ゲイブラー『創造の狂気』補完計画(6):メリー・ポピンズの頃

細馬宏通

メリー・ポピンズとトラヴァース

 2013年、ディズニー制作による映画「Saving Mr. Banks 」が公開された(邦題「ウォルト・ディズニーの約束」日本公開は2014年)。これは、メリー・ポピンズの原作者であるP. L. トラヴァースとウォルト・ディズニーをはじめディズニー社のスタッフとのやりとりを描いたもので、フィクションではあるものの、あちこちで史実が参照されている。ゲイブラーによる伝記にも、映画に関わる部分が多いので、ここに訳しておこう。
 邦訳版では、ウォルトのアリゾナ行きの申し出、トラヴァースの「手すり」に関する指摘、シャーマン兄弟とのやりとりなど、あちこちに割愛や要約がある。

 なお、ディズニーの「メリー・ポピンズ」と原作とでは、メリー・ポピンズの描かれ方はかなり異なっており、トラヴァースの異議内容じたいは、必ずしも理不尽なものではない。当時のイギリスにおける乳母のあり方については新井潤美「不機嫌なメアリー・ポピンズ」(平凡社新書)が参考になる。
 また、これはウォルト・ディズニー伝であることもあって、もっぱらトラヴァースとディズニー社とのやりとりに焦点があたっており、原作の持つ魅力や彼女の出自については詳しくは記されていない。トラヴァースは自身の人生について、メリー・ポピンズ同様あまり「説明しない」人であったが、現在では、Valerie Lawsonによる評伝「Mary Poppins, She Wrote: The Life of P. L. Travers」で、その生涯をうかがい知ることができる。これは時間のあるときに紹介してみたい。

第11章4節-6節から

邦訳:p.546-p.548の部分

 トラヴァースはオースラリア生まれのイギリス移民だったが、第二次大戦中はニューヨークのエレベーターなしの五階で、幼い養子の息子を一人で育てていた。彼女は、さらに西へ移住する機会を求めていたようで、ロイ・ディズニーにはサンタフェかツーソンに引っ越すつもりであると話した。ロイは慎重に事をすすめた。背景となっている大戦の問題には触れず、トラヴァースにはただ、ウォルトがポピンズに「興味をそそられて」おり、物語の翻案にあたって協力してもらえないかということを提案した。

 実際のところ、スタジオは彼女にもらした以上の関心をメリー・ポピンズに寄せていた。ロイはトラヴァースに対してはさほど気があるようには見せなかったが、彼がニューヨークでトラヴァースとの会見をすませると、ウォルトは、もし彼女がアリゾナに来るのであればすぐに飛行機で会いに行きますと手紙を書き、さらに、「この物語は生身の体をもった俳優とアニメーションとの融合にはぴったりです」と書き加えた。三月にロイは再び彼女に電話し、なるべく押しつけがましくないように、スタジオの方では彼女との共同作業を望み続けていることを知らせた。1946年、戦争も終わって、ようやくスタジオとトラヴァースは1万ドルで権利を得る合意に達した - いや、少なくとも、ロイは合意に達したと思っていた。しかし、トラヴァースが脚本の改訂を主張すると、この話は宙に浮いてしまった。ウォルト・ディズニーはそのようなことを誰にも許しはしないからだ。

 しかしこれは、ほんの前触れに過ぎなかった。トラヴァースとスタジオが再び契約に取りかかったのは、ディズニーランドの建設を経た13年後のことだった。いまや60才となったトラヴァースは、今度は代理人を通じて75万ドルを要求してきた。二ヶ月後、ウォルトとのロンドンでの会見で、彼女はさらに自分の取り分を釣り上げ、利益の5%を要求してきたが、その総額は当初の75万ドルをかなり越えるものだった。しかもそれに10万ドルのギャランティ、さらに契約履行にあたって1000ポンドが追加された。
 1940年代に彼女と会い続けてきたロイはトラヴァースを評して、繊細そうできゃしゃなあごすじ、細いアーチ型の眉に大きな瞳をもつ「(大西洋横断した女性飛行士の)アメリア・エアハートのようなタイプ」であるとしていた。つまり、容姿とは裏腹に、彼女はかつての飛行士のごとく、強靱な神経の持ち主であり容易には手なづけられないと推測したのだろう。ロイの読みは正しかった。彼女はウォルト・ディズニーの作品の崇拝者ではなかったし、ウォルトのいいなりにはならなかった。

