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20000821


Weimar



 月曜になり店が開き、マーケットには屋台が並ぶ。しかしなお、断続された街だという感じはぬぐえない。ひとつには、街の中心部ではなく(たとえばホテル・エレファントではなく)、駅に近いところに宿をとったせいだろう。

 駅からまっすぐ南に歩くと、やがてNeues Museum Waimar の横を過ぎ、まず、その前に金色の像にとまどう。何かに対する嫌味かと思えるほど、まるでそぐわない像。

 このNeues Museumのすぐそばに、大ぶりの石を四角く積んだ建築が連なっている。あちこち壁がはげている。喉につかえた小骨のような息苦しさがそこから漂ってくる。はげたままになっていることで、この建物は単につぶすだけではすまない存在であること、つぶせないがゆえにさらしものになっていることがわかる。「Gauforum」だ。

 ヒトラーは、ナチスのモデル都市ワイマールにふさわしい都市景観を作るべく、Neues Museumを起点に、広場を四角く囲む「Gauforum」を立案した。戦前に建設が始まり、大振りな石で構成された巨大で無愛想な建築物は、戦後、今度は東ドイツ体制の下で、1970年までかけて完成した。
 それがこの、街にごろりと置かれた、巨大な違和感のカタマリだ。その気の滅入るほど長い回廊を、少年が三人、スケボーで駆け抜けていく。ごっ、ごっ、と石畳の継ぎ目を低い音で響かせていく。

 ワイマールは、単なる「ワイマール共和国」という、ナチ以前の共和制の象徴ではない。ワイマールはバウハウスを迎え、追い払い(それはナチズムの台頭より前のことだ)、やがてゲーテとニーチェをあがめたてまつるナチズムの拠点となった。街の北には収容所が作られた。戦後、ヒトラーの計画したGauforumは壊されたわけではない。逆に、ソビエトの占領下政策、さらには東ドイツ体制を経て、大振りな石の上に今度は煉瓦が積まれ、よくも悪くも、無愛想で人間を圧する空間を実現してきた。ワイマールの人々はそうした歴史に当事者として関ってきた。

 そして、一度建った建築は、建てた者の意図を離れ、次第に住まう者、使う者の記憶を織り込んでいく。たとえヒトラーの意図で始まり、今は壁が剥げ落ち、継ぎ足された煉瓦をさらしているとしてもだ。Gauforumの窓のところどころに、まだレースのカーテンが見え、鉢植えの花が見える。建築は、人の一生のいくばくかを占める、長い時間単位のできごとだ。建築を壊すことすら、その場に建築の不在を刻みこむ。再構築でも単なる破壊でもなく、建築は、そして場は読み替えられなくてはならない。しかしまだ読み替えるまでの材料が揃っていない。ここは「普請中」なのだ。

 こんな街を歩いていると、時間ではなく、時間の折れ曲がりが突き刺さってくる。それがこちらを落ち着かなくさせる。ゲーテのシルエットが、街のいたるところに貼りつけられ、ぶらさがっている。それで、ますます落ち着かなくなる。守るべき建築も否定されるべき建築も、ゲーテの影に惹かれてこの街にやってきたのではなかったか。
 そして、何の解決もないまま、いきなりイルム川のほとりの優雅な公園に出る。そこにはゲーテの山荘がある。

 旅の倦怠と行き詰まり感がやってくる。ゲーテゲーテゲーテ。ゲーテ博物館は休館、クラナッハのある教会は修復中。アイコンとしてのゲーテばかりを浴びすぎた。塩辛さの中で微細な味を探さなければならないような疲れ。そう、なんでチューリンゲン・ソーセージもスープもやたら塩辛いのか。クノールスープを買ってきて薄めにのばすとようやく塩加減は好みになったが、他の味がとんと遠くなった。

 夕方、カフェで大盛りのサラダを頼んでがつがつ食い、明日はいいウンコを出すことを誓う。

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Beach diary