ゲイブラー『創造の狂気』補完計画:ファンタジアの頃

細馬宏通

 ここでは、ウォルト・ディズニーが『ファンタジア』のもととなる『コンサート物語』、そしてその中心となる『魔法使いの弟子』を着想する過程を訳出する。邦訳『創造の狂気』(p273-274)には文単位や句単位の気まぐれな省略が数多くあり、いくつか訳しまちがいもある。興味のある方は邦訳や原文にあたっていただきたい。特にミッキーの新しいデザインのどこをムーアが担当し、どこをキンボールが担当し、その結果何が起こったかはこの文章の勘所で、正確を期す必要がある。ここではできるだけ原文に則して訳してみた。



 『バンビ』や『ピノキオ』がいったん棚上げになる以前から、『コンサート物語』はウォルトの意識の中で大きな位置を占めるようになっていた。もはや、完全に囚われているといってもよかった。『骸骨の踊り』以来、ウォルトには常に思い描いてきた夢があった。それは『シリー・シンフォニー』を(彼がインタビューで語ったことばを借りるなら)「リアリティを見せる」ことに囚われずに「音楽の形式に沿って展開する純粋なファンタジー」として作り上げること、つまりは、アブストラクト・フィルムを作ることだった。『白雪姫』に取り組んでいる間は、このアイディアに関わっている暇はなかったが、1937年の夏ごろ、いよいよチャンスは訪れた。ロサンジェルスのチェイスン・レストランで一人で食事を取っているとき、ウォルトは、ポーランド生まれの指揮者レオポルド・ストコフスキーが離れた席でやはり一人で食事をしているのを見かけたのである。ウォルトはストコフスキーを自分のテーブルに誘った。ウォルトは、ストコフスキーが著名な文化人であることだけでなく、長いもじゃもじゃ髪であること、タブロイド誌をにぎわせていることも知っていた。じつはストコフスキーは1934年にディズニー・スタジオを訪れたことがあり、以来ときおり文通を交わし続けている仲だった。後のストコフスキーの談話によれば、その夜のディナーでウォルトは自分の考えている新作について話したのだという。それはポール・デュカスによる交響的スケルツォ『魔法使いの弟子』を用いた短編で、魔法使いのいない間に好奇心旺盛な弟子が魔法使いの魔法の帽子と杖を手に入れるものの悲惨な結果に見舞われる、というものだった。一説によれば、ストコフスキーは無償で指揮を引き受けようと申し出たとも言われており、また別の説によれば、ストコフスキーもまた、アニメーションをクラシック音楽に応用する夢をウォルトの案につなげて語ったという。いずれにせよ、二人のコラボレーションは始まった。

 『白雪姫』が一段落したこともあって、『魔法使いの弟子』はウォルトを強く刺激した。『白雪姫』がウォルトの青春時代の物語だったとすれば、『魔法使いの弟子』は彼が新たに得た力の物語であり、その力と格闘する物語でもあった。のちにビル・タイトラは魔法使いを描くにあたってウォルトの濃い眉毛をほどこし、イェン・シド Yen Sidと呼んだが、これはDisneyの逆さ読みであり、魔法使いの魔力の全能性とウォルトとを結びつけるものだった。アニメーション世界にあって、ウォルト・ディズニーはあらゆるものをイェン・シドのごとく牛耳っていた。彼はマスターであり、すべての均衡を保つ唯一の存在であり、一方、彼の手下たちは弟子であり、彼なしではいられない。だが、『白雪姫』の評判を待っていたウォルトの心にはもう一つの思いが宿っていたかもしれない。それは、彼は魔法使いなどではなく、むしろ弟子であり、魔法使いの帽子をかぶり、命令を下すものの、逆に命令した相手に凌駕されてしまうという怖れだ。作品のナレーターが「魔法使いの弟子」の説明で言っているように「これはよくいる小心者が、一度でいいから世界のものごとをコントロールしたいと願う映画」なのだ。このナレーションによって『魔法使いの弟子』は、ディズニー・スタジオにやがて起こるできごとの予兆となった(ちょうどヨーロッパとアジアで戦争が吹き荒れていた戦争が、やがて世界全体に起こるできごとの予兆となったように)。『白雪姫』が完成したいま、スタジオのスタッフたちはもはやウォルト・ディズニーにつくしはしまいと、ウォルトは考えていたに違いない。そしてウォルト・ディズニーはますますスタジオにつくすようになり、彼の力はますます制御不能になっていた。自己過信を主題とする『魔法使いの弟子』は、じつは、自分の過信に打ち負かされるかもしれないと怖れていたウォルトの悪夢として見ることもできるかもしれない。