 しかし、彼女は意志が強いばかりでなく、ただの偏屈以上の人だった。彼女はディズニー映画を批判する一方で、ポピンズに関する契約を代理人とともにウォルトに送りつけ、しかも、何度もその契約を改訂しては、契約へサインすることを断り続けた。ウォルトは彼女に譲歩しようと、スタジオに招き、彼のスタッフと知り合ってもらい「あなたの反応をわたしたちの表現に反映できるように」した。ディズニーの台本を読んだトラヴァースは次のように抗議した。ひとつ、メリーは両親に、一緒に手すりを滑り「上がろう」などと誘ったりはしない、それでは両親の権威を失墜させてしまう。ひとつ、母親の命令を無視して小さな子供に水たまりに飛び込むようけしかけてはならない。ウォルトは唯々諾々と電報を打った。「メリー・ポピンズの映画化の件、最重要につき、お手紙であげられた二点の改善でご満足いただけるなら、よろこんでご要望に従います」。この懐柔策にもかかわらず、トラヴァースはスタジオを揺さぶり続けた。というのも、ある時点で彼女は、脚本が無条件で改訂されうることを明記した契約を取り交わしたからである。ウォルトは、実際に履行は無理だと知りつつサインしてしまったのだが、丸一年たっても彼女はまだ「少し考え直したい」と言い続けた。結局ウォルトは映画にとりかかって二年近くも経過して、ようやくトラヴァースとの正式契約にこぎつけた。

 彼女はそれでも満足しなかった。映画のスコアを書き、物語を形作るのに協力したシャーマン兄弟は次のように回想している。「会見の席につき、トラヴァース夫人に契約内容を見せたのですが、とにかくわれわれのやることなすことすべてが気にくわないのです。もう食ってかからんばかりで! 彼女はわたしたちが作り上げたエピソードのすべてについて、まったく最悪の選択だという感情をぶつけてきました。そして取り上げるべき他のエピソードをひとつひとつ示してくるのですが、わたしたちからするとこれがまったく使えない。」
 制作が一年も遅れ、もはや終了間際になっても、トラヴァースは脚本に対するさらなる批判を手紙にしたためてきたので、ウォルトは返事の中で彼女にあくまで感謝した上で「できるだけ採用させていただきます」と書き送った。

 以下は、メリー・ポピンズがウォルトにとってどのような映画だったかを記した部分。

邦訳:p.550-p.551の部分

 ヴァン・ダイクが感じた通り、ウォルトは張り切っていた。メリー・ポピンズの脚本を書いたのはスタジオの古株ビル・ウォルシュ(『フラバー/うっかり博士の大発明』『新フラバー』)とドン・ダグラディ(『わんわん物語』『新フラバー』)、そして監督にはやはり古株で『新フラバー』を撮り終えたばかりのロバート・スティーヴンソンだったけれど、とにもかくにも作品にはオーラがあった。たとえその理由があまりにも長い時間がかかったからであり、『海底二万哩』以来、凝りに凝り大金を投じた実写フィルムだったからに過ぎないとしても。「スタジオ全体には暗い顔をしたものは誰1人いなかった」とウォルトは言っている。やがて予算が膨大になり、ロイが干渉したり日程表を銀行に提出するよう要求するようになったが、それ以前からウォルトは映画を気にかけていた。ウォルトがこれほど個人的に映画に没頭するようになったのは何年ぶりだったろう。いまやどの作品に対しても、脚本やキャスティングに関わっていようがいまいが、手直しをし、改善をほどこして、立ち去りかねない勢いだった。メリー・ポピンズはほとんどバーバンクで撮影されたが、彼は毎日のようにセットに通った。ポピンズに世話をされるジェーン役だったカレン・ドトリスによれば、ウォルトの目的は「みんなが楽しく働いているか確かめることだったんです。とにかくそれが第一で、彼は誰にもこの体験を楽しんで欲しかったんです」。のちにドトリスはヴァン・ダイクと同じことを言っている。「彼は大きな子どもみたいでした」。

 さすがに脚本を一行一行チェックしたりはしなかったし、たとえそうしたくとも他の仕事で忙殺されていたが、ウォルトは最近の作品には珍しくこの作品に打ち込んでいた。

 *子ども性の発揮を強調しているかに見えるこれまでのすばらしい作品群においても、「解放 liberation」はあくまで二の次であり、ウォルトの主たる関心はいつも成熟、そして成熟に伴う力だった。人形から少年へ変化するピノキオも、不幸な子象からサーカスのスターへと成長するダンボも、責任を受け入れ、共感を示し、勇気を試され、そしてついには、愛を表現する。それが大人の証だった。一方、メリー・ポピンズはむしろ責任以前への回帰、いや、責任に直面した大人による子ども時代への回帰だった。ポピンズは、やんちゃな心を封じ大人しくふるまうようしつけられている子どもに、子どもの楽しさとはなにか、すなわちどうやって官僚主義や因習や独善といった大人への退行と闘うかを教えた。それまでの映画が、若きウォルト・ディズニーの「力を授ける権力 enpowerment」への志向を表していたとすれば、「ポピンズ」が表していたのは年老いたウォルト・ディズニーの抱えている困難、すなわち会社の経営者としての義務の重圧だった。おそらくウォルトは、退屈極まりない銀行員のようで実は子どもの心を秘めているバンクスさんと、その子どもの心を解き放とうとする不思議な乳母メリー・ポピンズの両方に、自らを重ねていたに違いない。この映画は彼の新しい夢、さまざまな責任から逃れ、子どもとなる夢の体現だった。もちろん、責任から逃れられないことはわかっていたし、周囲からは子どもだとしょっちゅう言われながらも現実には子どもでいられなかったのだけれど。

