サイレント映画の音楽



サイレント時代、フィルムに音はついていなかった。
だから音楽なんかあるわけないだろ、というのはちょっと早い。
フィルム自体には音楽はついていなかったけれど、じっさいに上映されると
きは、伴奏音楽がついていたからだ。じゃ、その伴奏とはどういうものだっ
たのか、そもそもどんな伴奏をするかを誰が決めていたのか。それは
カートゥーン音楽とどんな関わりがあるのか・・・というのがここでの話。


【映写機の音、映写音楽】 【1ムードに1曲、伴奏音楽の誕生】 【選曲家、アレンジャーとしての劇場演奏家】 【カートゥーン音楽のルーツとしての伴奏音楽】 【おまけ1:サボテン・ブラザーズ】 【おまけ2:自動演奏機械、サイレント映画のラグタイム】 【追記】
【映写機の音、映写音楽】 ↑目次 フィルムを回せば、音は出る。映写機がかたかた言う音。映画館だとあまり聞 こえないけれど、映写室のない自主上映の会場に行くとこの音がする。映画の 始まりとともに鳴り始め、映画の終わりとともに鳴りやむ。これがたぶん、い ちばん最初の映画についた音じゃないかと思う。 じっさいそれはトーキーの時代になって、サウンドトラックに録音されるよう になる。たとえば、「明日に向かって撃て」は、バカラックのメロディではな く、映写機の音で始まる。ホーム・ムービーを鑑賞するシーンにもそんな音が 入る。たとえば「パリ・テキサス」。 映写機の音は別として、サイレント時代にはどんな音がついていたのか。 "Film Music 2nd ed." ( by R. M. Prendergast ) を元に書いておこう。 リュミエールがパリのグラン・カフェで1895年に映画を上映したとき、すでにピ アノの伴奏は付いていたらしい。翌年ロンドンの劇場で公開されたときはオーケ ストラが伴奏したという。最初の頃は、オーケストラは映画が始まるといくつか 曲を演奏し、演奏が終われば映画も観客もほったらかしてその場を片づけた。映 像の内容を装飾するのではなく、単に、映写の間鳴っている音楽に過ぎなかった わけだ。MIDIタグの埋め込まれたWWWページの音みたいなもんかもしれない。 音楽はまだ、映写機の音ほども映像に寄り添っていなかった。 【伴奏音楽の誕生】 ↑目次 年月が経つに連れ、次第に映像に合わせた伴奏が求められるようになってきた。 1908年にはサン・サーンスに映画音楽の依頼が入った(「ギーズ公の暗殺」)。 1909年には、エジソン映画会社が、映画を配給するときに「音楽のための手引 き(キュー・シート)」を発行するようになった。これはあらかじめ刊行された 伴奏音楽曲集とセットで用いるもので、たとえば、ある場面には、曲集の何番を 使いなさい、という風に指示が書いてあった。 1910年代になると、他にもいろいろ伴奏音楽用の譜面が出回るようになってきた。 1913年、J.S.ザメニックが編集した「サム・フォックス活動写真音楽集」という のが出る。この曲集の目次の一部が、「フィルム・ミュージック」(岡俊雄/教 育社)に載ってるんだけど、「日本のラブソング」なんて項目があったりする。 うーん、どんな曲だったんだろう。 さらにまとまったものとしては、G. Becceという人が1919年にベルリンで出版 した「キノテック (kinobibliotek)」がある。これは映画の場面に応じてカタ ログ化された楽曲集だった。たとえば「ドラマチックな表現」としては
(1)クライマックス (2)ミステリアスな緊張 (3)興奮した緊張 (4)感情豊かなクライマックス
などが用意されていて、さらにそれぞれについて、たとえば(4)なら
(a)絶望 (b)激しい悲しみ (c)激しい興奮 (d)歓喜 (e)勝利 (f)浮かれ騒ぎ
