𠮷浦の町は東も北も西も山、、南が海だったが、海は汽船用桟橋と艦船用の水食糧等の納入出入用の船の繋留場であった。
ところが国道が出来、トンネルをくぐると家から約1kmで狩留賀の浜の海水浴場があった。
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浜の長い所は森沢と云う有料海水浴場だったので、私等は西隣の木村貸ボートの発着場に2−3人の友達と泳ぎに行った。
越中フンドシと、たまにお八つと云えばガーゼの袋の中にそら豆の煎ったのを入れ腰に下げて泳ぐと軟く塩味がつくと云って喜んで食べた。
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或日門田君が「呉の姉さんが泳ぎに来るから一緒に行こう」と誘って呉れた。すると森沢の有料浜に入れて呉れて、桟敷に陣取り、カキ氷やら水瓜やら食べたり、おごって呉れたりしかけたが、どうも性に合わず途中で退散した。
帰りトンネルの入口で湧水を飲んだのが美味かった。
細馬芳博(昭和4年生)のノートから