国立マルケ博物館
書物なき壁を飾る絵 ビブリオテカ
開きたる扉描かれし扉かな
それぞれの消失分かつ柱あり
理想都市
ロトゥンダの扉は半ば開きをり
ひとけなき地下の住居に羊歯(しだ)垂れり
遠近法爆発。とくに寄せ木細工で作られた王侯の戸棚。
一点透視図法は、単に平面絵画に奥行きをもたらしただけではない。一つの消失点という理想idealをもたらし、一点を中心とする対称形(つまり
二つの似姿)をもたらした。「理想都市 La cita ideal 」は、このような一点透視の力とユートピア幻想との結合である。
視点への嫉妬。王の視点を得たいと思わせる欲望。
この博物館所蔵の15世紀の絵画には、一点透視による遠近法と、旧来の平面的な遠景とが混在している。そのため、遠近法の舞台に平面絵画がはまっ
ているかのような奇妙な構図になっている。(この点で、フラ・アンジェリコの「聖母戴冠」における遠景の怖さとは異なる。→0911)
フィレンツェのサンマルコ寺院でフラ・アンジェリコを見て以来、受胎告知の構図が気になっている。青山さんの話では、受胎告知図の比較は美術の講
義に出てくるくらい有名な話で、受胎告知図だけを集めた本もあるという。すでに先達はいるというわけだ。しかし、自分なりに気になっていることをまとめよ
うと思い、受胎告知の絵があるたびにスケッチする。
受胎告知は「知る者」と「知らざる者」との対話を描いている。告知とは、非対称な二人が対称にいたる過程であり、非対称なプロセスを時刻で切ってみたと
きにはかならず、その非対称性が表情やしぐさとなって表われているはずであり、逆に対称にいたった時刻を切ってみたときには、その対称性が強調されている
はずである。したがって、受胎告知を論じるためには、天使のしぐさとマリアのしぐさを別々に論じるのではなく、その差異を論じなければならない。
昼飯に、宿に近いレストランへ。トリュフをふんだんに使った料理を食べる。しかも安い。トリュフもまた山の産物というわけか。
午後、ラファエロ広場への坂道。そこから東側を望む道をうねうねとくだりながら市の中心へ戻る。ラファエロの生家は瀟洒な博物館となっている。ここでも受胎告知をスケッチ。
夜は昨日と同じレストランで食事。夜半前には寝る。