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20020920







 六時に起きて外を見る。雲は厚い。一日おとなしく部屋にいたいところだが、あいにく移動日だ。
 広場の向かいに時計塔があって、15分ごとに涼しい音を鳴らす。それが毎回聞こえて、夢を何度も区切る。少しずつ色の違う絵の具を重ねるように(クレーだ)登場人物が重なりながら、浅瀬を歩くような夢が続く。湖水のゆるやかな波。音の寄せる時刻。結局8時過ぎに起きて朝食。部屋に戻ってポルトガル語のCDを聞きながらパッキング。外は雨になった。

 チェックアウトしてそのままレストランでコーヒーを飲みながらノートを読む。雨はさらに強く、時計塔の音も分からないほどになる。


 昼食を食べ終わってひと歩きすると、湖の向こうにわずかな晴れ間。これはインタラーケンへのラストチャンス? というわけで電車に飛び乗りInterlaken Ostへ。トゥーンからは30分足らずで着く。二階の展望席には高校生らしき一団が陣取っていて、ハッパを回している。たぶんふかしているだけなのだろう、煙が二階いっぱいに蔓延して、まるでアムステルダム駅だ。
 駅を降りると、向こうの方に、すでにとんでもない山が見えている。すでに午後3時半を回っているし、空の向こうからは雲がやってくるようでもある。無難なところで標高の低いGrindelwald行きを選ぶ。




 一駅過ぎると、列車は山間に入る。そばの川面からは蒸気が立ち、両側のとんでもない山の向こうから、さらにとんでもない山が現れる。退路を閉ざすように空から雲が降りてくる。
 Zweilutschinenで線路は二つに分かれる。どうも収容所は二つあるらしい。こちらは低い方だ。山と山の重なりの、いちばん深い切れ込みの部分を列車は進む。このまま先細りかと思ったら少し開けて、また細くなる。この車両に客は3人しかいない。

 ようやく終着駅に降り立つと、意外にも人はたくさんいた。こんなに遅くに到着するマヌケが少なかっただけで、上には早くからたまっていたというわけだ。そして日本人がとても多い。みんな写真を撮って楽しそうだ。駅の向こうには「日本人用観光案内所」がある。どうやら日本人の収容施設らしい。
 
 案内所で、「1,2時間で散歩できるルートを教えてください」と言って、いくつか教えてもらう。雲行きはいよいよあやしい。そういえば山に来るというのに雨具も持たずにきた。せいぜい軒先を借りることのできる道をたどろう。
 郵便局の上を見上げると、ホテルやヒュッテが点々としているらしいので、とりあえずそこを上ってみる。勾配は意外にあって、ものの10分ほど歩くと、駅ははるか下になり、ずいぶん見晴らしがよくなる。ときどき振り返ると、線路をはさんで反対側に、ゆるやかな牧草地の傾斜が波打っている。左手は高い断崖で、その向こうに遠く、扇形の領域がまるで鉱物のように青白く底光りしている。

 とんでもないな。

 振り返り振り返りするうちにどんどん雲は低くなってくる。しばらく立ち止まって雲の動きを見ると、右の断崖のあたりで上り下りの電車のごとく行き交っている。牧草地を正面にしてみると、右と左と手前に、つまり明らかにこちらに向かって広がっている。道の角に上がって来た男がやはり立ち止まって雲を見ている。ひと雨くるらしい。

 軒先の広い建物までと歩くうちにもう体にまといつくような霧雨が降り出し、軒に逃れたところで大降りになった。山はすっかり隠れてしまったが、牧草地はまだ見晴らすことができる。双眼鏡を持ってきたことを思い出して取り出し、わずかに雲の隙間に見えている山肌を頼りに眼の幅と焦点を合わせる。
 牧草地を覗くと、いきなり視界に灯りが入った。それがゆっくりと傾斜を移動していく車だとわかるのに少し時間がかかった。車は何度もカーブを切りながら、こちらを目指しているようでもあり、まるで違う方向を目指しているようでもある。なんだかアメリカにいるようだなと思う。雲は次々とわいてくる。今日はもう、晴れ間を見ることはなさそうだ。雨がおさまったのを見計らって、牧草地を見ながらゆっくりと降りる。

 駅に戻るとちょうどInterlaken Ostに行く電車が出るところで、車掌にうながされるまま飛び乗る。列車は大降りの雨のカーテンをいくつもくぐり抜け、後ろを見ると、もうどんな山が隠れているのかわからなくなった。
 インターラーケンから湖岸沿いを列車は走る。暗い空の端々に薄い赤が現れて湖水を照らす。トゥーンに着くと夜の7時。荷物をとりにホテルに戻って下のレストランで夕食。今日は三食ともこのレストランだな。メインに添えられたじゃがいもが初めて見る熱帯の果物のような大きさをしている。それをゆっくり切り分けながら食べて、ウェイトレスとまた少し無駄話をして、アウフヴィーダーゼーン、石畳を鳴らして駅へ。

 ベルンに着いたら透かし絵のような満月が出ていた。

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