さすがに高いホテル(とは言ってもワルシャワよりはずいぶん安い)だけあって朝食は充実。BGMもウィー・アー・ザ・ワールドでないので助かる。
まずは、街の東、鉄道を越えたあたりでやっているという蚤の市を攻める。子供が何人も立って教科書を売っているので驚く。そういえば明日から新学期だ。だから、教科書を中古で安く売り買いしているということか。
思ったほど絵葉書屋はなかったが、土地柄か、ソ連もの(レーニン絵葉書など)やナチものがあれこれあった。こちらが日本人と知って、店主が「Japan Calling」というパンフを出してくれた。1940年に向けて日本国有鉄道が発行したもので、日本のホスピタリティとともに、万国博覧会やオリンピックの開催がうたわれている。この、紀元2600年に向けた催しは、結局どちらも実現しなかった。
チャルトリスキ美術館へ。入口が狭いので小さな家くらいかと思ったが中はオランダ、フランドル派の絵画をはじめかなり充実だった。呼び物のダヴィンチ「白貂を抱く貴婦人」は、やや手前の柵が遠かったが、人の気配のほとんどない状態で静かに見ることができた。貂の右肢の筋肉が妙にもりもりしていて、マリアの抱くキリストが妙に隆々とした筋肉をしているのに似てるなと思う。
それにしても、18世紀のポーランド貴族の所有物というのは、なんともロココというか乙女チックだな。武具の優雅な曲線やら服からのぞくレースのひらひらやら。なんというか、豪華だけどちゃらちゃらしてるのだ。ハプスブルク家の重さからまぬがれている感じもする。なるほど、こういう趣味がシノワズリの扇子の軽さ、蝶よ鳥よのエキゾチックな浮遊感へとつながるのか。どうもポーランドに来てから、思わぬところに東洋への抜け穴を感じる。
昼はBarでまた軽く済ませて、トラムで日本美術・技術センターへ。磯崎新建築は、大石を並べる共産主義建築を換骨奪胎したような作り。石は縦に積まれ、磨かれてない石を何列かおきにはさんでテクスチャに変化をもたせている。その石は屋根の稜線によって波打つ。ヴィスワ川の対岸にはヴァヴェル城と向かいあう格好。
展示されていたのは、何千点もあるというコレクションのごく一部だったが、広重の版画は刷りがよくて目の保養になった。有名な「庄野」の坂に降る雨は、手前の林と向こうの林の間で煙って、刷師の細かい技がよくわかったし、「平清盛怪異を見るの図」の、あちこちにガイコツを浮かべるだまし絵技法も、かなり微妙なことがわかった。
テラスでなごむ。一枚の葉が、まるで小さなヘリコプターのようにテーブルに落ちてきた。手にとってみると、葉は紅葉ほどの大きさで、先が三つに分かれていて、葉の基部に種子がある。落としてみると、これがおもしろいほどくるくる回る。
はてと思って見上げると、風が吹くたびに、そばの樹からいくつものヘリコプターナッツがせわしなく回りながら降りてきて、平たいテラスの床に音を立てて着陸している。
夜はハンガリー料理屋。例によって、相方と二人でスープとメインを分ける頼み方。ビールは別々。しめて50ズォチくらい。