ゼミで卒論生が、「あたし、なかなかデータを見てて自分でピンとくるものがないんです」という。うーむ。
ぼくはビデオを見てるとアイディア(という名の妄想)が沸きまくるのでついついあれこれ思いつきをくっちゃべるのだが、たぶんこんな風にやたら思い当たることがあるのは特殊な事情なのだろう。
特殊な事情なのだが、あえてそれがどういう事態なのかを内省してみると、おそらく、参与者の特定の一人に感情移入するのではない、別の種類の感情移入のようなものを行っているのではないかと思う。「ようなもの」としか言えないのは、それが言語化しうる「感情」のレベルの問題ではなく、むしろ「情動」のレベルの問題だからだろうと思う。たとえば、二人の手の動きに対して、音楽を聞くような感覚を立ち上げる。そのためには、さまざまな行為の束を、いったん複数の時系列に解きながら、もう一度それを練り上げるような感覚が必要となる。ちょうどオーケストラを音の塊ではなく、線の交差に聞くような感覚。
もしかすると、バッハが分かることと、ジェスチャー分析との間には、何か関係があるのかもしれない。
それはそれとして、学生に「ピン」と来ていただくための方策が必要だ。「いま!いまの見た?」とかそういう風にビデオをいっしょに見てるわけだが、もう少し「線」を明示する方法が必要なのかもしれない。
夜中、急に『デビルマン』が読みたくなりまとめ買い。昔はなんだかちょっと粗いなと感じていた真ん中あたり(フランス革命やニケの時代に飛ぶあたり)が、意外に悪夢度が高くておもしろく読めることに気づく。このあたりで、明と飛鳥との関係が確信犯的に描かれ始めていく。
ステップバックして見えてくるもの、というときにふと頭にのぼったのは「Let's Ondo Again」のあのフレーズである。
さあさあさあ「わ」になって「ゐ」になって「う」になって「ゑ」になって「を」どろう
この奇妙なフレーズはむろん「輪になって踊ろう」というところから着想されたのだろう。しかし、「輪になって」をループで繰り返し、その帰結に「踊ろう」を見据えたとき、あたかも「風街ろまん」の最終曲を思い出すように、「わゐうゑを」の滝の流れが目に入り、「おどろう」は「をどろう」になる。
「わ」と「お」を近視眼で見ているだけでは、このような地口にはけして至らない。かといって、ただ一歩引くだけでもこの地口は生まれない。まずひとところを繰り返すループがあって、スピンアウトするのに十分なループな遠心力があって、遠心力が飛んでいく手がかりがあって、ようやく「わ」と「お」は「わゐうゑを」というあざやかな運動を得る。
それを事後的に見ると、一歩のステップバックに見える。
作品を鑑賞するときはステップバックを愛でればよいのだが、作品を生むにはループとスピンアウトが必要だ。
かかわった本が次々と。
文藝別冊 大瀧詠一に「『聞くこと』を揺らすテクノロジー- 大滝詠一の諸活動に見る『どこにもナイアガラ現象』-」。自分の文章はさておき、冒頭の対談でいろいろ落ちる目鱗多数。とくにゾンビーズの「タイム・オブ・ザ・シーズン」の元ネタを「サマー・タイム」だと看破するときの、時代を「大きく取る」感覚。ステップバックしたときに見えてくるもの。
ユリイカ12月号「絵はがきの時代」(最終回)「画鋲の穴」。やっと終わってちょっとしみじみ・・・と思ったら早くも宮田さんからメールが。さて単行本化に向けてもうひとがんばり。
「一桁×二桁のかけ算 九一九(クイック) 」。あえて暗算でもできるかけ算の語呂を満載。もはやかけ算の効率よりも物語の構築のほうに主眼を置いている点で前作より奇書度は高いかもしれない。
講義の途中で喉が苦しくなる。風邪か。ボリュームを落としてなんとかこなす。夜は寒くなってきた。近くの焼肉屋でチゲ鍋。
朝、明らかに二日酔いの頭を支えつつ、服部邸を辞し、彦根へ。うみかぜシンポジウム「「食」と保育」午後の部に滑り込む。
外山紀子さんの食事場面観察の話は、「今日いっしょに食べようね」という園児のことばをきっかけに、「いっしょに」が意味するものを探るべく、食事場面での着席パターンを探っていくというもの。二歳児では、ほとんどの場合、エピソードにかかわる園児どうしはヨコ並びで、向かいに座った者どうしではエピソードに加わりにくいという。食事というのが、じつは食べるだけでなく、食べ物や器を見ながら話すコミュニケーション場面であるというとらえ方。
東京地方では「○○もってる人手をあげてー」という発話が園児でなされることがよくあるという。そういえばぼくは関西育ちだが、小さいときに「○○もってるひと手えあげて」という発話をしばしばしていたような気がする。あれはどこからどこへ広がっている文化なのだろうか。
石黒広昭さんの食行為論は、環境が行為によって変形され、変形された環境が行為を制約するという見方を食の場面に当てはめていくという流れで、なんとも刺激的だった。赤ちゃんのいる家庭によくある、足が長くて小さな背ととアームがついている椅子は、机にくっつけることで、じつはその子ができることを制約する(食事に向かうしかないように体を拘束する)という例を皮切りに、食べることがいかに制度化されているかを問い直す内容。聞いているうちに、「そういえばなぜ、皿からはみ出たものは食べ物ではなくなるのだろう?」「フォークの背にご飯を乗せるかどうか以前に、なぜフォークを使うことが食べることに求められるのだろう?手づかみのほうが簡単なのに」「じつはわれわれは「ガラスの仮面」の金谷さんのごとく、なんでも手づかみで食べてればいいのではないか?」などと、食に対する考えがどんどん緩くなってくる。
食事中に11ヶ月の乳幼児がテーブルに向かったりのけぞったり手足を浮かしたりと姿勢を変えるところに、石黒さんは「情動変化」を読み取り、「保育士はこうした姿勢変化に敏感に反応している」と言う。それでダマシオの情動論のことを思い出した。
ダマシオの情動論では、姿勢の変化が基本的情動の重要なあらわれとしてあげられる。情動だから、それは意識の届かない深いところで起こる変化である。つまり、姿勢は情動を漏らす。ダマシオの論では、しかし、そこから先がいささか弱い。情動がインタラクションにどう響くのか、という話がいまひとつ希薄である。
この赤ちゃんと保育士の例は、まさに情動がコミュニケーションの場面でどう扱われうるかを示している。赤ちゃんの食に対する情動は、姿勢によって漏らされる。赤ちゃんは自分がどんな情動を発しているか、意識しているわけではない。しかし、赤ちゃんの内的状態がどうであれ、保育士は、漏れ来る情動(姿勢)を使って、差し出した食べ物を赤ちゃんの口に近づけたり、さっと退けたりする。
おそらく、このようなやりとりは、赤ちゃんの食場面だけに特有なものではない。わたしは姿勢、身構えによって、自分の情動を思わず知らず漏らすのだが、いったん姿勢として漏らされた情動は相手から観察可能なものになる。そして相手は、その漏れ来る情動に対してなにがしかの行為を返す。すると、わたしは返ってきたその反応によって、それまで意識していなかった自分の情動を、目に見えるものとして感じることができるようになる。つまり、相手の行為を通して、わたしは自分の情動を、感情化する。