*Despite their emphasis on childhood release, Disney's best movies had only secondarily been concerned with liberation: his chief concern had always been maturation and the power that accompanied. と始まる部分。邦訳『創造の狂気』では以下のように訳されている。

 彼にとって最も優れた映画とは「日常からの息抜き」など二義的なことにすぎず、成長・成熟と、それに伴う人間の力を、映画を通して訴えるものだった。人形から少年へと成熟するピノキオも、子象からサーカスのスターに成長するダンボも、責任を引き受け、勇気を試し、最後には他者への愛を表明する……。つまり成人であることの証しを実現することで、成長・成熟は達成されるのである。
 これに対して『メリー・ポピンズ』は、いわば責任を前にした子ども返り、子どもへの回帰だった。子どもらしい精神を押し殺して、聖人のように行動するよう子どもたちをしつける家庭のなかにあって、ポピンズは子どもたちに歓喜を説いて聞かせる。権力志向、因習、危険な自己満億というような成人の弊害といかに闘うかを子どもたちに教える。
 初期の映画が若いウォルト・ディズニーのエンパワーメントへの欲求であるとすれば、年をとって作った『メリー・ポピンズ』は、数々の義務の重圧下にある会社経営者としてのウォルト・ディズニーに「子ども返り」を説いていた。
 たしかにウォルトは映画の中で、心に幼児性を秘めた野暮ったい銀行家ミスター・バンクスと、その幼児性を解き放とうとする魔法の力を持つ乳母メリー・ポピンズと一体化する。それは避けては通れない責任を回避しようとする、子どもでありたいとする、ウォルトの新しい代償行為だった。

第11章7節から

 晩年のウォルトのエピソードにも、メリー・ポピンズに関する描写がある。馬場康夫氏の解説(よい解説だと思う)も参照している重要な部分であり、抄訳としても細かい描写が求められる。

邦訳:p.578の部分

 ウォルトは何かの予感にかられているようだった。単に相続や引退後の会社について悲観的になっていたのではない。メランコリーの感覚が彼を包んでいた。物思いにふけるようになり、以前にもまして悲しげになった。金曜日、一週間の仕事の終わりに、ウォルトはときおりシャーマン兄弟をオフィスに呼んで、将来について話した。そして、しばらくうろうろしてから必ず窓辺へとたどりつき、いつものように虚空を見つめて「弾いてくれ!」と言った。兄弟はもうすっかり慣れていたので、すぐに「鳩に二ペンスを」のことだとわかった。『メリー・ポピンズ』で、老女がセント・ポール寺院の外で鳥にやるパンくずの袋を売る光景をうたったあの歌である。はたして老女の孤独に感ずるところがあったのか、自分の劇的で壮大な人生と彼女のささやかな人生とを比べていたのか、自身の死を彼女の中に見いだしていたのか、あるいはただ母親を思い出していたのか、ウォルトは言わなかったし、誰も知る由もない。ただ、この唄をきくと彼はいつも泣くのだった。

邦訳『創造の狂気』では以下のように訳されているが、いくつか細かい描写が落ち改変されている。

 予感がしたのかもしれない。ウォルトが思いつめていたのは、自分が死んだあとに会社はどうなるのかといった不安、あるいは相続の問題だけではない。また漠然とした憂鬱な気分に落ちこんでいたのでもない。年をとるにつれてウォルトは物思いにふけることが多くなった。
 一週間の仕事が終わる金曜日になると、時々シャーマン兄弟をオフィスに呼んで、将来のことを話した。それから窓のところに歩いていき、外に視線を投げながら、兄弟に『メリー・ポピンズ』の唄『二ペンスを鳩に』を歌うように頼んだ。この唄はシャーマン兄弟が作曲したもので、セントポール寺院の外で老婆が「二ペンス、二ペンス、ひと袋二ペンス」と歌いながら、鳩にやるパンくずの袋を売る一場面のものだった。
 ウォルトが老婆の孤独に共感するから、この唄に共感を覚えるのだろうか。あるいは仰々しい自分の人生のなかで、老婆のつましい人生を評価したのか。それともこの老婆のなかに、自分の死の運命を嗅ぎ取ったのか。老婆が自分の母親を思い出させたのだろうか……。
 彼はなにも言わなかったし、だれにもわからなかった。しかしこの唄を聴きながら、彼はいつも泣いていた。

(2014.3執筆,2020.2改訂と追加)

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