とりあえず朝から宿探し。Privat Zimmerの斡旋所に行き、近くの部屋を紹介してもらう。 女主人は気さくな人で、部屋も南向きで明るい。まっとうな高さの机がある。窓の向こうで20mはある高い木がそよいでいる。その木の葉ずれが、ここで聞こえてくるいちばん大きな音だ。日本に帰るまでこの部屋を根城にすることに決める。一泊40DM。 「前にも日本人が泊まったことがあるわ」と女主人。「一人はジャーナリストで、ベルリンの上の空って映画があるでしょう、あれに映っていた場所を全部たどるんだって言って」「ぼくもあの映画は好きです」「そう、あの映画は、とてもスペシャルね、わたしにとって」 キッチンには、彼女のプライベート写真がコルクボード一面に貼ってある。壁の壊れた月、1989年11月の日付の写真が一枚あって、彼女の息子や知り合いらしき子供がシャワーを浴びているところだ。この子供は2、3才だろうか。だとすればヴェンダースの「ベルリン・天使の詩」が公開された頃に生まれた子供だ。 「あの大きな天使のいる塔に行ってみようと思っているんです。100年以上前に、日本のある作家がその塔に上った体験をもとに小説を書いているので」「ああ、 Siegess隔leね。」といって、彼女がテーブルを指差すと、ちょうどその塔のデッサンがある。「ファックス用紙にするのよ」奥にはキャンバスが並んでいる。彼女は絵かきらしい。 「あと、ずっと前に日本からビデオのクルーが来て、全部の部屋を借り切って作業してたことがあったんだけど、なにかメモを残していったのよ。誰に向けて何を書いてあるのかわからないから捨てられないんだけど、ちょっと読んでくれない?」 そのメモは物置のドアに貼ってある。「Kさん、小道具のナイフを持ってきて下さい」と書いてあった。 さて、ベルリンの天使を見に行くか。でも、天使の前にまずはFriedrichst.の骨董屋を漁る。このあたりの骨董屋の主人は、自分のところにない品物は「この隣の隣のあのストールに行けばあるかも」などと親切に教えてくれる。おかげで芋蔓式にアタリにたどりつく。 透かし絵の絵葉書を見つけて即買い。さらにブリュースター型のヴュワーを格安で入手。他に手帳型のライン川のパノラマなど。いやあ、いいところだ、ベルリンは。もう一つすごくいいヴュワーがあったが、時間切れ。また明日来よう。 Friedrichst.を南に下ると、かの有名なウンテル・デン・リンデン通りに出る。 「菩提樹下と訳するときは、幽静なる境なるべく思はるれど、この大道髪の如きウンテル、デン、リンデンに来て両辺なる石だゝみの人道を行く隊々の士女を見よ。」 という「舞姫」の一節を読んで、よっしゃ「見よ」て言うんやからほんまに見にいったろやないけ、と思った人がどれくらいいるかは知らない。が、少なくとも前田愛は見に来た。鴎外研究者の何人かもじっさいに独逸に来て、「舞姫」の舞台を詳細に検討している。そしてぼくもそれにならって、現場に手がかりを求めに来たというわけだ。 「車道の土瀝青(#アスファルト)の上を音もせで走るいろいろの馬車、雲に聳(#そび)ゆる楼閣の少しとぎれたる処(#ところ)には、晴れたる空に夕立の音を聞かせて漲(#みなぎ)り落つる噴井(#ふきゐ)の水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ緑樹枝をさし交はしたる中より、半天に浮び出(#い)でたる凱旋塔(#がいせんとう)の神女の像、この許多(#あまた)の景物目睫(#もくしょう)の間に聚(#あつ)まりたれば、始めてこゝに来しものゝ応接に遑(#いとま)なきも宜(#うべ)なり。」 凱旋塔、というのが、天使のいる戦勝記念塔のことだ。 「楼閣の少しとぎれたる処」とは、パリセー広場Parises Platzを指すのだろう。その両側には、なるほど噴水がある。そこで、主人公が立ったであろう広場のすぐ後ろに立ってみる。まず、ブランデンブルク門の柱の巨大さが目をひく。背景が分断されて、カンピリオンの丘の柱と同じ効果になっている。見上げると雲の動きがやけに近く感じられる。門の上に乗った4頭だての馬車では、馬の頭が広げた扇子の骨のようにあちこちに向いていて、まるで馬車を中心に一点透視図法を実行しているように見える。 そして、柱の間から、ティアガルテンの並木がこれまた見事な一点透視で見え、その先に凱旋塔 Siegess隔leが絵のように収まっている。 じつは、鴎外の来た当時と今とでは、ブランデンブルク門の向こうの配置はよほど違っている。1880年代当時のベルリンでは、凱旋塔はいまよりずっと門の近く、帝国議事堂前のK嗜ing Platzにあった。塔の天使は門の正面ではなく、南を向いており、戦勝通り Siegestraァを通って塔にたどりつくように道路は配置されていた。 これを全く作り替えて、公園の中心に塔を置き、門と天使との間を長い緑樹帯でつなぎ換えさせたのはヒトラーだ。このナチス時代の改築によって、凱旋塔は移動しただけでなく、柱が継ぎ足されて高くなった。 散歩がてら帝国議事堂へ。ちょうど新装されたドームを見せるべく一般客の登覧を許しているところで、入り口では分厚いパンフレットを無料で配っている。あちこちの会議室を回っていよいよ大会議室を見下ろす円形ドームの下に来る。ドームに沿ってナチズムをはさんだ帝国議事堂の歴史が写真入りでぐるりと展示してある。やはりヒトラーによる議事堂炎上のあたりで人々の足が止まる。 さらに円形ドームには螺旋階段がしつらえてあって、これをひたすらぐるぐると上ることができる。見下ろす旧東側と西側。ぐるぐる回り、見下ろし、東西の統一性を嫌でも感じざるをえない仕組みだ。 ウンテル・デル・リンデン駅まで戻り、地下鉄で宿へ帰る。スーパーで買ったソーセージとサラダとインスタントスープで夜食。 |