誰かを通してわたしは情動を感情化する。わたしたちは、感情こそは自分の個人的なできごとだと思っていて、だからこそ、笑うとか泣くとかいうことを自分の体験として日記に書き留めるわけだが、じつのところ、感情とは、他人の行為が投げられたときに起こる産物ではないか。自分の意識せざる情動に対して、誰かが適切なタイミングで行為を投げてくれるときに初めて、わたしは自分の情動を感情として受け止めることができるのではないか。
そういえば、映画を見ていてひときわ泣けるのは、単に涙を流している人を見るときよりも、その涙を流している人を見つめる相手がアップになったときのような気がする。あれは、単に泣くという情動に共感しているというよりは、物語によって励起されたわけのわからない情動が、他人の表情によって感情化させられるからではないか。
会が終わって、その場で飲み食いしつつあれこれと歓談。皿に盛られたカラアゲやエビフライに素手で手を伸ばし始めている自分のあやしい情動に気づいて愕然としながら、久しぶりにお会いした外山さんとよもやま話。竹下さんや明和さんや成松さんが、もはやしびれを切らして打ち上げモードに入りつつあるのを感じながら、しかし8時過ぎまで歓談は止まず。
ようやく部屋を片付けにかかったものの、乳幼児の食行動によって食の概念をぐらぐらにされてしまった今宵、われわれの食へのあやしい欲望はなおもうずきつづけている。というわけで、石黒さん、川田さん、松嶋さんと、彦根の隠れた旨い店「バスティアン・クントラリ」にて、ハモン・セラーノに舌鼓を打ち、食の限界を超えつつあるチーズの匂いにまかれながら夜半過ぎまで。
朝からビデオ発表。「応答詞「あ」は相互行為でどのように用いられるか」。社会言語科学会でやった発表のバージョンアップ。
その後はいちにち、動物行動学頭を復帰させるべく、ジャンルを問わずポスター発表を聞く。足がくたくたになった。井上陽一さんがテナガザルの新しいデータの発表をされていておもしろかった。なわばり境界付近で二家族が鳴き交わすのだが、オスどうしのやりとり→グループAの雌グレートコール→オスどうしのやりとり→グループBの雌グレートコール、という風に、変わった構造を持っている。オスどうしがぼそぼそ言ったあと、メスはガーン、という感じである。
懇親会には元日高研の面子もあちこち来ていて、旧交を温める。
会も終わり宿に戻るころ、服部くんから電話がかかってきて、フェスティバルだというので、三鷹から中目黒へ行くとすでに十時で、もう四時間もその店にいるのだというフェスティバルは、偶然に隣り合った客まで巻き込みながらえらい勢いで盛り上がっていた。
そこからさらに日吉に移動し、スティーリー・ダンとビーチ・ボーイズを聞きながら酒を飲みつつ、服部邸に転がり込む。さらにタカーチSQのバルトークをわしわしと鳴らし、カリキュラマシーン鑑賞会となったのだが、1回分を聞いたところでさすがに朦朧としてきたので布団に入らせていただく。
カリキュラマシーンの五十音が踊る音は、まるでフィルムに直接書き込まれたような(ノーマン・マクラレンみたいな)音だったけど、あれはどうやって出しているのだろう。
カプセルの目覚め。アプレシオにて発表準備。午後、三鷹へ。ICUの構内はひとけが少ない。紅葉が美しい。動物行動学会大会。出るのは数年ぶり。以前よりも行動生態学色が薄まって多様になってきたように思う。
藪田君たちと飯。「二桁のかけ算」をお買い上げいただく。宿に戻って明日の準備。
ゼミ二本。昼休みに鍵本さんに919をお渡しがてらご飯。
三回生ゼミでは毎週、1分ぐらいの簡単なコミュニケーションのビデオを見ながら、気づいた点を言ってもらう形式にしているのだが、次第にみんなの目の付け所がよくなってきた。これは来年が楽しみである。ページをめくるという動作では、ページに伸ばした手をいったん引っ込めて、のばし直すという、ジェスチャー修復が多発する。このような事例を集めていけば、ジェスチャー修復に関するかなり分厚い記述ができるのではないかと思う。
東京へ。紀伊国屋サザンシアターで文学座「毒の香り」。パンフレットに大正末期の浅草に関する小文を寄稿したご縁で招待していただいたのである。浅草十二階がいかに用いられているかを目当てに見に行ったのだが、いやはやこれはのけぞった。江守徹がいかにすごい俳優であるかを思い知った。
じつは小文を書くにあたって、脚本も先に拝見していたのだが、ホンだけ見ると、浅草オペラの舞台裏を中心に当時のできごとや人物を点景として散りばめた、どちらかというと地味で渋い展開で、これをいかにふくらませていくのか、ちょっと想像がつかなかった。しかし、幕が開くと、最初の稽古場のシーンから、じつに楽しいのである。岡寛恵演じるカルメンの所作を江守徹演じる演出家梶本がダメ出ししながら所作をつけていくのだが、おそらくアドリブが入っていると思われる丁々発止のそのやりとりでは、歌と所作のタイミングがずれることで何が起こるかを、江守徹が演出家役として微細に実演していて、あたかも生きたジェスチャー論を見ているようだった。
公園の池端の場面では、十二階が透かし絵のように窓を輝かせていて、ひととき夢を見させていただいた。脇を固める方々の演技もすばらしく、ラストのシラノ・ド・ベルジュラックを江守徹と沢田正二郎演じる外山誠二との二人で演じ分けていくくだりは、新国劇風の声を張った台詞まわしと静かな独白を自在に対比させて圧巻だった。
学会前に宿泊を予約するのをすっかり忘れていた。カプセルに投宿。最近できたアプレシオというカフェで仕事。ちょっと割高なネットカフェだが、個室式で電源が付いていてけっこう仕事しやすい。
京都へ。山下里加さんの造形大での授業にゲストでお呼ばれする。ギャラリーRAKUでギャラリートーク。池田朗子・富塚純光・藤本由紀夫の作品を見ながらあれこれと話す。作家である池田さん、池内さんも来てた。
池田さんのインスタレーションは、名古屋では畳部屋にディスプレイされていたが、今回は段ボール箱を積み上げた上にさまざまな高さで置かれていて、また趣が違った。「切り抜いた部分が妙に飛び出してきて違和感があり、ポストカードの写真で見たときのほうがよく見えた」という意見が出たので、それはもしかすると、両眼視しているからではないかという話になり、片目で見ることを勧める。 さらに、片目で距離とアングルを変えながら見るとよい、という話になって、みんなあちこちで片目をふさいで池田さんの作品のあいだをうろうろし始めて、なんだかいいぐあいに奇妙な光景になった。
富塚さんの絵は、まじまじと拝見するのは初めてだったのだが(みんぱくでもちょっと見たけどそのときはあまり時間がなかった)、輪郭の描き方が、あたかもフォトショップの輪郭検出のようで、とても不思議な感触の絵だった。なんというか、記憶の序列のようなものがあって、ものの大きさや見通しやアングルが、記憶中心主義なのだ。だから、遠いものでも、よく覚えられているものは、詳細に大きく描かれるし、近くても関心の薄いものはディティールが落ちている。その結果、メリーゴーラウンドは歪み、世界はサイコロの展開図のようになり、あちこちで視点が置き換わるのだが、それは単にゆがんでいるというよりは、ある種のロジックに従った結果なのだなと思われる。
