時差ぼけのせいか、7時にはさっさと目が覚める。朝食を済ませてから、湾口まで散歩。坂を上り下りすると、やがて、セザンヌの絵のようなむき出しの地層で覆われた巨大な砦があって、その下をトンネルが貫いている。
ファロ宮の庭から湾口を見下ろす。このあたりは石灰質なのか、遠い岸にはずっと同じような地層が続いて、谷間を水道橋がつないでいる。湾口いっぱいの大きさがあるフェリーが、縦列駐車するように並んでいる。
Infoで「古い絵葉書を探しているのですが」と聞いてみると、「つまり19世紀のもの?パーフェクト。こことここにあります。」と言われる。徒歩2
分。行ってみると、ただの土産物店に複製の絵葉書がちょっと置いてあるだけだった。考えてみれば、観光案内所の若者に「古絵葉書は?」などと趣味的な話を
するのが間違ってるのだ。
紙もののことは紙もの屋に聞け。というわけで、これは若者にも分かるところの、古本屋がたくさんあるエリアというのに行ってみる。坂を上り、移民街を抜
け、港町らしい無国籍なエリアを過ぎて、最初に見かけた古本屋でたずねてみると、ちゃんとでかいタンスの引き出しから手彩色が出てきた。なんだ、ここにあ
るじゃないか。手頃なのを一枚抜いてから、さらにたずねると、「絵葉書ならここ」という一軒を紹介された。
小路にはいたるところにペインティングがほどこされている。小劇場、古本屋、楽器屋や骨董屋、そしてクラブとレストランが目につく。キューバンクラブ、
カーサ・ド・ブラジル、フェイルーズ(というのはレバノンのあの歌姫の名前だろう)、ヨガスクール。劇場のあるところ文化あり。ウィンドウごしに中をのぞ
きながら行くと、ある一軒の店内に紙箱がずらりと並んでいた。
話を聞くうちに、この店の主人は絵葉書商であるだけでなく、たいそうなコレクターで、写真絵葉書をアーカイブとしてプロヴァンスの歴史本を書いたり、写
真絵葉書の発明家といわれるマルセイユ生まれのドミニク・ピアザについて調べている人だということがわかった。先代からやっている店だそうで、この膨大な
絵葉書ストックは二代に渡って築き上げたものとのこと。
紙箱の中身はパラダイスで、この質なら、もっと十二階絵葉書や美術絵葉書が出てもよさそうなものだが、あるいはすでに誰か先客が抜いたあとなのかもしれない。
あるいはもともとこういう中身なのかもしれない。ハーグもそうだったが、港町の絵葉書屋には港町ならではの品揃えがある。それは旅先から送られてくる名所絵葉書であり、東京よりも横浜であり、神戸である。港町は港町とつながっている。
冷房のない店内は暑く、頭がぼうっとしていたのかもしれない。途中コーヒーを二杯飲んで休憩しながら、もうええっちゅうくらい、安い中古車が買えるくらい買った。値段は中古車なみだが、量は中古車のダッシュボードに入るほどの、ただの紙束だ。
ネットカフェでメールをチェックすると、なんとタイミングの悪いことに、virtualnet.aveからWWWページの使用バイトが超過しており、
カード決済ができないとの連絡。6月にカード会社が番号を切り替えたのだが、そのために決済が滞っているらしい。急いで返事を出し、新しいカード番号を伝
える。
夕方、いったんホテルに戻ってからゆうこさんと落ち合い散歩。古本街の近くで見つけたプロヴァンス料理屋へ。ゆうこさんはイフ島で九死に一生を得たらしい。切り立った岸辺でナイフのような石灰岩に激突しかけたという。聞くだけで小便がもれそうだった。
しばらくすると地元民と思われる人々で店内は賑わいだした。メロンに生ハムをブドウソースで味付けしたもの。魚スープ。前菜から食ったことのないうまさ。
メインは牛肉のマリネとパスタをからめたもの。ニンニクをあぶったものとトマトをあぶったものが同じ地位についている。うまいことはうまかったのだが、腹
に入りきらない。汗をかきながら食う。食べ過ぎて苦しい。
周りの人々は同じmenuを楽々と食べている。これだけのボリュームをぺろっと食ってしまう連中と格闘したり智恵くらべをしたら、ふつうは負けるだろう。
そういう楽々連に追われるようにモンゴロイドは東へ、そして絶海の孤島日本へたどりついたのであろうか、などとジャレド・ダイアモンドじみたことを考え
る。
それにしても腹が重く、生汗が出る。