サンマルコ教会
向かい合う鏡となりて天使告ぐ
部屋ごとに磔刑の絵と小窓あり
戸口より窓のぞく絵に世を重ぬ
松の枝(え)はあの小窓にも伸びゆけり
「受胎告知」の手の位置。フラ・アンジェリコの有名な絵では、天使が右手を前に、マリアが左手を前にしている。両手はこころもち腹に近づき、単なる挨拶であるにとどまらず、受胎の気配を手で確かめるかのようである。この、対話の可能性のようなしぐさに注意すること。天使が左手に遅れて右手を重ねるとき、マリアは鏡を見るように、右手を先に、遅れて左手を重ねたのではないか。
受胎告知には数多くの図像があって、それは美術の世界では「とまどい」とか「謙譲」といったマリアの感情表現によって分類されているらしいのだが、むしろ、天使とマドンナの関係によって分類されるべきだろうと思う。そうすれば、コミュニケーションの現場、ジェスチャーの現在を捉えた「共時的ジェスチャー」の表現としてフラ・アンジェリコを評価できるだろう。わたしたちが日頃体験するような鏡の動きの瞬間を捉えているからこそ、この絵は他の絵に比べて「人間的」(ルネッサンス的)だと思える。
もうひとつ、フラ・アンジェリコの絵画には、単なるパースペクティブの導入にとどまらない「視点」の導入がある。
「受胎告知」は上の階にあがってすぐの部屋、31房の外壁に描かれている。この壁のすぐ右下横には小さな戸があり、そこから小窓がのぞいている。同じような戸と窓の関係は、「受胎告知」の中にもそっくり描き込まれている。そのため、絵を前にすると、(戸と小窓を介することによって)まるで自分の立っている場所が、受胎告知の現場であるかのような錯覚にとらわれる。
31房をはじめ、修道士の部屋のひとつひとつには、戸口があり、小窓が見える。つまり、どの修道士も、受胎告知の絵の風景の一部を、自分の部屋の前に持っていたことになる。このような建物の構造は、絵に描かれた「受胎告知」というできごとを、自らの世界に重ねることを容易にしたはずだ。
フラ・アンジェリコの「受胎告知」は初期のパースペクティブ絵画としても知られている。しかし、単にパースペクティブを用いているだけでなく、同じ建物にあるさまざまな意匠を借りている。印象的な柱の重なりは、同じ階にあるミケロッツォ設計の図書館や地階の回廊に見られる柱の重なりを思い出させるだろう。こうした意匠の重なりによって、世界はより容易に重なる。
パースペクティブそのものだけでは現実感を生み出すのは難しい。そこに描かれている世界とこちらの世界とを重ねるための手がかり、参入の種が必要となる。その種が、フラ・アンジェリコの「受胎告知」では戸口と窓であり、柱の遮蔽である。
これら「視点」の問題は、遠近法の解説書を見ても書かれておらず、現場に来て、絵の前に立ってみないとわからない。
サンタマリア・ノヴェーラ教会
右側の庭を抜け、2Euro払って中へ。中央にはジォットの巨大な十字架が下がっている。白と緑の縞を持つ柱の遮蔽が美しい。見上げながら歩いていくと、柱の遮蔽が分断され、隣り合う柱と交じり、また引きはがされていく。
玄関裏に「受胎告知」のフレスコがあり、やはり天使は右手を前に、マリアは左手を前にしている。
祭壇の右、Strozzi
Chapellのフィリッピーノ・リッピの描いた絵に惹かれる。窓の両脇、守護天使の持つ楯が、窓枠を遮蔽して立体効果をあげている。だまし絵としては非常
に早い時期のものではないだろうか。フィリッピーノ・リッピは、昨日みたブランカッチ礼拝堂の描き手の一人でもある。遠近法の登場と期を同じくして、だまし
絵のテクニックが飛躍的に向上したことは記憶にとどめておいていいだろう。
教会左の回廊に描かれたフレスコ画。とくにウッチェッロの「洪水」。パースペクティブの異様な効果。遠近法が開発されたばかりの15世紀に、その奥行きをさらにどぎつくするような表現が表われた。これはそのひとつだろう。一点透視の消失点に稲光が落ち、そこから木は放射するように嵐になびき、通りは定規ではかったように(はかったのだろう)放射する線上にぴったり伸び、その上に人々が配置されている。絵が半円形の枠を持つことで空は低くなり、圧するようなノアの洪水が描かれている。
電車を乗り継いでボローニャ経由でペーザロ、そこからバスでウルビノへ。
いくつもの丘を越えていくと、突然、丘の切れ目に城壁に囲われた町が表われる。トレドを思い起こさせる城壁都市。ここにはペエロ・デッラ・フランチェスカが描いたと云われる「理想都市 Ideal de cite」(最近では違うという学説もある)をおさめた博物館がある。といっても、これは青山さんからの受け売りで、ぼくは予定があいていたのでなんとなくついてきただけである。
宿に着いたのは夕方。とりあえず散歩がてら城壁のそばまで。日暮れの色のグラデーションは手彩色のように地平線の赤が淡くなり、中天に向かうほどに青が濃くなる。突如現われる火星。夕暮れの空に見える一番星は、ずっとそこにあったはずなのに、眼が暗さに慣れてきたところで突然認知される。
レストランのメニューには馬肉やウサギの肉が並び、やはりここは丘を越えた山の地方なのだなと思う。ウサギはローズマリーと塩でしっかりと味付けしてあり、その奥に鶏とは異なる野趣。