シェイマス・カルヘイン『自分の創造性に分け入る』 Shumus Culhane “Tapping into your creativity” より

 ここに訳出したのは、Shamus Culhane “Animation — from script to screen” (1988, A Thomas Dunne Book) の第二章“Tapping into your creativity”の一節 p23-27である。
 1930年代、ディズニー・スタジオが『白雪姫』にとりかかっていた頃の話で、カルヘインがディズニー・スタジオで「パーソナリティ・アニメーション」に目覚めたときの興奮が鮮やかに描かれている。ゲイブラーのディズニー評伝の第六章補完部分(2)1930年代の補完計画(a)(3)1930年代の補完計画(b)と読み合わせると興味深い。

 アニメーターをやり始めたとたん、わたしはある奇妙な現象にでくわして困った。朝、仕事に行き、何の苦もなく絵を描いて素晴らしい数時間を過ごしたとする。さて、ランチにでかけて戻ってみると、さっきまでの魔法のようなタッチがもう消えているのだ。午後のあいだずっと、鉛筆と消しゴムのあいだをいったりきたり、そして五時になるまでの時間を無駄にしてしまう。
 ときには逆になる。何時間も格闘した末、どうやらギアが入り始めると描くのが楽しくなりゲーム再開。うまく描けるときと描けないときとの落差があまりに激しいのが悩みの種だった。

 その頃、フライシャー・スタジオで働いていたのだが、そんな風に凡才と天才のあいだを振り回されるようなことに悩んでいるのは、どうやらわたし一人だった。契約が切れて数年はディレクターになり、最初はアイワークスのスタジオで、次にヴァン・ビューレンのスタジオで働いた。けれど、アニメーションへの興味は消えず、フライシャー時代に培った基礎よりももっと先に学ぶことがいくらでもあることに気づいた。それで、ディズニーの門を叩いてめでたく採用された。

 ディズニーでのドローイングの水準はとても高く、ベストを尽くしても自分で納得はいかなかった—実際、その感覚は当たっていた。わたしはパニックになり、まずいドローイングを量産する始末だった。出来の悪い仕事はクビにつながる。どうすればいい?
 アニメーション・スランプはある種の心理的なものだと思ったので、まずは創造性に関する本をあれこれ読んだものの、ほとんどはたいそうな専門用語でできた代物だった。そこで今度は同僚にしつこいほど聞き回ったが無駄に終わった。タイトラやファーガソンのような大御所でさえ、四苦八苦しないと描けないことがあると簡単に認めるのだった。曰く、いつかまた鉛筆の先から絵が流れ出すときがくるよ。
 彼らのなぐさめにわたしは不満だった。フレディ・ムーアは、鉛筆からクレヨンに切り替えてみては、と言う。タイトラは一日ひたすら頑張って、結果は翌朝には忘れる、と言う。誰もがアニメーターにはスランプがあることは認めるものの、これぞという答えを持っていなかった。けれど、誰にでもある問題ならば、そこに用いられる原理には必ず適不適というものがあるはずではないか。

 考えたり読んだりした結果、ようやく答えにたどり着いたが、それはまったくの偶然か、あるいは無意識の直感によるものだった。それはすでにディズニーに入って二年目のこと、わたしはもはやクビ寸前というところだった。クビのかわりにアニメーション部門から配置換えさせられた先は、大嫌いなストーリーボード部門だった。そこでビル・ロバーツと仕事をすることになったのである。ビルは、ノーマン・ファーガソン、フレッド・ムーアと並ぶ、プルートのスペシャリストのうちの一人だった。ロバーツの厳しい指導のもと、わたしのドローイングの腕はめきめき上がった。

 あるときビッグ・チャンスが来た。『ハワイアン・ホリデイ』という作品で、プルートとカニのシークエンスがあった。いつもなら三人のスペシャリストの誰かが手がけるところが、当時はみな『白雪姫』に忙しく、わたしに担当が回ってきたのである。ところが、ストーリーのスケッチとレイアウトを渡されてすぐにアニメーションに取りかかるはずが、どうにも気乗りがしなかった。なんだか白昼夢にでもいるみたいで、仕事が手に着かない。担当できると決まったときのわくわくする感じとは全く正反対だった。
 まる一日がそんな調子でつぶれてしまった。五時になってその日の出来を見せる段になると、一ページの中にいくつか描かれた一インチ大のプルートのスケッチが一ダースほど、それもすでにストーリーボードに描かれたものの焼き直しだった。それも、集中して描いたものではなく、いたずら書きといったほうがよいシロモノ。
 翌日もまた同じ、いやもっとひどかった。またもやプルートの小さなスケッチを数枚、それにカニの絵。三日目、いくらなんでもあせるべきだった。もしディレクターのベン・シャープスティーンが部屋に来てわたしのやってることを見たらショックを受けたことだろう。そこにあったのは、ほんの三ページの小さなドローイングだったのだから。けれど、わたしは、自分の内なるメッセージを待っているような、心の中で何かがわたしを前に押し出してくれるのを待っているかのような感じだった。

