるかもしれない。うー、考えただけでも鬱陶しい世界だ。
 で、「Media Equation」にもそうした一般化が見える。で、開発者は、おせじをデフォルトにするのではなく、おせじという選択肢を増やせばいいわけです。
 その他、彼らの実験に対していくつか反証実験を思いついたけど、それはまた別の機会に。
19991203
消防学校で災害心理学講義。意思決定や推論モデルの話を援用しながら、現場での判断とコミュニケーションについて論じる。
心理学でよく言われる「専門家ほど自分の専門領域を過信しやすい」という現象は消防士にもあるのかもしれない。火災統計に関するいくつかの問題を解いてもらい、答え合わせの前に自己評価してもらうと、成績の良し悪しに関わらず、23人の幹部候補生全員が自分の成績を過大評価した。こんなにクリアに結果が出るのなら、専門外の問題も解いてもらえばよかったな。
 その問題からいくつか。答えは明日。

■平成11年度上半期(1月〜6月)における全火災について以下の問題に答えてみて下さい。

1.次の都道府県を火災による死者数の多い順に並べること。

. 東京都
. 大阪府
. 神奈川県
. 千葉県

2.次の出火原因を多い順に並べること。

. たばこ
. 放火(もしくは放火の疑い)
. ストーブ
. たき火

もうひとつ、最近某所で流行っている「読心術」をスタック化して講義中に体験してもらった。7,8人ずつ3組に分かれてモニタを見つめてもらったのだが、おもしろいことに、最前列にいた人は「消えた!」と挙手するのに対し、後ろからのぞきこんでいた人は挙手しなかった。後で聞いてみると、マークを読み違えたのではないらしい。まさに岡目八目。
19991202
うーーーーー米(まい)!「と〜がないから琵琶湖もキレイ!」とがずに炊けるパールライスのCMソング強烈過ぎ。むろん、びわ湖放送(BBC)ローカル、なんだろうな。滋賀祭典でよかったね。
TVチャンピオンで、70年代にNHKでやってたイタリア制作「ピノキオ」実写版の音楽が流れる。懐かしすぎ。もしかしてCDあるのか?放映の翌日、教室でこの曲をリコーダーで吹いてた伊藤敬子さんはいまどうしてるのであろうか。
どっちの料理ショーはいつもながら、やたら編集細かい。料理の紹介などは音楽とのシンクロぶりが半ばMTV。
19991201
夜、ACTで総務会。花しょうぶの居酒屋に流れて2時まで。1年と1ヶ月を過ぎ、ACTもひとつの節目に来ているようだ。

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