というぐあいになんでもござれの内容だった。ちなみにBecceは、 トーキー時代以降も、この才能を生かして映画音楽の作曲家として活躍した。 つまり、1910年代には、1ムード1曲、 という伴奏音楽システムが出来上がっていたわけだ。 ところで、このキノテック、一見便利そうだけど、使うのはずいぶんたいへ んだったのではないか。映画が始まってから、「ええと、次はどの曲でいこ うか」なんて考えてたら間に合わない。まして譜面なんか繰ってたら、肝心 のシーンが過ぎてしまう。上映の前に映像を見ながら何度もリハーサルでき ればいいけれど、当時はそんな余裕もないことが多かったらしい。これはぼ くの想像だけど、たぶん腕の立つピアニストは頭の中でキノテック風に音楽 をカタログ化していて、譜面を見なくても映画を見ながら瞬時に適当な曲を 弾くことができたんじゃないだろうか。「耳で弾く」ってやつだ。 【選曲家、アレンジャーとしての劇場演奏家】 ↑目次 ピアニストなら自分の判断ですぐに音楽を変えることができるけど、オーケス トラとなるとそうもいかない。そこで、あらかじめ映画にどんな音楽をつけた らいいかを考える商売が出てくる。アメリカではマックス・ウィンクラーとい う人がこの商売を始めた。彼は1912年、劇場のオーケストラ用に「ミュージッ ク・キュー・シート」というものを売り出した。その中身はたとえばこんなぐ あいだった。
1.ベートーベンの第二メヌエットト長調を9秒演奏、 『ついておいで』の字幕が出るまで鳴らす。 2.ヴェリイの『ドラマチック・アンダンテ』を2分10秒演奏。 注意:母親が入ってくるシーンではやさしく演奏すること。 第二のキューまで演奏したら『ヒーロー部屋を去る』のシーン。
ベートーベンやチャイコフスキーといったクラシックの名曲には著作権がな かったから、盛んに引用された。引用されるだけじゃなく、どんどんアレン ジされた。ときにはジャズ風、ときにはギャロップ、映像に合わせてテンポ もどんどん変えて演奏された。オリジナルへのリスペクトよりも、 映像にいかに合っているかの方が優先されたわけだ。 つまり、1910〜20年代には、いっぽうにキノテックのような映画音楽用 伴奏音楽曲集があり、いっぽうには、既存のクラシック曲をつぎはぎする ためのキュー・シートがあって、どちらも1ムード1曲を実現する ための道具となっていた。 劇場の演奏家たちは、曲集やキュー・シートに頼るだけでなく、独断で 選曲したりアレンジしたりもした。 たとえば、「カリガリ博士」がブロードウェイに輸入されたときは、「牧神の 午後への前奏曲」や「ティル・オイレンシュピーゲル」などが、劇場の指揮者 の判断で演奏されたらしい。 また、こうした演奏で問題となるつなぎも、劇場の音楽家によって作られた。 シーンの転換で音楽がぷっつり切れるのは不自然だ。生演奏だからフェイ ド・インやフェイド・アウトも情けない。となると、ひとつの音楽から別の 音楽へのつなぎが必要になってくる。そこで、演奏家たちがそれぞれ自分で つなぎを創作をしていたというわけだ。 こうして次第に 伴奏音楽家は選曲家、アレンジャーの様相を帯びてくる。 そして伴奏音楽は一種の引用音楽となっていった。 ちなみにサイレント時代の大監督グリフィスは「国民の創生」「イントレランス」 などを、オーケストラ音楽付きで上映したんだけど、その中身はベートーベンや フォスターなどのクラシック、ポピュラー音楽のツギハギだったらしい。つまり、 巷の伴奏音楽の発展形のようなものだったらしい。 【カートゥーン音楽のルーツとしての伴奏音楽】 ↑目次 なんだか書けば書くほど、まるでカール・スターリングの音楽の話をしてるみた いな気がしてくるんだけど、まさにその通り、カール・スターリングは1920年代 にカンサスの映画館で伴奏音楽家をやっていたのだ。ワーナー・ブラザーズでの 彼のあのシッチャカメッチャカなツギハギ音楽ぶり、めくるめく引用ぶりは、一 ムード一音楽のスタイルをどんどん加速していったものだったといってもよい。 ゴールドマークも"Carl Stalling and Humor in Cartoons"という文章の中で 彼の音楽のスタイルのルーツがこうした伴奏音楽にあったことを指摘している。 