一枚、浜甲子園厚生年金プールを描いた絵があって、これにはかなりこちらの記憶を持って行かれそうになった。ぼくもむかし浜甲子園に住んでいたことがあり、このプールで泳ぎを覚えた。
富塚さんの絵は、たぶん、それがアートなのかどうかとか、ギャラリーに飾るかどうかという問われ方をしがちなのだと思うが、わたしの興味はむしろ、それがいったんギャラリーに飾られたときにどんなふうに見えるかということなので、アート問答には至らない。それになにしろ、もう目の前のギャラリーの壁にあるので、話はそこからだ。
藤本さんのシュガーキューブはもう何度か見ているのだが、あのスローな動きを実現するために、じつはガラス管の下にベアリングがかましてあるということには今回初めて気がついた。その摩擦のなさ(そして重力方向の抗力のなさ)がもたらす浮遊感と低速感(摩擦が大きいと、こんな風に低速にはうごきえない)、そしてそれに対する音の離散ぶりとの対比について語る。
そのあと、山下さんが神戸のKAVCで藤本さんがパーティーをやっているのに行くというのでついていく。しかし神戸は遠いな。タクシー、阪急を乗り継いで二時間。
てっきりギャラリーの初日かなにかかと思ったら、じつはまったく違って、旧湊川隧道を使ったイベントだった。これは思いがけなくおもしろかった。
歩くと十分かかるという元地下川である長大なトンネルの中をてくてく行くのだが、100年前に作られたその煉瓦造りの手堀りトンネルの壁を見るだけで圧倒される。砂利を踏んで歩くと、天井に足音が反響するのだが、なにしろ長大なので、反響音は幾重にも重なってなまっていく。山下さんと、「これって藤本さんのシュガーキューブの内側だよね」と話す。つまり、われわれはシュガーキューブとなって、トンネルを揺らせ、我が身とトンネルの内壁をゆっくりと摩滅させていきつつあるのだ。
数十メートル置きに光る天井の白熱灯が、トンネルに光の輪を作っており、それを見通すと、輪の中に輪の中に輪があって、しばらく行くと、その輪の中の輪の中の輪の奥からSFに出てきそうな遠いテルミンのような音がして、近づいていくと、どうやらノコギリの演奏なのである。これはいままで聞いたことのない深い残響で、しかもその残響のありかを推し量ろうと、トンネルの輪の中を見つめていると、それはとても遠くで鳴っているようでもあり、手のひらの上ののぞきからくりの小さな世界を見通しているようでもある。なにしろ数百メートルあるトンネルなので、両眼視の分解能が限界に達して(いわゆる最遠平面に達して)、もはや遠いのか近いのかがあやふやになるのかもしれない。
ノコギリ演奏者のサキタハジメさんが、のこぎりにはボディがないのだが、わたしはついにここでトンネルというボディを見つけてとてもうれしかった」という話をしておられたが、そう言われると、われわれはまるごと楽器のボディーの中にいるようでもある。
トンネルの一部にはちょろちょろと水が流れており、地下川だった頃の湊川を偲ばせる。湊川名物の串カツ、豚まん、人工衛星饅頭などを食し、藤本さんや関西アートシーンのフィクサー(?)塚村さんと少し話。東京から関西に復帰した久保田テツくんとものすごく久しぶりに合う。もしかして前に会ったのは震災の直前、「テクノロジーはいかに人をバッドにするのか」を計画していたときじゃなかったっけ?
宴も終わり、また長いトンネルをじゃりじゃりと帰って行くと、出口付近に、「レンガ1200円」という表示があるのに気づいた。そばのビニルシートをめくると、なんと崩落したレンガの一部が積んで売られている。浅草十二階のレンガを持っているわたしは脊髄反射で一個取り上げ、出口でその子細を聞こうと思ったら、それを見とがめた一人の男性が「それは売り物じゃないんですが・・・」とやってきた。話を伺うと、なんとそれはこのトンネルの保存会の方だった。恐縮して、遠方から来たことを説明すると、特例ということでその場で売っていただいた。ありがたや。
ちょうど傍らに、煉瓦研究を手がけているという方がおられて、トンネルの刻印を見ては、「これは泉南ですね」「これは岡山です」と言い当てておられた。すっかり感心してお話を伺うと、考古学が専門だそうで「日本煉瓦史の研究」という本の著者のお弟子さんだった。なにごとに寄らず、モノを見る目を持っている人の話はおもしろい。
以前、浅草十二階について講演をしたら、「十二階の煉瓦はどこで焼いたのですか?」という質問を受けてうまく答えられなかったことがある。あれは煉瓦主義者だったのかな。今度調べておこう。
元町ガード下の眠眠で、山下さん、高嶋さんと中華を食って締め。
彦根に戻ると、ゆうこさんが「チャングムの誓い」を見ているので、横からちらちら見ていたら、思いがけずおもしろい。宮廷大河ドラマ+料理の鉄人という趣向。毎回宮廷を追い出されかかるチャングム。結局4時間くらい見てしまう。
査読や学会発表の準備や。
携帯のBluetoothを使った通信が便利なので、パソコンから頻繁にネットにつないでいたのだが、ふと、携帯の料金表示をチェックしてみたら二万円を越えていたので驚く。パケット定額制というのを設定していたので、すっかり安心していたのだが、auのショップに行って話を聞くと、携帯の本体からアクセスするときのパケットとデータ通信のパケットとは話が別で、パケット定額制ではなく、データ通信定額制というのを設定しなければならないそうだ。それならパケット定額制などという用語を使わなければよいのにと思うのだが。それとも単にわたしがうかつなだけなのだろうか。まあ、途中で気づいてよかった。その、データ通信定額制のほうにする。
朝から講義。先日、大友さんと吹田さんとの鼎談用に作っておいた(が使わなかった)pptを使って聴取と逆問題について話す。
午後、コミ研で京都へ。松村さんの発表。いろいろ注文が飛ぶ。これからたいへんだけど、もうひとがんばりいたしましょう。
酒を飲んでポーランド話になったのだが、「ふたりのヴェロニカ」の監督名がなかなか出てこない。「デカローグ」も「トリコロール」も見たのに、自分の朦朧ぶりもかなり深刻である。結局寝るまで思い出せず。
「- 亀は踏むと止まる -「ワンダと巨像」日記」に感想。ネタばれ注意。
先日の加藤さんと飲み屋で話したときの「じゃがいも」の件について加藤さんから以下のようなメールが来た。わたしの記憶がいかに朦朧としていたかを示しており興味深いのでまるごと転載させていただく。
おはようございます。加藤@人工無脳は考える です。
「例えば○○が悲しい、と言う文を作るとして、○○が人間だと
文としては合格なんですが、あたりまえで面白くないんですよ」
私が相槌を打つと、隣に座る細馬氏は取り分けた肉じゃがの、
じゃがいもをつつきながら言った。
「そう。人じゃなくて、じゃがいもが悲しいといえば聞いた人の
