冒頭で周吉が見つけた「空気枕」には空気が入っていません。それは「空気枕」ということばのふくらみとは対照的に、小さくおりたたまれた固いかたまりのようなものです。その小さなかたまりは、周吉が手に取ることでかろうじて「空気枕」だとわかるていどの大きさで、「マクラ」ということばにはまるで不似合いです。そしてカメラは、この小さなかたまりをアップにすることなく、二人を横から映しているだけです。
忘れていたものが見つかることで、わたしたちはできごとを思い出し、自分の「忘れ」から遠ざかろうとする。けれども、忘れものを見つけるとき、意識していなかったものが意識されるとき、人は単にできごとを思い出して終わるのではない。そこには、自分にできごとを思い出させるきっかけとなった、できごとの痕跡がわずかに残っている。痕跡の感触は、自分の意識ができごとに遅れたこと、できごとに間に合わなかったことを繰り返し思い出させる。
ようやく見つかった忘れものの、あっけないほどの小ささ。意識が遅れてたどりついたときに、そこで発見されるものの硬さ。些細でありながら、けして消えない痕跡。冒頭で周吉が手にする、気の抜けた空気枕の小さくて硬い感触は、この物語にずっと流れ続けている感覚ではないでしょうか。