 だが、仮にウォルトが『魔法使いの弟子』を自身の思いの発露として作り上げたのだとしても、彼にはもっとわかりやすい動機があった。彼の最も入れ込んでいるキャラクターにこの作品を捧げるという動機が。女優のヘレン・ヘイズによれば、1937年にスタジオを訪れたときに、ウォルトはミッキー・マウスの新しいカートゥーンを彼女に見せてこう言った。「もちろん、いまではドナルドが出世したよね。でも、長くは続かない。ミッキーは永遠なんだ。いったんは影にまわることもあるだろうけど、いつでも明るい光の下に戻ってくるんだ」。実際にはミッキーにさしている翳りはもっと濃かった。初期のミッキー・マウスは、ジョン・アップダイクが書いているように「アメリカそのもの——大胆で、気取り屋で、独創的で、立ち直りが早くて、気のいい奴で、気力にあふれていた」。しかしミッキーは、飼い慣らされるほどにどんどんつまらなくなっていった。ウォード・キンボールはこう回顧している。「私たちのジレンマは、ミッキーに新しいな題材、もっと洗練された題材を与えなければならない、ということだった。他の作品でパーソナリティとキャラクターを吹き込めば吹き込むほど、ミッキーは扱いにくくなっていった。ミッキーはもはや絵に描いた餅で、何かリアルなものに基づいた存在じゃなかった」。フレッツ・フリーレングもこの意見に同意している。「ミッキーはまったくリアルじゃなかった。目新しいアニメーションが出終わったいまとなっては、もうそれは、ただの白黒のらくがきがあちこち動いているだけのものだった。ああいうキャラクターと真剣につきあうのは無理だよ」。監督やアニメーターたちはミッキーのことを、「ボーイ・スカウト」と呼んだ。とりたててどうというところのないつまらない存在、という意味で。

 ウォルトはといえば、そう簡単にミッキーをあきらめなかった。彼はジャック・キニーに、ミッキーがドナルド・ダックの脇役以上になるよう物語を工夫できないか頼んだ。フレッド・ムーアとウォード・キンボールには、ミッキーをデザインし直してもっと魅力的にデザインするよう指示したが、これはムーアの得意とするところだった(ムーア自身が提案したという説もある)。ウォルトは「取調室(スウェット・ボックス)」でムーアの新しくデザインしたミッキーを検分し、何度もフィルムを回させたのちにようやくムーアの方を向き直り、「よし、これからはミッキーの描き方はこれでいくぞ!」と言った。ムーアはミッキーをよりソフトに描いた。これまで描きやすくするために円形で構成された部分を、ムーアの新しい提案では「胴体は洋梨型で短くぽっちゃり」描くことになった。これでミッキーはより曲線的になり、こわばりがなくなった。ムーアはさらに、頭をより大きく、胴体をより小さく描いた。「肩を小さく描いておなかとおしりをちょこんとさせるとかわいくなる。内股なところもいい」と彼はアクション分析のクラスで話した。

 ミッキーにはボリュームが出て重さも備わった。キンボールのことばを借りるなら「逆の動き、逆の推進力が働くようになった」のである。彼の頬は口と共に動くようになった。キンボールはミッキーの目をただの大きな黒目から、楕円形の白目で黒目を囲うデザインに変えた。あらゆる変化がミッキーをより子どもらしくさせ、よりネズミから遠ざけたわけだが、ともあれ、これが彼の進化の方向だった。子どもの頭は大人になるにつれ小さくなるものだが、進化生物学者スティーヴン・J・グールドによればミッキーは「発生の道筋を逆走」した。アニメーターたちはミッキーの頭を大きくし、パンツのラインを下げて足を縮め、鼻を高くして耳を頭の後ろに移動させることで、前頭をより大きく丸く見せた。

 ムーアのことば通り、新しいミッキーは間違いなく昔のミッキーよりもかわいくなった。そして、かわいさこそは当世流だった。「ミッキーはかわいいキャラクターだと思われるだろうね」ウォルトは新たにデザインされたミッキーが生まれたあとのストーリー会議で言った。「彼はかわいいキャラクターだ、だからやることなすことすべて魅力的に見えなければならない」。しかしミッキーをよりかわいく子どもっぽくすることによって、アニメーターたちはミッキーに残っていた最後の野生を取り除いてしまった。すなわち、アップダイク言うところの「ヴァイタリティ、油断のなさ、冒険への準備怠りないまんまるの目」である。かつてのチャップリンらしさは完全に消え去った(実際にはチャップリンの方もまた、彼の悪魔性を失いつつあった)。彼はより表情豊かになったかもしれないが、表現力はより失われた。アップダイクは主にミッキーの新しい目のデザインについて次のように書いているが、同じことは彼の新しいデザイン全体に言えるだろう。「ミッキーはより抽象的でなくなり、より記号的でなくなり、単にかわいいこびとっぽくなった」。

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