頭の中に世界が広がるんですよ。それもただのじゃがいもだと
そこまでですが、この店の、この肉じゃがの中のじゃがいもが
悲しいことによって行間と言うか、なにかかき立てられる物が
うまれるんですよね」
氏はそろそろ酒が回ってきたのだろうか、じゃがいも悲しい説を
繰り返しとなえている。この肉じゃがはダシが効いていてなかなか
うまいのだ。
「ところが逆に限定しすぎると面白くなくなるんですよね。この
肉じゃがはわれわれしか体験してないわけでしょ?それを人工
無脳が他の人に言ったとしても、われわれのシチュエーション
はわからない」
確かにそうだ。要するに、人工無脳は相手の頭の中にある
記憶にぴったり符合するような返事をしてやると、相手は面白さ
を感じて引き込まれるのだろう。しかしディテールがありすぎると
記憶に符合しえなくなるわけで。
「このじゃがいもは悲しいなあ」を氏が繰り返していると、目の
前のカウンター越しに「すんませんねえ」と店の人が謝ってきた。
これだ。これが人工無脳に求められる反応なのだ。私達は大いに
笑って彼に事情を説明しようとするが、細馬氏はすでに酔って
いるせいか、説明にならない説明をかましていた。
「いや。このじゃがいもは悪くないんですよ!今われわれは言語
学の議論をしているんです。このじゃがいもが—」
「へえ、それなら本当に良かった」
こういう面白い瞬間は突然やってくるので油断ならない。
録音も書き取りもできないのだ。私は自分の脳に期待するしか
なかった。
結局のところ、人工無脳の研究は笑いがドライビングフォース
であり、笑いが研究の成果なのだ。そのあたりがセラミックスの
仕事と少し違うのかもしれない。そんなことを細馬氏の日記の
酔っ払い振りを眺めながら考えた。
朝から自治会の草刈り。大人数で手作業で公園の草を刈っていたのだが、途中で電動草刈り機が投入されて「うぃいいいいいいいん」とうなりをあたりに響かせると、明らかに人々の手が止まった。電動草刈り機の切っ先はあまりに鋭く、周囲の人々を手伝うというよりも、威嚇するかのようで、人々はおそれるように持ち場から立ち上がって、道をあけた。
その後、あちこちで作業の意味を図りかねて、鎌や熊手を持ったまま立ちつくす人々が現れ始めた。草刈り機がもたらしたのは「なんと便利な機械が来たのだろう」というヨロコビではなく、「わたしたちがいままでしたことはなんだったのだろう」という深い実存的な虚無だったのである。文明が人のモチベーションを崩壊させる瞬間を目の当たりにした感じだった。
それでも、配られたジュースを飲みながら、「この草刈り、いつ終わるんでしょうね」などと近所の方々と世間話に興じると、何か日曜のなごやかさが立ち上がってくる感じがするから不思議だ。
子ども療育センターで観察。途中でビデオのバッテリが切れ、いい機会なので、ビデオ撮りをあきらめて参与観察に切り替える。ビデオのファインダを気にせずに子供と接すると、ファインダ越しとは違ったことに気づく。あれこれノートを取る。
たとえば、積み木を箱に片付けるときに、Bちゃんは、必ずしも空白にぴたりと積み木をはめるのではない。空白の上で積み木をいじりながら、あちこちの縁にもっている積み木をかちゃかちゃ当てるうちに、なんとかはめることができる。しかし、それは単に、うまくはめることができない、ということなのだろうか。むしろ、単に視認によってはめるのではなく、手触りによってかちゃかちゃはめていくこと自体が、ひとつの遊びになっているのではないだろうか。
そんな気がしたのは、Bちゃんがトランポリンの上で横になってけだるそうにめがねをはずしたのに、いざ布団をかけられると、何度も寝返りを打つのを見たときだ。これは、単に眠たいというよりは、トランポリンの上でからだをごろごろさせるのが気持ちよいのではないか。じっさいのところ、Bちゃんはほとんどじっとしていることなく、半ば目を開けた状態でごろごろと寝返りを打ち続け、結局起きあがってしまった。体が何かに触っていること。体が動きさわりかたが次々と変化していることの気持ちよさ。
今日はAちゃんにやけになつかれたので、初めて本の読み聞かせをする。お気に入りのページがあって、そこまではこちらが手を伸ばすよりも早くどんどんページをめくってしまう。そのくせ、全部読み終わると、また本を叩いて読み聞かせをせがむ。結局、終わりの会の半ばまで、その本を繰り返し読んだ。
帰りがけにお父さんがやってきて抱き上げると、Aちゃんは激しく泣き出した。まだ遊びたいのだろうか。「いやあああ」と叫ぶのだが、お父さんは構わずぐっと背負う。その所作に迷いがない。
数分後にはAちゃんはおとなしくなり笑っていた。ああいうやり方は、なかなか保育者にはできない。いやがる子供をなだめたり、泣きやませることはできても、子供のいやがっている(ように見える)状態を無理矢理維持するのはむずかしい。それが、数分後には好転するかもしれないとしても、いまいやがっていることを無理矢理維持するだけの責任は持てない。たった数分を我慢して、今に対して責任をとることすら、なかなか他人にはむずかしいなと思う。おそらくそこが、親の出番なのだろう。
昨晩の「ラーメンにっこう」の味を思い出して、今日もまた昼休みに思わず自転車を飛ばす。本日は基本である「塩」味。やはりうまいな。ここには珍しいことにビールとしてピルスが置いてある。一度、仕事が終わったあとに来てゆっくり飲みたいものだ。
夜、「人工無能は考える」の加藤さんが彦根に遊びに来られる。拙ページをご覧になった加藤さんからメールをいただき、わたしも以前、人工無能のページを検索していて加藤さんのページを読んでその内容の充実ぶりに驚いた経験があったので、このたびめでたくお会いすることになった。いろいろ飲んでいろいろお話。会話とプログラミングの話にほぼ終始しながら三時間ほど。録音しとけばよかったなあ。
どういう話の展開でそうなったのか、出てきた肉じゃがのじゃがいもを示しながら、「この目の前のじゃがいものリアリティは、いま、この肉じゃがでしかわからない。肉じゃがという一般名詞からこのじゃがいもを導くことはできない」(うろおぼえ)とかなんとか言ったような気がするのだがあれは幻だったか。逆問題のことを言いたかったのだろうか。自分でもよくわからないが気になる。店の主人が、肉じゃがに何かあったのかと気をもんでいたのがおかしかった。加藤さん覚えてたら教えてください。
卒業生の西川くんが彦根にラーメン店をオープンしたというので行ってみる。紅葉間近い犬上川の河川林を横目に見ながら自転車を飛ばすこと10分、蓮台寺交差点を少し東に行ったところに「ラーメンにっこう」がある。
卒業生ということで、ご祝儀がわりに訪ねるくらいの気構えだったのだが、試しに頼んだ「清香」なるラーメンが、掛け値なしにおいしいので驚いた。
なによりスープがうまい。鶏白湯をベースにしていたスープは、けしてしつこくなく、それでいて麺にしっかりなじんで、薄いと感じさせない。気がつくと匙ですくってしまう。自分にはめったにないことなのだが、スープまで全部飲んでしまった。
