- 19991207
- 「関連性理論」がわかりにくい理由のひとつに、この本がトラブルをあまり扱っていない点がある。うまく行っているとき、人はなぜうまく行っているかを反省したりはしない。トラブルが起こったときはじめて、なにを間違ったかを考え始める。というわけで、「関連性理論」に何度も登場するピーターとメアリの話を、トラブルにアレンジしてみよう。
たとえば、ピーターとメアリが親しく公園でお話していたとする。そこに、二人が苦手なウイリアムが現れたとする。が、メアリは話に夢中でウイリアムが近づいてくるのに気づいていない。ピーターはさりげなく軽く体をそらす。メアリはたずねる。「なにやってんの?」 じつはピーターはいちはやくウイリアムに気づいていた。が、自分が影になっているのでメアリはウイリアムに気づいていない。そこで、体をそらせてメアリにも気づかせようとしたのだ。恋人というのはこうして、口で言えばいいことまでわざわざ体で示したりするのだ。 ピーターは内心「あー、もう!」とか思いながら、しかたなく、メアリをこずく。このときメアリはようやく話をやめてウイリアムの存在に気づく。しかし、時すでに遅し。ウイリアムは二人を見つけて明るく挨拶する。「うす!」そしてウイリアムの長話が二億六千年続く。
「関連性理論」という本は、野暮天に恋愛の資格はない、ということを説いている本だ。野暮天とはどういうヤツか。それは情報意図と伝達意図がわからぬヤツだ。メアリがその野暮天である。 情報意図とは何か。それはピーターが、身をそらしながら「ウイリアムが来た」ことを伝えようとする意図だ。伝達意図とは何か。それは「こんな風に身をそらしてさりげなく言いたいことを伝えたりする、イケてるオレ」を伝えようとする意図だ。 しかし実は、メアリが野暮天なのではなく、ピーターこそアッチッチで勘違い野郎なんじゃないか、と考えることもできる。なるほど、ピーターは気を利かしたつもりかもしれない。ピーターが身をそらしたおかげで、メアリがウイリアムに気づく可能性は、少しは高くなるかもしれない(このように、可能性が高まることを、「より顕在的になる」と言う)。が、それは少し高くなるに過ぎない。メアリが話に夢中だったり、ピーターのことしか見てなければ、ピーターの気配りは空振りに終わる。
ここで別の場合を考えよう。ピーターが体をそらした。メアリはウイリアムに気づいた。そしてピーターに誇らしげに言う。「なにやってんの、ウイリアムが来たじゃない、早く行きましょうよ。」ピーターは心の中で思う。「オレが気を利かせてやってんのにこのバカ」。 メアリがウイリアムに気づいたのだから、ピーターの目標は達成されたはずだ。なのに、なぜピーターは「このバカ」と思うのか。メアリにとっては、たまたま、ウイリアムの姿が眼に入っただけのことだ。メアリはピーターがもたらした情報には気づいたものの、それがピーターのおかげだとは気づいていない。ピーターは単にウイリアムに気づいて欲しかっただけではない。「オレが気を利かせた」ことに気づいて欲しかったのだ。つまり、情報に気づいて欲しかったのではなく、情報意図に気づいて欲しかったのだ。このように、情報意図に気づいてもらおうとする意図を、伝達意図、という。 伝達意図が伝わるとはどういうことか。それは、メアリがウイリアムに気づき(つまりピーターの情報意図に気づき)、さらに、そんな風にさりげなく危険を知らせてくれるピーターったらもう!ステキ!と思うということだ。 ピーターにとって、自分の情報意図は明らかだ。そして、メアリがピーターの気配りを理解するとき、メアリにも情報意図は明らかになる。このとき、情報意図は「相互に顕在的 mutual manifest」になるという。 話に夢中なメアリに対して、ピーターは体をそらすというさりげないしぐさで注意をうながす。この、注意をうながすことを、「認知環境を変える」という。
伝達意図の伝わりにくさこそが、人を恋に駆り立てる。伝達意図は、自動的に伝わるのではない。それは賭けである。たぶん、ピーターはストレートに「ウイリアムがきたよ」とメアリにささやけばよかったのだ。が、ピーターは身をそらすことで賭けに出た。地味な賭けやねえ。しかし地味な賭けでも敗者は生まれる。トリュフォーの映画が恋愛映画なのは、賭けに負けることを描いているからだ。 「関連性理論」は、「公然」ということばの代わりに「顕在 manifest」ということばを使うことで、コードモデルがコミュニケーションから奪っていた「賭け」の要素を取り戻した。で、伝達意図だの認知環境の変化だの顕在化だのの重要性を盛んに説くことで、恋愛ってすばらしい、伝達意図を伝えることができる人間ってすばらしい、と説いているのだ。ね、いやったらしい本でしょ?「関連性原理」の著者の一人、スペルベルがおフランスなヤツだ、というのは、そういうことだ。
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