朝6時、荷物をごとごとひきずる音で目が覚める。昨日の二人は朝帰りらしい。さっそくコネクタを取り戻しに行く。 雨。 Friedstraァ駅を降り、本屋で独英の電子辞書などを買う。 Marianstraァの森鴎外記念館に行く。ヴェーバーさん、長谷川さんと少し話。「ベルリンは普請中だからベルリンなのね。完成したらベルリンじゃないよ。」とヴェーバーさん。雑誌「鴎外」をはじめ、鴎外文献がけっこう揃っている。鞄に入れてこなかった前田愛の本もあったので、「ベルリン1880」を読み直す。。 帰りに骨董屋に寄り、またステレオヴュワーを買ってしまう。ブリュースター型の大型のやつ。 部屋に戻って、主人に金槌と鋲を借りて、3日前に買ったヴュワーのカバーを修繕し、スライドを入れてみる。 どれも第一次大戦のドキュメントだ。それも政治家や戦勝風景を写したものはごくわずかで、ほとんどは塹壕と戦車と荒れ地と死体の繰り返しだ。 タイトルは手書きのものがほとんどで、年号は1914年から1918年に渡っている。 いまのところ、これがオフィシャルな売り物だったのか、プライベートな写真が混じっているのかはわからない。ただ、撮影者はかなり立体写真に通じた人間だということはわかる。たとえ死体を撮るときであっても、周囲の構図に気を配って撮る。数枚見ただけで、じゅうぶん気が滅入る光景なのだが、奥行きが誘うように配置されてあるので、どうしても見入ってしまう。見入ると吐き気に似た何かがせりあがってくる。 守ろうにも守る家族も風景もない荒れ地の窪みに収まって、泥をかぶっている人々、泥に体をうずめるように眠っている人々が織り成す奥行き、それに憑かれたように、撮影者は白黒の塹壕を何枚も撮っている。屈曲する塹壕の深さと狭さがもたらす奥行きに、立体写真的構図を見ている。 自分の役割はここで写真を撮ることなのだ、この無残な奥行きをもたらす世界を定着させることなのだという意志、ここはそうするしかない塹壕なのだという状況、状況が許すのがそれだけなのだからそうするのだという形で発揮される力。 そして、いま写真を見ながらこみあげてくる嘔吐感は、単にそこに写されているできごとのおぞましさへの吐き気でも、こうやって椅子に座ってのうのうとそれを眺めている自分への吐き気でもなく、この写真を撮らせてしまう抗いがたい力に対する吐き気、状況によってはそうしてしまうであろう自分に対する吐き気だ。 瓦礫の中で何かのビラを読む人々の姿の写った立体写真がある。スレートの山に何人かが腰かけている。スレートがばらまかれた鱗のように折り重なり、一枚一枚の水平面がわずかに露出して段を築いている。その不安定な段に腰を乗せてビラを読む人の、膝の角度。今にも崩れそうな山を、ビラを読む束の間だけでも腰掛けとして使おうとする、その身体が思わず知らず生み出す線の確かさを、写真は浮き出させる。 結局一枚一枚ろうそくにかざして、100枚を見終る。 鴎外を読んで眠る。 |