安い冷凍青ネギをトッピングとしているラーメン屋も多い中、ていねいにネギをより分けて、白くて甘いところ、ちょっと青いところを合わせてあるのだが、このバランスがすばらしい。ネギにはうるさいわたしもこれには大満足。もれなくついてくる味卵とチャーシューはラーメン好きを納得させるしっかりとした味付け。いっぽう、さりげなく添えられた茎わかめやカイワレは、けして麺のジャマをせず、むしろ歯ごたえのバラエティをふくらませて楽しい。どの素材にも必然性があり、じつに丁寧に作られている。
ちょっとだけおなかに余裕があったので、豚たたき飯(¥350)も食べてみたのだが、これがまたえらくうまい。あっという間にたいらげてしまった。仕事の途中でビールが飲めないのが残念だ。
ともあれ、あとは近所のお客さんがこの店の旨さを発見してくれれば言うことなしである。南彦根駅からも河瀬駅からも滋賀県立大学からも自転車でも10分ほど。彦根近辺の方はぜひだまされたと思って訪れていただきたい。
ゼミ二本。いつもながら、数人でデータを見てあれこれ論じるのは楽しい。今日は、レストランのメニューを見る行動を子細に分析したのだが、二人で一つのメニューを共有するとき、「なるべく手早く選ぶ」というのが、意外に重要な拘束条件だということがわかってきた。選んでいる自分がけしてただ時間をかけているのではなく、少しでも事を前に進めようとしていることを示す、そのようなジェスチャーがあちこちに伺える。
その代表例が、ページの端をつまむ動作だ。人はしばしば、ページの端に手をかけておきながら、すぐにはめくらない、ということをする。いかにも今にもめくろうとしながら、その実、いつそれがめくられるかは保証の限りではない。にもかかわらず、ページに手がかかると、事が一歩前に進んだ感じがする。
自分が0から100のどのあたりにいるかを示すときに、具体的に10とか80とか答えるのは、数値化目標が尊ばれる昨今、見上げた態度ではあるが、わたしたちの日常は必ずしもそのようには数値化されていない。
「早く」とせかされた人は部屋のドア越しに「今行きます」といいながら、じつは部屋の中でゆったりと着替えているし、編集者に催促された書き手は「鋭意執筆中」と返事をしながら、その実まだほとんど書けていない。少なくとも「0ではない」ことを示す、というのはわれわれが相手に留保を求めるときによく使う手である。
松村さんとデータの見直し。どうも10行以上のデータに対してどんな態度をとったらいいのかがうまくつかめないらしい。確かに難しい問題ではある。
会話分析でのデータの扱い方は大きく二つに分けることができる。ひとつは会話分析の装置を、状況にあまり依存しないやり方でピックアップしていく方法で、これは基本的な装置をあぶり出すのに有効な方法だ。こうした方法では、あまり長大なデータに執着せずに、むしろ数ターンで構成されるデータを次々に挙げていきながら比較していく方法が見通しがよい。
いっぽうで、状況に埋め込まれた問題を考えるには、より長い、ときには10数行に及ぶデータを問題にする必要がある。Goodwinはしばしばこうしたデータを扱う。そこでは、隣接ペアとか修復といった単一の現象よりも、それがどのように状況に埋め込まれ、その場の人間関係を形成する装置となっているかが問題となる。
学生に会話分析をしてもらうと、長いデータを見ながら、ここは隣接ペア、ここは修復というように、分析概念をあてはめて終わる場合がよくある。これは、データの使い方を間違えているので、既成の概念を使いながら長いデータを見るときには、その場がどんな問題を抱えているか、問題が会話の中でどう発見され解決されるかを考えなくてはならない。
そして、その場の「問題」は、外から見て同定可能な形をとっていなければならない。ヨロコビとかカナシミとか楽しさといった内的な表現は、会話分析では(オマケについてくることはあっても)分析の対象とはならない。「空間を表象する」とか、「単語の意味と単語の音を結びつける」といった、ことばや身体動作によって確認可能な表現としてとらえる必要がある。
急に寒くなってきた。考えてみれば、昨年は十月の末からロサンジェルスにいたから、二年ぶりの彦根の寒さなのだった。先が思いやられる。講義や査読などなど。
朝、宿の近くを歩く。難波八坂神社のばかでかい獅子殿を見てから、東にずんずん歩き、松屋町筋を越え、坂を上り、生国魂神社へ。崖っぷち占いなる占い屋あり。ここは古代の大阪の海辺、水際だった人生を占うという趣向なのだろうか。
高津宮へ。明治の眺望はいまはないが、戦災にも焼け残ったなまこ壁の蔵と鳥居がゆかしい。落語「高津の富」(東京では「宿屋の富」)にちなんだ「高津の富亭」というのができていた。定期的に落語や講習会をやっているらしい。
高津宮は仁徳天皇を祭っており、かつてはそそっかしい落語の熊さんでもその由来と眺めを知っていた。
若「二十日ほど前に定吉を連れて高津さんへお詣りしたんや」
熊「へえへえ、高津さん、仁徳天皇、よう知ってる、それから」
若「ああせわしな、ご参詣をすまして絵馬堂の茶店で一服した」
熊「絵馬堂の茶店、向こう見晴らしがよろしいがな。道頓堀まで一目に見えまっせ。」(中略)
若「丁寧におじぎをしやはってまた茶店へ戻って来て料紙を出せとおっしゃる」
熊「そんな無理なこと言うたらいかんわ、あんた。高津さんあたりに漁師がいてますかいな。あらやっぱり浜手のほうへ行かなんだら。」
(特選米朝落語全集第二十九巻「崇徳院」)
高津宮はほかにも「崇徳院」や「いもりの黒焼き」で登場する。高津宮、というのは仁徳天皇が作ったといわれる高津宮(たかつのみや)からその名前が来ているのだが、現在地のそのたかつのみやがあったわけではないから話はややこしい。清和天皇の頃に建ち、現在地に一五八三(天正十一)年に移ったといわれる。では、昔の高津宮はどこかというと、これがよくわからない。あるいは難波宮あたりか、あるいは東高津のあたりか。ともあれ、そこから仁徳天皇が国見をしてかまどの煙が少ないのを見て民の貧窮を知り、租税を免除した。数年後、ふたたび国見をしてよんだのが「たかきやにのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎわひにけり」の歌。
黒門市場を抜けて宿へ戻る。かつての大阪の海から陸に上がり、また海におりてきた。計二時間ほどの散歩。
大阪の故事来歴については大阪日々新聞の「森琴石と歩くおおさかの町」が、明治15年の森琴石「大阪名所独案内」の内容と現在との差を活写して楽しい。
彦根に戻る。午後、卒業論文の中間発表会。
ほぼ日刊イトイ新聞「担当編集者は知っている。」に、「一九一九」担当の袖山さんが裏話をいろいろ書いてます。注目ー。
大学祭後片付けで講義は休み。ユリイカ校正。
夕方、新世界フェスティバルゲートへ。
「チャーリーとチョコレート工場」。周囲の前評判はきわめてよかったので、かえって期待はずれだったらどうしようと思っていたが、最初のタイトルシークエンスで、もうすっかりこれは好きな映画だと分かった。
