勝手にシンクロ
シンクロシンクロといっても、人間シンクロがなきゃ無理矢理にで
もシンクロを発見するものだ。たとえば、長野オリンピックのフィ
ギュアスケートを見てたら、あまりに演技と音楽が無関係なので、
これなら音楽がなんでも構うまいと思って、TVの音声を消して手
当たり次第に手持ちの音盤をかけたが、どれもけっこうハマって聞
こえた。ときどき3回転半ジャンプとブレイクがぴったり一致した
りするのだ。なんだ、偶然の方が出来がいいじゃないか。「宇宙大
怪獣ギララ」のサントラですら、まるであつらえたようにぴったり
だった。

サイレント時代の映画をビデオやLDで買うと、よく伴奏音楽がつ
いてくる。サイレント時代の遠さを感じさせる、筋書きに対してあ
まりべたべたしない音楽だ。それはそれでいいのだけれど、何度か
見るうちに、どうせ筋にシンクロしないのだから、とこれまた音声
を消して手持ちの音盤を適当にかけて見てしまう。「家具の音楽」
サティはもとより、アルフレッド・ニューマン、ハーマン、モリ
コーネ、その他トーキー以後の劇性の高い映画音楽をかけてもよ
い。強迫的な音楽構造の大部分は空振りに聞こえて、それはそれで
おもしろい。たまに映像の切断点と音楽の切断点が合う。突然
フォーカスが合ってできごとが3D化したみたいに見える。

音がどんなに粗雑で、ちょっと聞きには映像に不向きに聞こえて
も、映像と音楽のあるところ、関係が発生する。サウンドトラック
の可能性が生まれる。ゴダールの「男性・女性」の録音技術なんて
ひどいもんだと思うけど、カット割りとともに録音ノイズのレベル
まで変ってしまうそのラフさは、ピストルの発射音とあいまって、
サウンドトラックとして魅力的な音になっている。



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