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20000820


Weimar -> Bad Frankenhausen -> Weimar




 朝、バウハウス博物館を見てから、電車でBad Frankenhausenにパノラマを見に行く。
 ワイマールからエアフルトまではまっとうな路線だが、そこからは急に駅舎が古びたものになり、中にはガラスが割れて使われていないものもある。これまた旧東時代のなごりか。途中でさらに乗り換えて、小麦畑の中を単線でガタゴト揺られていくと、遠い山頂にとんでもない金属の円筒が見える。パノラマ館に違いない。

 Bad Frankenhausenに降りると、見事に人ッ子一人いない。駅員もゼロ。日曜ということもあって、通りにも人が見当たらない。見た目は歩いて行けそうな距離だが、駅の地図では、道は山を大きく回り込んでいて、10kmはありそうだ。とにかく、山に向かって歩く。庭でなごんでいる人を見つけては「Wo ist das Panorama?」を連発し、山道に入ると、ハイキングコース風情。結局、40分くらいかかってようやく山頂に着く。向こうから観光バスで乗りつけたらしい団体客がぞろぞろ。どうも列車で来るようなところではないらしい。

 パノラマ館の一階では美術展が開かれていて、鉄のオブジェが並んでいる。そこから階段が回り込んでいて照明が抑え目になっている。これがパノラマ画への入り口らしい。
 階段を上り切ると、突如、船酔いのような奇妙な感覚に陥る。
 すごい。絵が大きく歪んで見える。なぜ歪んで見えるかというと、階段を上がったところが、円筒の端なのだ。通常のパノラマ館では、円筒の真ん中に階段出口が開いていて、絵と観客との間にはオブジェがある。ところがここでは、オブジェはないので、絵に近づき、絵から遠ざかることができる。端から見ると、パノラマ画の歪みはきつくなり、騙し絵のように見える。そこから中央を経て近づくと、映画館の最前列に座ったときのように、視野を大画面が覆う。頭がイタクなる。

 さらに、ふつう、パノラマは中央の観客席を高くして、絵の中の地平線がちょうど観客の目線にくるように作るものなのに、ここでは、絵の下端が観客の目の高さにあたる。絵の中の地平線ははるか上にある。首がイタクなる。

 ありがたく見上げれば、絵は、ブリューゲル・ミーツ・長岡秀星の、ニューエイジ・オカルト風味の農民戦争絵だ。民話というには幻想が過ぎ、幻想というには俗に過ぎ、かといってキッチュというには、あまりに整っている。とりつくしまがない。
 絵はやたらに細かい。あえて似ているものを挙げるとすれば、ミュンヘンのピナコテークで見たアレキサンドリア戦争の絵か。うんざりするほどの兵士の描き込みと、下から上へと遠景を積み上げていく地道な描き方が、似ていなくもない。

 アダムとイブからデューラーまでなんでもありのこのパノラマのひとつひとつの場面を、係員は熱をこめて説明する。それは延々50分続く(普通、パノラマの口上はせいぜい10分だ)。中央には革張りの背なし椅子がいくつも置かれ、係員が大きな手で次の場面を示すたびに、観客は椅子から腰を持ち上げては向き直り、読み取りうる限りの寓話につきあわされる。ほとんどはバスで乗りつけた団体客のようだ。

 このパノラマは70年代から描きはじめられ、東西統一前の89年に完成した。東ドイツ末期の産物だ。パノラマ画に費やされた年月としては最長じゃないだろうか。っていうか、費やされた年月と労力以外の何を誉めろというのだ。描いた画家のヴェルナー・チュルクは、デッサンを見るかぎり、ルネサンス風の人物画や風景画を得意とする人らしい。どんなとんでもない制作過程だったのか知るべく、とりあえずビデオを買う。

 再び人気のない山を下っていると夕立。雨宿りに山腹のホテルに入り、ラウンジでビール。フロントもヒマそうだ。






 帰りにまた単線列車。そぼ降る雨の向こうに、ロール状の麦わらの並ぶ丘陵。もしかしてこれもパノラマ画だったらこわいな。

 ワイマールに戻る。夜、ドイツ語のモンティ・パイソン、ドイツ語のちびまる子ちゃん。そしてなぜかドイツの「MTV SUSHI」。

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Beach diary