このあと、とみは立ち上がりざまに、うずくまってしまいます。この不意の動きもさることながら、続く周吉のことばは見るものをはっとします。
とみ「なんやら、ふらッとして、イイエ、もうええんです」
周吉「よう寝られなんだからじゃろう・・・行こう」
ついさっきまでとみに「お前はよう寝とったよ」と言っていた周吉が、とみが「よう寝られなんだ」と、ここではまったく反対のことを言っている。あっさり自分の言っていたことをくつがえしておきながら、しかもくつがえっていることについては何も言わない。これはまるで、空気枕がとみの側にあると言い張り続けておきながら自分の側に空気枕を見つけてしまう、あの冒頭の周吉のようです。
じつは、冒頭の空気枕のやりとりとこの防波堤でのやりとりとは、ほとんど同じ構造を持っています。周吉は、空気枕を見つけることができないのと同じように、「とみがよく寝ていた」ということをうまく説得できない。それは周吉の責任ではなく、とみが「忘れている」からであるかのように見えます。とみはそのことをかくべつ否定もせず、いったんは「そうですか」と会話に区切りをつけます。しかしじつは、周吉のほうこそ、空気枕よろしく昨夜のことを「忘れている」のかもしれないのです。
とみのことばは、周吉の「忘れ」を明らかにしません。しかし、とみの体に起こった変化は、あたかも空気枕の出現が周吉の「忘れ」を気づかせるように、じつは周吉のほうがまちがっていたこと、つまり周吉はとみが「寝られなんだ」ことを忘れていたことを、明らかにします。
ここで、とみの異変とそれに続くシーンが、あたかも冒頭の空気枕のように、ロングショットで小さく撮られていることにも注意しておきましょう。「東京物語」で忘れ物が見つかるとき、それはどういうわけか、とても小さいのです。