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19990821




 Einsielden。朝食のとき、老人が話しかけてくる。ちょうどパンを口いっぱいに入れてもごもごやってたところだったので、あわてて飲み込みながら、日本から来たこと、パノラマに興味があってそれを見に来たことを言う。老人はおじゃまをしたという風に席に戻り、「ほう、日本からだって」と女主人に言う。
 部屋を出るときにまた会ったのであいさつしたら、「会えてよかった」と握手を求めてくる。ほんのわずかな会話でそう言える。隣人の笑み、隣人の握手。ぼくはこの敬虔な場所からとっとと逃げ出そう。幸い下り坂だ。石畳の上をトランクは左右によろめく。
 晴れ。電車からの景色は上々。名前も知らない名山たちが、丘の向こうににょきにょき、丸い頭やら尖った頭を突き出している。Luzern経由でBernへ。駅のホテル案内盤で比較的安いNational Hotelを選ぶ。シャワートイレ共同で60CHF。
 もう、でかいものはたくさん。Kunstmuseumにはクレーの小さな絵が山ほどある。線画の動き。ベルンの教会を描く線。面の境界として線を見いだすのではなく、面にいくつもの線を見いだすこと。円とわからせるのではなく、視線を丸くたどらせること。あるいは丸いということから視線を引き剥がすこと。テクストという線。花袋は平面に執着したが、線について無関心だった。
 クレーが描く父親(1906)。左手の、亡霊のような垂直方向の線の交差。ひげそのものではなく、ひげの塊が、ひげではない線によって再構成されている。
 Der Schopfer(1932)。白い絵の具のつきささるような盛りとしたたり。

 クレーの日記の英語版とドイツ語版を買う。ドイツ語版は読むのが難儀なので英語の方をもっぱら読む。線を選んだクレーは時間を得た。
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 音楽とグラフィックな芸術の力、そのパラレルな関係が、前にも増して意識にのぼってくる。といっても分析はまるでできないけれども。確かなのは、どちらの芸術も時間的だということ、これは簡単に証明できる。クニールで、彼らが絵画の表現について語ったことは正しい。彼らは何か心底時間的なことについて語ろうとした。ブラシの豊かな動きのこと、その効果の発生。


 ベートーベンの音楽、特に後期の作品には、いくつかの主題があって、それは人生の内面を自由に外に注ぎ出させるのではなく、むしろ内面を一つの自足した歌として形作る。演奏するには、細心の注意を払って、表現された精神的内容が他人に対して為されるものなのかそれともそれ自身のためのものなのかを、決定する必要がある。自分は、モノローグの形式に以前にも増して惹かれつつあることに気づいた。
 というのも、つまるところ、われわれは誰も、この大地の上で孤独なのだから。愛のただ中にあるときでさえ。

(The diary of Paul Klee 1898-1918)

 もちろん、クレーと信仰は切り離せない。問題は信仰の有無ではなく、その表れ方だ。信仰は自分の部屋で秘して行うべし。マタイ伝にもそう書いてあるではないか。クレーは丹念に日記を綴り直し、それを秘した。日記を垂れ流す者に、神はヨダレを与えるであろう。

 散歩してたらゴシック調の馬鹿でかい寺院のそばを通り掛かる。中で何かやってるらしいので入る。バイオリンとパーカッションと聖書のことばによる演奏。バイオリンはほとんど倍音だけで演奏をしていて、高い天井から微妙な増幅がはねかえってくる。はじめはエフェクタでもかましているのかと思ったけど、どうやら生で弓をきしらせて倍音を出しているらしい。おもしろい試みだ。Paul Giger (Vl.), Pundi Lehmann (perc.)
 終わってから落ち着いて寺院の中を眺める。正面のステンドグラスがすごい。朝に来ればここから日が差すはずだ。いまは後ろのパイプオルガンが西日に神々しく照らされて、その影を投げている。普通、このステンドグラスの前に鉄格子の柵があって、礼拝堂には聖職者しか出入りできないはずなのだが、この教会にはそういう柵がない。  宗教改革のときに、教会はカソリックからプロテスタントに移行したらしい。たぶんここにあった多くの彫像は、そのとき放棄されたのだろう。

 National Hotelの年代もののエレベーターを撮影。本体は木製。古い鉄板の表示には3 person 240 kgって書いてあるんだけど、紙には2 person 180 kgってある。なぜ一人分減ったんだろ。だいじょうぶかな。
 奥には椅子つき(折畳み可)。外扉は白塗りの鉄格子の戸、内扉は木の格子。扉以外の三方にもガラスがはめてあって、四方が見える。両側には細い鏡。各階の床を通過するたびにがこんがこんと鳴る、うれしいほどアンティックなしろもの。Schindler in Lucern製。何年にできたかは不明。
 一応、外扉と内扉を閉めないと発進しない。ただし、外から呼び出すときは、内扉は閉まっている必要はない。その内扉の開いたままのかごがひゅうっと降りてくるのも、なんだか幽霊が乗ってるみたいで味わい深い。
 ぼくの部屋は5階だけど、エレベーターは4階までしかいかない。つまり5階には機械室があるのだな。屋上にぼこんと機械室をつけて屋根のラインを崩すような無粋な?ことはしないってわけだ。
 0階行きのボタンは取り除かれていて小さな穴が空いている。そして、紐でクリップがつるされている。どうやら、このクリップを穴に押し込むと0階に行けるらしい。このホテルでは1階まで階段でのぼらせてフロントを必ず経由させるために、こんな工夫をしているのだろう。それにしても乗るたびにそのクリップを使いたくなる。

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Beach diary