前半、なかなか緻密な作りで、最初にゴールデン・チケットが当たるところですでに泣く。もちろん、泣くだけならもうどんな見え見えのきっかけでも泣ける年なので驚きはしないのだが、驚いたことにその先、後半がほとんど「死霊の盆踊り」だったんですよ! 「エド・ウッド」と「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」が好きな人間にとっては、まさしく盆とクリスマスがいっしょにやってきたような一作。
ジョニー・デップは(これまた評判通り)ほとんどマイケルだった。ラストの雪の降らせ方とあの人の登場も含めて、じんと来た。子供は家庭に入るとみせてやっぱり子供。
ダーチャへちょっと寄って、山下さんと話すうちにいきなり10日後の仕事の話がまとまる。驚異のカットアップニュースであるところの平岡さんDVDと、小川てつ夫本を入手。
さて、本日のメインイベントだが、梅田哲夫くんからの依頼で「米を煮る」のである。梅田くんからは、二週間ほど前に話があったのだが、なんだそりゃ、と聞き返しても「いや、米を煮て音を出すんですよ」という謎めいた返事しか返ってこない。彦根からわざわざ大阪に出てきて、米を煮る。しかも時間が遅いからどう考えても泊まりがけである。が、あまりにわけがわからない話なのでつい引き受けてしまった。
集まった11人に対して、最初に梅田くんから簡単なインストラクションがある。用意された缶に水を入れ、火にかける。缶には底から少し離れたところに網がかけてある。沸騰したらその網の上に、米を入れる。すると、なにやら音がする、らしい。説明を聞いても、どんな音がするのやらさっぱりわからない。ぷちぷちだかぽつぽつだか、炊飯器のような音がするのであろうか。
というわけで、参加者全員、「?」を頭にともした状態で、静かにスタート。一回に三人ずつ作業をし、終わったら別の人にバトンタッチという趣向。
水が沸騰するのを待つことしばし、一人の参加者が米を入れる。と
「バオーーーーン」
いままで聞いたことのないタイプの音である。強いていえば、水木しげるのマンガに出てくる、遠い妖怪の登場音とでも言えばいいだろうか。缶が沸騰した水に共鳴しているのかと思ったが、それにしてはやけにでかい。どうも米を入れたことが効いているらしい。
おもしろいことに、誰がどの缶を使っても鳴るというものではないらしく、いくら火にかけても鳴らない人もいる。
そのうち自分の番が回ってきたので、半信半疑で作業にかかる。ぼくの使う缶は、缶コーヒーを二つタテにつないだもので、ごく簡素な仕立てである。カセットコンロにも乗らないので、火を缶コーヒーサイズに弱め、軍手をはめて、手で持って暖める。底に入れたわずかな水がすぐさまちりちりと音をたてるが、この音ではない。
じゅうぶん沸騰したところで、米を一握り入れると、驚いたことにすぐさま
「バオーーーーン」
やはり、米のせいらしい。他の人より妙に鳴りがよいのでちょっとうれしい。火加減のせいか。しかし、自分の火加減のおかげでおいしい料理が出来た、などという経験はいままで皆無に近い。缶を鳴らす火加減を鍛えるためにいままで下手な料理を作ってきたのだろうか。まさか。
二度目に回ってきたときに使ったでかい缶では、相当景気のよい音が鳴り、火から下ろしてもその音は鳴り続けた。音の鳴る缶を園田さんの前に置く。何か、とんでもないものを託したような気になる。
かくして一時間、水を入れる音、米を入れる音、控えめな足音もあり、音空間としてとてもおもしろかった。梅田君によると、米を入れたときに水蒸気が冷やされて、缶内の気圧の変化によって振動が起こって缶が鳴るんだそうで、これは神事の釜鳴りの音に近いのだという。
この模様はレコードとしてカッティングされるらしい。楽しみ。
(追記:このあと、大友さんと梅田くんと鼎談することになった。)
二日酔いの頭をなだめつつ、レクチャーのための素材を作り込む。画像とムービーがあまりに多いので、パワーポイントはあきらめて、iMovieとプレヴューで見せることにする。
午前中には大阪築港赤レンガ倉庫に到着。レクチャーの素材を集めるべく、大阪港まで散歩。昔の絵はがきの撮影場所をあちこち探っていたら、税関そばで「明治天皇聖躅」の碑に当たった。建てられたのは大正十四年だが、おおよそこのあたりが当時の大阪港を眺める場所として適していたということなのだろう。何枚か写真とムービーを撮る。
午後、大阪築港赤レンガ倉庫にてView Masters 2005。Hacoさん、Yukoさん、小島さんによるView Masters 4年間の総括。そのあとレクチャー「絵はがきを再訪する〜風景と現実感〜 」。水際三題。まず明治期の大阪港の絵はがきと現在の大阪港の対比をしたあと、大阪にとって水際とはどこだったのかという話から、明治期の高津宮の絵馬堂絵はがきを見せて、じつは高津宮が上町台地の際にあることを指摘し、このあたりまでひたひたと水の気配がした、という話を(この件はいずれきっちり書こう)。さらに、彦根の大洞絵はがきから、琵琶湖の水際の話。
終演後、Hacoさん、Yukoさん、青山さん、麻里子ちゃん、そしてCasaで展示をしていたという杉原さんと近くの中華料理屋で食事。杉原さんは滋賀県民ということで、ホテル紅葉だとかパラダイスだとか、ローカルな記憶方面に。
大学は大学祭で休み。だが今日から京都・大阪でお座敷がかかる。よく考えると、大学祭の日によそのお座敷に出るというのも、なんだかはみだしっ子のようで居心地が悪いのだが、まあしょうがない。
翌日の絵はがきレクチャー用に絵はがきを次々とスキャン。さらに、自転車で大洞まで行き、レクチャーのための素材をビデオ撮影。京都賞のアーノンクールを聞きに行きたかったが結局夕方までかかってしまった。
夕方、京都へ。Shin-biで「感覚を拡げる −鼎談・聴くこととは − 大友良英・吹田哲二郎・細馬宏通鼎談」。吹田さんの作品をパソコンで見せてもらううちに、「これは吹田ワールドをみなさんにお見せする日にしよう!」という路線となり、とにかく、吹田さんにあれこれ自作を語ってもらいながら、そこから聴取の問題を拾い上げて枝葉を広げておく、という構成に(結果的に)なった。
吹田さんの作品は愕然とするもの多数で、声がすると電球が消える、というシンプルな作品も、川の流れ再現システムや、卓球再現システム、バスケ再現システムも、音楽という枠内では考えつかないものだった。そもそも音楽産業というのは、不思議なほど二つのスピーカーに束縛されていて、大友さんも言ってたけど、宇波くんたちがやってるみたいに、スピーカーなしで発信源の音に注意を傾けさせるという音楽が出てきたのは、ほんとうに最近のことなのだ。吹田さんの作品は、スピーカーを使っていながら、スピーカーで再生させることを問い直すようなところがあって、いろいろイメージがふくらんだ。
というわけで、ぼく自身にとってはとても刺激的だったのだが、なにしろその場で初めて拝見する作品がほとんどだったので、その場で驚きながらその驚きをさらに何らかのアイディアとして表現しなければならないという、鼎談としてはかなり瞬発力の要求される進行で、あとで、あそこをもう少し別の広げ方をしておけば・・・と悔やまれる部分が多々あった。
