- 20000419
- 夕方神戸へ。JRでそばの女子大生の立ち話。
「別れたん?」 「うん、なんで?」 「もう、あんたの話そんなんばっかりやん。ほんで荷物とかどないすんの?」 「うん、でもともだちでは居れることになってんやんか、そやから少しずつ」 「ああ、よかったやん」 「そやけどな、めっちゃきついこと言うてん、もうなんぼでもきついこというてんで。この人おこらへんかな、思て。好きやないねん、なんぼ好きなとこ探してももうひとっつも好きなとこあれへんねん、ていうてん。そんなん言われて、この人おこらへんかなあ、思て。そしたら、ようおまえそんなきついことおれにいうなあ、て言われてんけど」 「なにいうてんねんなあ、もうなんべんも言われてるのに」
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鰹には「まぶた」がありません。だから目を閉じることはありません。 死んでも私たちを見つづけています。 ヤマヒデも「おいしい味」を見つづけてまいります。 (ヤマヒデ食品株式会社広告・ポートライナーにて)
ジーベックホールで「ホムスは歌う」。アリビナとオリガの優雅な夏の歌。アリビナ・ジェグチャリョーヴァの口を閉じて喉を開閉する音。口が動かないので、その音が彼女から出ているのか、彼女のそばにいる何かから出ているのか判別がつかない。口を動かさないことで彼女はメディアとなり彼女の身体に彼女ではないなにかが発生する。そのなにかとは、かっこうかもしれないし馬かもしれないし神様かもしれないし、夏かもしれない。夏至祭り。 アレクセイエフの9層のイメージ。倍音に分かち、神々のありかを明らかにする論理。 シシーギンの静かな口琴。テクニックもさることながら、長い持続音の中で起こる変化に分け入っていく態度にしびれる。これには、口琴に対する考え方が変わってしまった。弁をはじく、その一つ一つのストロークに耳をすます態度が、人差し指を往復させる手の動きのなめらかさになって表われる。
帰りの車の中で口琴を鳴らし始めたら止まらなくなり、帰ってからも2時間くらい鳴らしてた。
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