表象文化論学会で、前橋の地にふさわしく萩原朔太郎に関するパネルディスカッションが行われた。わたしはけして萩原朔太郎の熱心な読者とは言えないが、立体写真とパノラマに関心を寄せるものとして、朔太郎について改めていろいろと考えさせられた。
とくに栗原飛宇馬氏の「手品」と立体写真に関する発表は、朔太郎にとっての立体写真のあり方を考え直させる内容だった。
朔太郎がただの「写真」ではなく「立体写真」に魅せられるのは、ひとつにはその奥行き空間ゆえだろう。そしてその奥行き空間とは、両眼に異なる像を見せることによって表される一種の「手品」の産物なのだが、この手品に朔太郎は「郷愁」を感じる。栗原氏はこの点についてこう指摘している。「朔太郎はまた、通常の平面の写真を「リアリスチツクであればあるほど、いよいよ僕の心の「夢」や「詩」から遠ざかつて」いくものと述べている。換言すれば、彼が立体写真に見る〈郷愁〉とは、この世のどこにもないものなのだ」(栗原飛宇馬「萩原朔太郎の愛した〈不思議〉——手品・乱歩・『詩の原理』」)。
ここで、通常の写真と立体写真との比較において、通常の写真は「リアリスチツク」であるがゆえにむしろ夢から遠ざかるのはわかるとして、立体写真はなぜ「この世のどこにもないもの」と関係するのか。常識的に考えれば、立体写真こそ、写真以上に「リアリスチツク」な3D空間を提供するものであり、夢から遠ざからせてしまうものではないのか。
このあと、栗原氏は朔太郎の「坂」の次の一節を引いていたのだが、これがまさに朔太郎にとっての立体写真のあり方を表すものだった。
「だから我我は、坂を登ることによつて、それの眼界にひらけるであらう所の、別の地平線に属する世界を想像し、未知のものへの浪漫的なあこがれを呼び起す。」「愚かな、馬鹿馬鹿しい、ありふれた錯覚を恥ぢながら、私はまた坂を降つて来た。然り——。私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の『錯誤』にすぎないといふことを。」
ここで、朔太郎は坂のある風景じたいではなく、坂の「向うにある風景」を「永遠の『錯誤』」と呼んでいる。これはまさに、立体写真でわれわれが体験する、あの感覚、たどりつけそうでたどりつけない曲がり角の「向う」のことを思わせる。
立体写真に耽溺した者なら、朔太郎の言う「この世のどこにもないもの」が立体写真のどこにあるのかを言い当てることができるだろう。立体写真の映し出す立体的な街路、見る者が思わず入って行けそうな街路の向こう側には、朔太郎が『荒寥地方』で書くような「散歩者のようにうろうろと」歩くことの出来そうな「物さびしい裏街の通りがあるのではないか」と思わせる。しかし、その「裏街」にわたしたちはたどりつくことができない。なぜなら、立体写真が映し出すことができるのは、あくまで2.5次元、カメラのこちら側から見える世界に過ぎないからだ。立体写真が坂を写すときには、そこにたどりつくことのできない坂の向こうの存在が示される。街路を写すときには、たどりつくことのできない裏街の存在が示される。それは、けして像として浮かび上がることがないがゆえに、わたしたちの「郷愁」をかきたてる。
つまり、朔太郎にとって「永遠の『錯誤』」とは、立体写真の与える立体の世界そのものではない。それは立体写真によってもたらされる2.5次元の街路の向こう側にある、0.5次元の世界のことなのだ。
このシンポジウムでもう一つエキサイティングだったのは最後の田中純氏のコメントだった。そこで田中氏は、朔太郎がしばしば言及する「戦場の静止したヴィジョン」や「現実を裏返したあと」のさらにその裏に表れる実在性について、パノラマやパサージュのさまざまなイメージを接続しながらその魅力を語る一方で、ヴァールブルクの「情念の定型」を引きつつ、そこには戦争の審美化やステレオタイプな西欧の強化の危うさがあることを指摘していた。
そういえば、この日の熊谷謙介氏の発表では『青猫』の挿絵に用いられていた『万国名所図絵』の木口木版を取り上げ、その定型的な西洋図版の用いられ方に「地名の消去=場所の不定化」があることが指摘されていた。おそらく、木口木版化された風景には、通常の写真の「リアリスチツク」さから免れ、場所を不定化させる「隙間」があるのだ(それは、簡素化された輪郭ゆえか、それとも彫刻刀によって生みだされた「目」ゆえか)。西欧風景の木口木版、手品、立体写真。朔太郎は確かな「錯誤」を手に入れるためになぜある種の「模型的なもの(これは田中氏の表現)」を経由するのか。危うい定型をたどりながら、ただそれを審美することにつかまらずに世界を/世界に抜ける方法はあるのか。そういうことを考えながら、前橋から東京までの意外に長い時間をたどっている。