ゲーテの家 (Goetes Haus am Frauenplan)へ。ここは、ゲーテが改築の設計に携わり、長く住んだ家だ。 扉を開けると廊下、そして階段。この階段が、傾斜が緩やかで妙に長い。踊り場の壁には小さなドームが空けてあり、そこに彫塑が置いてある。が、その彫塑じたいよりも、彫塑を眺めながら歩む時間の緩やかさと長さにまず面食らう。天井の絵も、さほどうまくないように見えるのだが、それが絵のせいなのかこちらの視覚や時間の歪みのせいなのかがよくわからない。 |
中央の部屋に飾られた首のない彫塑と、扇形に広がった階段。強い遠近法の部屋。そこから、反時計まわりにまわり、飾り絵の天井の客間を経て、最後のひめやかな寝室まで。結局ノートに全部の構造を書きつける。 エレベーターの上に虹のバー。はじめは何のことかわからなかったが、陽が陰るのにつれて明るさが変化するので、外光をプリズムにかけたものだと分かる。ツァイス製。 午後2時過ぎ、ワイマールから東へ電車で20分弱でイエナに着く。昔のカール・ツァイスの製品には「Carl Zeiss」の下に「Jena」の名前が入っていることがある。Jena、つまりイエナはカール・ツァイスの街で、この100年の街の発展と紆余曲折は、ツァイス抜きには語れない。 そしてイエナはもう一人、ドイツのダーウィンと呼ばれ「自然の芸術的な形態」を著した、エルンスト・ヘッケルのいた街でもある。すなわち、この街は光と、光をまなざすことで発展してきた。 ・・・なんて書くとさも入念に計画して来たようだが、なんのことはない、一昨日ベッドでLonely Planetをぱらぱら読んでたら「Zeiss」の文字が眼に飛び込んできたので、即座に来ることに決めただけのことだ。そして電車を降りてぶらぶら歩いていたらヘッケルの家がある。なんだ、ぼくにはマストの場所じゃないか、こりゃ。半日回ってベルリンに行くつもりだったのを急遽変更して、宿を取ることにする。 鉄道駅のそばにツーリスト・インフォメーションがないので、いったいこの街をどう歩けばいいのかさっぱりわからない。とりあえず道行く人に「Optische Museumは?」とあちこちで聞いて、ようやくたどりつく。もはや3時半、残り時間はあと1時間半だ。 ツァイスを記念して作られた光学博物館には、期待通り、ところ狭しと顕微鏡が置かれている。特にしびれたのは、オーリアンズが17世紀に発明した双眼顕微鏡の本物が置かれていたこと。視覚心理学者グレゴリーの論文で図を見たことはあったが、本物を見るのは初めて。 当時オーリアンズは、まだ双眼で見ることと立体感との関係に気づいていなかったため、レンズは正しい立体視を生むような角度には設定されていない。ちょうど両眼の視線が交差して奥行きが逆転してしまうような、奇妙な設定になっている。それでも、奥行きが生まれることには変わりはない。その奇妙さはオーリアンズを惹きつけたに違いない。 ここにはツァイス社の業績だけでなく、視覚に関るさまざまなものが展示してあるのだが、特に透かし絵の展示が充実している。およそ10点ほどの透かし絵を、自分でスイッチを押して、ライトを表、あるいは裏から瞬時に照らすこともできるし、フェイドさせることもできる。何度見ても見飽きることがない。世界が淡い光の下で明るみになり、そしてまた一気に黄昏れていく。黄昏れることで、ささいな光が逆に明るみになる。単なる反転ではなく、反転の秘密に関ろうとするこの微細なフェイドを、ベンヤミンを読むときに覚えておこう。なぜなら、「私は、ある日の午後、小都市エクスの透かし絵を見ながら、クール・ミラボーの古いプラタナスに守られた舗石の上で、はるか昔たしかに遊んだことがある、とほとんど思いこんだほどだった」とベンヤミンが書くとき、それはおそらく、ティッシューと呼ばれる透かし絵じこみの立体写真を指すからだ。(*これは間違い。透し絵とは、着色されたガラス式の立体写真を指すものと考えられる。2001.02.28) 単に視点を反転させるだけでなく、あたかも透かし絵を淡い光にかざし、その光量をほんの指先のひとひねりで変化させていく、微細で劇的な変化として、ベンヤミンのアイロニーを読むこと。 博物館であれこれ資料を買い込んでから、ゲーテ・シュトラッセと呼ばれるガラス張りのアーケード(パサージュ!)を抜けると、目の前にどでかい塔が建っている。外層がはがされ、まるで燃え残った廃墟のような黒い壁があらわになっている。気が滅入るような威圧感。いったいこれはなんの塔なのか? 塔の下にあったらしいテナントはもう長い間放置されたままらしく、塔の前の広場は簡易駐車場とスケートボード場で、少年たちが数人、チューブの中を左右に揺れている。 とりあえず、開いていたホテルあっせん所で宿を決め、簡単な地図をもらう。地図には塔の位置が書いてあるものの、その名前が書いていない。ほとんど街のシンボルというべき圧倒的な大きさなのに、なぜ? |