終了後、吉田料理屋で雉鍋。鍋がうまいと、もう冬だな。店で大友さんの新作「see you in a dream」を流していたのだが、明らかに名作だとわかったので、なるべく聞かないようにする。これはボリュームあげて、部屋で一人で聞こう。石橋さんが若いとき一日白米を九合食べていた、という豪快な話に驚く。そして、よりによってなぜわたしはこんな日に、鉄腕アトムが、交通事故で死んだトビオの身代わりだったという話なんぞをしたのだろうか。
大学祭で休みだが、さらに査読。ひつじ原稿。
夕方、京都へ。グザヴィエ・マルテル「写真で見る日本とフランスの名所 « 交差するまなざし »」。日仏の名所写真の由来を考えるというもので、ジョアンヌ・ガイドブックの登場と名所のカタログ化、普仏戦争と仏独国境のイメージ化戦略など、いろいろおもしろいアイディアが紹介されていた。絵はがきの由来を考える上でもおもしろい。終了後、レセプションにもぐりこんでマルテル氏とあれこれ絵はがき話。
朝、すべりこむように絵はがき原稿最終回(改訂版)。二ヶ月ごしで長くかかった。この数ヶ月、書く文章の流れにむらがあるのは、過渡期ということなのだろう。 九一九(クイック)の校正。ゼミをやってから、たまっていた論文の査読を二本。これくらいのペースで仕事をすればずいぶんいろいろはかどるのだが。
夜、レンタルDVDでカンフーハッスル。これはすばらしかった。どの人物も表情がすばらしく、そしてCGや特撮以外の場面も含めて全編「動いている」ことの驚きに満ちている。映画って動く画だったんだ。アニメーション! 音楽のチョイスもすばらしい。そしてちゃんと泣ける。
講義とゼミ。どうにも頭が働かないが、まあこういうこともあるだろう。
会議会議。
「ワンダと巨像」をクリア。なんとも後味のよくない(いい意味で)プレイ後感で、いろいろ興味深い。ここではネタばれになってしまうので、「- 亀は踏むと止まる -「ワンダと巨像」日記」にて(といいつつまだ書いてない)。
「こころの自然誌」でシスターマンス氏をゲストに迎える。(English translation)。あいにく、持ってきてもらったラップトップとホールのAV機器がうまくつながらず、急遽違う内容のワークショップをやってもらったのだが、結果的にはこれがとてもおもしろかった。
まず、最初は、演台を少しずつ動かしながらその振動がマイクごしに伝わる音を使ったもので、これは聞いたことのない音になった。おそらく彼は、準備の際に演台を動かしていて、とっさにその音がおもしろいと感じてパフォーマンスに取り入れたのだろうけれど、あたかも「宇宙戦争」の宇宙船の発するようなまがまがしい音がして、しかも、両手で演台を動かしながら舞台を移動するさまが、あたかも、架空の船か何かを動かしているようで、これはどこの世界の乗り物だろうかと想像力を喚起させた。
この日、もっともおもしろかったのは、彼が昨日思いついたという、紙を使ったパフォーマンス。世界初演。題して「彦根の白紙」。白紙を100枚ほど用意する。そして、100人ほどの聴講者に隣が空かないように座ってもらい、最前列のいちばん端の人から一枚ずつ隣の人に手渡していってもらう。いちばん端まできたら真後ろの人に渡す。最後列の端の人は、ひたすら紙を受け取る。
たったこれだけのことなのだが、じっさいにやってみると、これが数分の立派なピースになっている。最初に一枚を配るかそけき音がして、次第に紙が行き渡るにつれて、その音は増殖する。さらさらという音はホールの天井に反響してカイコ棚のカイコがいっせいに葉を食むようなにぎやかな音になる。やがて、紙が尽きていき、急速に音は静まっていき、最後の一枚がかさりとくっきりした音をたてて、沈黙が訪れる。
もうひとつ、この紙を単語に変えたピースもやったのだが、こちらは別の意味でおもしろかった。端の人にひとつの単語を言う。単語を言われた人は隣の人に同じ単語を言う。これだけ。
最初は前3列の端から三つ、さらに後3列の端から三つ、計6つの単語を回したのだが、なんと意外なことに、そのうちの一つも、最後まで届かなかった。
どうも単語がある列の端にいったときに、それが前から来た単語なのか後ろから来た単語なのかわからなくなってしまうことがあるらしい。それにしても、前か後ろのどちらかに伝えたとしたら、どこかで逆行したとしても、最前列か最後列に単語は届くはずで、途中で止まったということは、誰かが「もうわかんないから伝えられないや」とあきらめたことを意味している。
今度はすこし簡単にして、前2列から二つ、後ろ2列から二つ、計4つの単語を回した。すると、一つの単語だけが、いちばん最後の人まで届いた。
あまりにも鮮やかに、学生の身構えが表れた結果で、これはショックだった。
学生はみんな静かにレクチャーを聴いていたし、格別、集中力が欠けていたというわけではないと思う。にもかかわらず、いざ自分がパフォーマンスにかかわり、なにかささいなトラブルがあったときに、パフォーマンスを続けることではなく、あきらめることの方を選んでしまうのだ。そばの誰かにたった一言のことばを伝えるという課題ですら、そういうことが起こってしまう。
こういう弱さは、ふだんの講義や演習ではあまり明らかにならない。なんとなく、動きや反応が鈍いな、という印象にしかならない。その意味で、このパフォーマンスが「うまくいかなかったこと」はとてもショッキングで、やってもらってよかったと思った。おそらく学生自身にとっても、衝撃だったのではないか。
終演後、しばらく歓談。その後、ソバ屋で昼飯を食って、二人を送り出す。
新幹線で彦根に戻る。午後、神戸からヨハネス・シスターマンスとステファン・フリッケ到着。数年ぶりだ。彼らをホテルに送ってから、ちょっと仕事。そのあと、食事がてら明日の打ち合わせ。
朝、宇波くんのかけるさわやかなイタリアン・プログレで起床。プログレ、というジャンルには共通して「わたしの考える宇宙戦争」という感性がほの見えるような気がする。
森美術館で杉本博史展。うかつにも、この人が直島の神社を設計した人と同一人物だということに気づいていなかった。
東大に残っていたという数学模型を、黒い背景で撮影して大きく引き延ばした写真は、比較するものが写りこんでいないせいで、あたかも巨大な彫像で、表面に刻まれた関数曲線の軌跡も何か遺跡に残されたサインのようで、これは油断ならない展示だなと思った。
70年代のアメリカ自然史博物館のジオラマを写した作品や蝋人形を写した作品は、美しいと思ったけれども、それはジオラマ、パノラマ愛好家には予測できる美しさだった。そもそもジオラマやパノラマには、長いこと見つめていると虚実がわからなくなるほどの恐るべき現実感が備わっている。その息をのむような体験を知っている者にとって、この写真の虚実のあわいは、親しいものだ。もちろん、白黒の二次元に定着され、陰影を強調することで、いっそうジオラマの見事さは浮き立つけれども。
