朝8時、寝ていると、昨日の二人が「電源変換コネクタを売っているところを知らないか」と尋ねて来る。電気屋では手に入らなかったらしい。暗に貸してくれということなのだろうが、また一晩返ってこないと困るので、「Zoo駅の旅行者用の店をあたってみたら」と答える。 顔を洗いに浴室に行くと床がびしょびしょだ。足ふきマットは水びたしで踏むとちゃぷちゃぷと音がする。どうやら貸し間の仁義を知らない奴ららしい。 まずはLonely planet ガイド一押しのマーケット、Rathous Sch嗜ebergへ。しかし、少なくとも火曜日はフリーマーケットではなくただの市場だった。ただの市場なので焼きそばでも食うか。あと、桃買って食う。 ユダヤ博物館へ。来年9月まで改装中だが、まだ展示物のない空の建物を見せている。 リベスキントの鋭角で構成された床面。天井にスリットを入れることで太陽光を縦に招き入れるしかけ(じつは太陽光ではなくて照明だが)。 ホロコーストタワーでは、台形の壁面のはるか上から、細い縦の光が投げかけられる。パノプティコンとは一線を画す鋭い設計。 帝国議事堂の円に、突き刺すようなユダヤの建築物。 ベルリン技術博物館へ。ここで念願の「皇帝パノラマ館」のミニチュアを見る。ベンヤミンの幼年時代にベルリンにあった、ステレオ写真館だ。実際は25人用だったがここにあるのはミニチュアで10人用。それでも、当時の感覚を味わうことはできた。 外側は回転せず、内側の写真台がごとりと回転する。写真は20枚入っていて、写真台は360度の1/20だけ回転する。眼鏡の上には穴が開いていてそこに写真の説明書きが表示される。だから、写っているのが何なのか知りたければ、眼鏡から顔を離して上の表示を見ればよい。しかしたいていの人はのぞき込んだままだ。 観客は10人だから、右隣の人が見ている写真は次の次に現れる仕組みだ。だから右隣の奴が見ているカイロは次の次に来るだろうし、自分が見たカイロは次の次には左隣の奴が見ることになるだろう。 これまで、ベンヤミンが「ベルリンの幼年時代」で書いていた、25人用の皇帝パノラマ館に50枚の写真、という数字の関係がどうも腑に落ちなかったのだが、これでしっくり納得できた。つまり、当時の皇帝パノラマ館では、写真は一回につき360度の1/50だけ回転し、隣の人の見ている写真は、次の次に自分のところに回ってくる、という仕組みだったことになる。 誰かと見ていると、その人との共有とずれを、つまりエロティックな関係を感じることになる。彼が声をあげて見ている写真は何だろうか。それはいつここに来るのだろうか。自分が息をつめて見ているこのベルリンの100年前の姿を、彼女はいつ見るだろうか。 だから、ベンヤミンが人気のないパノラマ館に入って一人でステレオ写真を見ていたとき、彼は、単に一人であるという感覚だけでなく、共有とずれの不在をも感じたはずだ。ごとりと重たい回転台の音がして写真が右からやってくる。その右からやってきた写真に、誰かが見たという痕跡を見つけそこねること。そして今見ている自分の写真が、誰かに手渡されるのではなく、向こうに行ってしまうこと。皇帝パノラマ館を一人で見るという体験。 皇帝パノラマ館のあるのはロコモーションの3Fで、他に透かし絵やゾートロープなど映画前史の展示が充実している。透かし絵と覗きからくりは数は少ないが質は高かった。特に覗きからくりの、空の表現。 そばでやっているのは、ドイツの自称映画発明者(リュミエールの一年前に「映画投射」を実現していた)、Max SkladanowskyのWinter gardenをフィーチャーした短編。彼のBioscopプロジェクタは、手回しの実に荒っぽい回転をするものなのだが、それを自ら回すスクラダノフスキーの毅然としたカメラ目線がたまらん。 さらにカートゥーン音楽ファンとして見逃せないのが、Oskar Messterの自伝?短編映画。この人はBiophonという音声付き映画を今世紀はじめにすでに作っていたという、日本では知られざる大御所だ。どうやら、彼は、Biophonだけでなく、ドイツの映写機の開発に大いに貢献した人らしく、彼の開発したシャッター同期カムの説明が映画の主な内容だった。Biophonもちらっと出てきたがいまひとつ仕組みが分からず。ドイツ語を勉強しなきゃな。 館内には実物大の汽車をはじめ、交通史、測定史、コミュニケーション史など見どころは多い。が、ミュンヘンのドイツ博物館を見てしまったので、もういいやという気になる。まだ陽は高いが早々に帰る。 帰ってこれまでのまとめ。二葉亭四迷「平凡」。このとっちらかった魅力、作者と物語の関係の自在な転倒に比べると、「ヴィタ・セクスアリス」の生真面目なことよ。 |