一方、MGMでカートゥーン音楽をやっていたスコット・ブラッドリーにも伴奏音楽 のルーツが感じられる。ブラッドリーは20年代にロサンジェルスのラジオ局で指 揮者をやっていたから、伴奏音楽的なものには通じていたはずだ。彼もまた、ス ターリングのようにツギハギを得意としていたが、とくにTex Avery の「Who killed who?」は全編オルガン一本でめくるめくスタイル変化を弾き通している。 うーん、昔はこんな風にサスペンスを伴奏してたのかしらん、なんて思わされ る。 ちなみに、この作品では、登場人物がびっくりするときに、曲の途中にいきなり ショック・コードが割り込んでくる。こういう、曲の途中に割り込みっていうの は、チャップリンがトーキー第一作「街の灯」でグリッサンドを使ってやってい て、これまた古式ゆかしい手法。 【おまけ1:サボテンブラザーズ】 ↑目次 好きな映画のひとつに「サボテン・ブラザーズ ( 3 Amigos )」があって、もう何 度となく見てるのだけど、はじめのほうで、サイレント時代のメキシコでの上映 シーンが出てくる。で、伴奏音楽が教会のオルガンで演奏されるんだけど、これ がヘタクソさ加減も含めてじつにいい湯加減。悪役が出てくるシーンは8分音符 和音連打で、いかにも伴奏音楽集観ながら弾いてますって感じなんだけど、3ア ミーゴズが出てくるところだけ、スペイン風の主題歌のメロディになる。インチ キ臭さがいい。同じメロディがエルマー・バーンスタインのいかにもシンフォ ニックでございなアレンジで冒頭に流れてるので、インチキ臭さ倍。さらにC. チェイス、S.マーティン、M.ショートの白黒で強調された濃厚メイクと相 まって、3イカ効果を醸し出している。ちなみに引っ越しのサカイの風呂バー ジョンCMがこの映画のパロディだってのは観た人なら知ってるよね。 【おまけ2:自動演奏機械、サイレント映画のラグタイム】 ↑目次 ちなみに、サイレントの頃は映画用の自動演奏機械なんてのもあったらしい。 「ワンマン映画オーケストラ」「フィルムプレイヤー」「ムービーオデオン」 「パイプオルガンオーケストラ」などなど。牛の鳴き声やらクラクションやら ピストルの音などなどの効果音を鳴らすこともできるものもあったらしい。ぼ くは、映画用ではないが、この頃に作られたパーカッションやギター付きの自 動演奏機械を聞いたことがある。それはそれはにぎやかしい音だった。音楽は いつも同じだったんだろうか。自動ピアノみたいにロールに譜面が書いてあっ たのかな。だとしても、映像とどれくらいシンクロしてたのだろう。 TVやビデオでチャップリンやキートンのサイレント映画を見ると、よく スコット・ジョップリン風のラグタイムが流れている。ああいう習慣はいつ から始まったんだろう。それとも当時から、映画の配給とともそういう指定 がなされていたんだろうか。 【追記】 ここでは、もっぱら、引用音楽としての伴奏音楽を取り上げたけれども、実際に は、1910年代、20年代にはオリジナルの映画音楽も数多く作られている。ヨー ロッパ映画ではサン・サーンス以降、オネゲル、オーリックを始め、著名な作曲 家たちがオリジナル音楽をサイレント映画のために作曲した。また、グリフィス 以降、アメリカでもオリジナル音楽を作曲した人は多い。エイゼンシュタインは どうした、という話もある。が、カートゥーン音楽のルーツとしてのツギハギ伴 奏音楽の話がここでの目的なのでそれらは略す。 サイレント期の映画音楽については、先に挙げた「フィルム・ミュージック」 (岡俊雄/教育社)が参考になる。 また、早崎隆志さんのページは、サイレント時代の話も含め、 映画音楽史に関する内容が充実していて読み応えがある。 伴奏音楽についてはこちらもどうぞ。 (98.03.21, 04.09一部改訂)


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