いちばんぐっときたのは「海景」のシリーズで、遠目にはいったいに灰色に見える海面が、プリントに近づくときに細かいさざ波に覆われているのを発見するときの感覚は、いままでに味わったことのないものだった。これだけの階調を再現するためならば、このプリントの大きさは納得だった。細い銀のフレームは、あたかも画面の後ろから光が漏れているような錯覚を起こさせて、白く抜けた空に奥行きを与えている。
なるほど、このような海を、古代の人が飽きずに見ていたとしたら、そこから現在のわたしの生活からは感知しえないような、さざめく波のような情動がゆっくりと形成されたかもしれない、と思う。
ドライヴ・イン・シアターの映像を長時間露光した作品群では、長時間てらされて白くなっている画面もさることながら、映画という照明にほのかに浮かび上がる草むら、椅子、遊具がいいなと思った。
三十三間堂の菩薩たちの光輪や後光は、あたかもエッチングで白く描かれた線のようだが、近づいて見るとちゃんと金属の縁がある。
渋谷に移動して、ブックファーストで展示中のUnitedBows(野老さん、今井さん、荒牧さん)の展示"mix'em up!"を見る。漱石やパソコンのマニュアル本などをカットアップして人工音声で再生するというもので、二つの本のまざり具合を簡単に調節することもできる。カットアップで生成される文章はとてもスムーズで、形態素解析などをしてるのではないかと思われた。本屋の展示としてもおもしろい。
入り口近くだったんだけど、ちょっとデッドなスペースで、客が気づきにくいかもと思った。営業中のスペースの一角を借りるってのはむずかしいな。逆にCETのような空きスペースを使った展示の利点というのは、営業の事情から解き放たれてるところなんだな。
新宿へ。たまには違う宿と思い、知らないカプセルに飛び込んでみる。フロントの店主は愛想よく、家庭的な感じ。家庭的とはいえ、フロントを過ぎるとただのカプセルで、サウナもいたって狭い。
テアトル新宿で遠藤賢司「不滅の男vs日本武道館」。一日で撮影されたとは思えない、驚異の歌唱。といっても、シャウトばかりではなく、「カレーライス」や「雨上がりのビル街」は、むしろ初期の録音よりしょぼしょぼと歌われて、おばあさんの昔語りのようなのだが、ギターの繊細なリズムからするすると離れるさまは、一塁ベースからリードをとる老練なランナーのようだった。空の巨大な客席を前にしながら、最後までまったく歌のテンションがまったく落ちない。いったい歌の相手とは誰なのか、を深く考えさせられる一作。
終演後ご本人をまじえたトークショーがあるとは知らず、思わぬ儲けものだった。もちろん、サインをいただく。そしてもちろん「がんばってください」とは言わなかった。
夕方、新幹線で東京へ。さっそくBluetooth経由でPowerbookからネット上に文章を打ち込む。富士山を通過するのを実況中継。今日は久しぶりに見えた。
成增の中尾さん宅にて、かえる目レコーディング第二回。「潮風にまかせて」「女学院とわたし」「能登の恋人」の三曲。3時間あまりやったのだが、これからエンジンがかかるかなというところで終わってしまった。次回はもっと早くからやったほうがいいかもしれない。それにしても、われながら歌が下手だ。
宇波くん宅で、「一九一九」を録り直し。
携帯を買い換えることにした。
手続きをしてもらうと、いまの携帯はすでに四年目に入っているという。けっこう使ったな。携帯の機能にはあまり執着がないのだが、せっかくだから写真が撮れるW31Tというのにした。2Mピクセルの写真が撮れるらしい。少なくともピクセル数の上ではぼくがもってるデジカメと同じ画質である。
帰って、マニュアルを見たら、じつはこの機種はBluetooth対応だった。ということはもしや手元のPowerBookとやりとりできるのかも・・・とかちゃかちゃやったら、携帯のダイヤルアップ接続を経由して、パソコンからネットにアクセスできることがわかった(W31Tでダイアルアップのページが参考になった)。これで出先で気軽にネットにつなぐことができる(電話代を気にしなければ)。
カレンダーやアドレス帳のデータも吸い上げることができる。携帯で打ち込んだカレンダー上のスケジュールはcal.vcsというファイルとして転送されるのだが、これをiCalに読み込むと自動的にバージョンアップしてくれる。出先で携帯に約束をメモすることがあるので、これはかなり便利。
ただちょっと物足りないのは、写真などのデータがなぜか転送できないこと。Bluetoothどうしでもタイプが違うとデータが転送できないことがあるらしい。
ともあれ、数年たつと携帯もずいぶん便利になっているのだというのはよくわかった。
松嶋さんと立ち話しているうちに「思い出すということの権利」の話になる。会話の中で「あ、忘れた」「えーと、なんだっけ」という風に、自分が何かを「忘れた」ことを表明するとき、あるべき何かを欠いているという点ではその人は弱者である。しかし、忘れていることの表明は同時に、「いま、わたしには取り戻すべき何かがある」という表明でもある。そして、周囲の人は、当人がその忘れ物を取り戻すまで、思い出しに協力したり、当人が思い出すのを待つことが多い。つまり、「忘れた」ことを表明するということは、じつは会話による「思い出し」の権利を表明することでもあるのではないか。
そして、認知症で問題となるのは、聞き手が、会話による「思い出し」を途中で放棄する点にあるように思う。
たとえ当人が認知症で、何かを思い出せなくとも、自分の「思い出し」の権利が会話の中でなんとなく損なわれたことはわかるだろう。
これら思い出しのプロセスが、どのようなシークエンスで組織化されていくのか、というのは、「忘れ」を会話分析に乗せていくときのポイントであるように思われる。うんぬん。
流行もの、しかもネコ、というので、なんとなく遠ざけていた、ほしよりこ「きょうの猫村さん」だったのだが、いざ読んでみると・・・
思わずツメをとぎたくなるおもしろさ!
家政婦もので、登場人物全員業が深そうで、しかも猫村さんは思わずツメをとぎたくなるほど心配性にして世話好きで、そんな取り合わせは、大仏とマリアの結婚がありえないのと同様、うまくいきっこないはずなのに、読んでると「うまくいくのでは?」と思えてくるからおもしろい。そしてなんといっても、いっけんラフな線で描かれているのに、すごい奥行きがある。「うーん、その話はなかなか奥行きがあるねえ」の奥行きじゃなくて、「この本棚の奥行きいくら?」の奥行き。CGとは180度違う絵なのに、猫村さん、3Dだ。
ワンダに逃避。さらに本屋に逃避。さらにさらに読書に逃避。逃避ばかりで申し訳ない。申し訳ていどに原稿を進める。
武田雅哉「<鬼子>たちの肖像」中公新書。豊富な図像を用いた手法もさることながら、中国の周縁劣等民族図像史の延長上に、鬼子(グイヅ)というみにくい日本人が現れるという視点がおもしろい。そして好ましいのは、この、敵を描かんとしてはばたきすぎてしまった想像力の産物を、著者はむしろ余裕を持って眺めているところだ。