 四日目の午前も半ばを過ぎ、急に電流が走った。元々、アニメーター・スランプでなければ、わたしは描くのが速いほうだったが、そのときほど速く描いたことはなかった。何枚描いたか数えもしなかった。エクスポージャー・シートにちょっと目をやっただけで、チャートの間をあけることすら忘れた。
 目指すことはただ一つ、アクションに関するこのアイディアを外に吐き出すこと。それはさながら大洪水だった。自分で制御しようともしなかった。ドローイングが気にくわないときはただペグから剥ぎ取って床に放り投げ、すぐさま新しいシートを手に取った。
 どのラフも完成形ではなかった。目玉だけのもあれば、体だけで頭なしというのもあった。殴り書きのようなものだった。ビル・ロバーツに鍛えられていたおかげで、どんなに速く描いても、プロポーションやサイズが乱れるということはなかった。その日、百枚は描いたと思う。翌日も同じだった。リラックスしていながら緊張を保つというこのムードはランタイムをはさんでも途切れず、仕事が終わっても続いた。

 ストーリーボードにはない新たなアクションが意志あるもののように現れ始めた。カニは単なる添え物ではなく、一匹のパーソナリティを持ち始めた。甲殻類殿エディ・G・ロビンソン、といった風格で。まるで俳優で観客の気分だった。おどおどプルートと喧嘩っ早いカニとの道化芝居を醒めて見る一方で、同時に彼らの感情を感じながら描いている。
 一週間もしないうちにシークエンスのすべてのラフができあがった。ざっと700枚。わたしは一つのはっきりとしたルールを自覚した。いかなるまっとうな理由であっても描くのを止めないこと。エクスポージャー・シートにとりかかったり、ミスを消したり、モデル・シートをチェックしたりしないこと。
 なぜドローイングを捨てたかも問い直しはしなかった。だいじなのは、ひたすらラフに取っ組み続けること。消しゴムは一度も使わない。うまく描ければよし、でなければ放り投げる。たとえちょっと直せば使えるとしてもだ。このあふれんばかりのドローイングとアイディアを止めてはならない。いわゆる機械的な作業、ドローイングをあちこち直すこと、ナンバーを打つこと、エクスポージャー・シートに見入ること、これらいかなる要素も、アイディアの流れを断ち切ってしまいそうだった。なぜか無意識のうちにそれがわかっていたのだ。

 できあがったラフは—アイディアとは言えないスケッチだった。おそらくこのラフをもとにクリーンアップドローイングを描ける者はいなかっただろう。というのもそれはラフを描く過程のある時点で、自分でこんな感じだと思ったことを覚えておくためのものにすぎながかったからだ。プルートがカニにうなるアクション、カニが帽子を放り投げ、プルートににじり寄るアクションの、「感じ」があった。それはうなる口、素早く動く爪、垂れ下がった尾によって表された。どれもドローイングというよりは、覚え書きといったほうがよかった。

 わたしはまだ何者になるとも知れぬ新参アニメーターだったから、アシスタントなどおらず、自分ですべてのクリーンアップをやることになった。いまやすべてのシークエンスのラフはできた。わたしはドローイングに通し番号を打ち、退屈なエクスポージャー・シート作業に向かった。わずか五日で湯水のようにあふれでたドローイングは、クリーンアップに六週間かかった。ペンシル・テストでさまざまな場面が表されるにしたがって、ウォルトとストーリーマンたちは、わたしがカニに新たな次元を加えたことに気づき、彼らもまた自身のタッチを加えた。
 新たな次元を加えるときにはいつも、自分の殴り書きに戻って、新しいアクションの前にいくつかのドローイングを使い、続きを最速で描き切った。何フィートにもなるアクションですらこの方法で行った。そして、クリーンアップを仕上げ、エクスポージャー・シートに書き込んだ。  アル・ユーグスター描くミニー、ミッキー、ドナルド、ウーリー・ライザーマンとフレンチー・デ・トレモダン描くグーフィー、そしてわたしのプルートーとカニのシークエンスはこれまでになく活き活きとしたもので、わたしたちが飛び抜けたカートゥーンを作ったのは間違いなかった。翌年のヴェネチア映画祭でそれは実証された。『ハワイアン・ホリデイ』はその年の最優秀短編賞を受賞したのだ。

   どうやらわたしは、自分でアニメーションの過程を二つに分けていたようだ。第一は白昼夢の段階。ここでは、エネルギーの噴出が最高潮に達した。この段階ではドローイングは最高速度に達するが、重要な特徴は、考える間をわざと自分に与えない、ということだった。深慮とか内省というものはこの段階には不要だ。
 第二の段階では、直感的な動きは全くない。意識的な思考に主に集中することになる。自分で吐き出したドローイングを解釈することに全霊を注ぐ。それぞれの走り書きを注意深く時間をかけて検討し、その特定の姿勢を描いたときに自分を襲った感覚を思い出そうとする。
 つまりわたしが見つけた創造的方法というのは、完全に二つのはっきりとした異なる機能に分かれており、油と水のごとく混じることはないのである。

(細馬宏通訳 Oct. 24, 2010)

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