のぞきからくり「幽霊の継子いじめ」見聞記

その3

細馬宏通

透かし絵の技法

 実際の中ネタを拝見して驚いたのは、その透かし絵技法の精妙さだ。

 のぞきからくりというと、その押し絵の迫力がもっぱら強調されるきらいがあるが、じつは透かし絵の技術も見逃せない魅力のひとつである。
 その歴史は古く、スクリーチ(1996/1998)は、京伝の「御存商売物」(1782)に収められた「おらんだ大からくり(のぞきからくり)」の図にそえられた説明に、すでに透かし絵技法が読みとれることを指摘している。

京四条川原の夕涼みのてひ、これも夜分のけひへとかはり、つらりつとひがとぼります
しゆびやうおわりますれば、おなごりおしやうはございまするがそうようさまへのおいとまごひ、なんとよいさいくでござりましよう (山東京伝「御存商売物」1782)

 つまり、のぞきからくりの最後に、四条河原の光景を夕方から夜へと変化させたらしいのである。描かれた装置を見る限り、特別に照明を調節するための工夫は見あたらないが、もしガラ箱の上の障子を何かで覆ったなら、手軽に手前の証明を落とすことができ、後ろからの灯りで透かしが目に鮮やかに浮かび上がったはずである。
 (スクリーチはこの他に、絵の裏側の板を引き抜く工夫があったことを挙げているが、絵からは確認できない。が、少なくとも、手前の照明を落とすだけでもじゅうぶんな透かし効果が得られたはずである。)

 1782年という年代は世界の透かし絵の歴史から見ても驚くべき早さである。Verwiebe "Lichtspiele - Vom Transparentbild zum Diorama -"によれば、ただの絵を透かして見ることから、絵に切り抜きを入れたり裏側に彩色を凝らした透かし絵が現れ始めたのは1780年頃のことであり、この後、透かし絵を大がかりに用いた「ジオラマ」がダゲールによって上演されるのはさらに40年後の1820年代である。
 スクリーチの説明をとるなら、まだジオラマが現れる前から、日本に透かし絵が輸入されていたばかりか、単なる輸入品ではなく和風にアレンジされたものも出現していたこともわかる。その装置では、和風の障子を使った微妙な透過光が使用され、京の四条河原町というオリジナルの中ネタが描かれ、おそらくは和紙か何かに透かしがほどこされていた。

 では、巻町ののぞきからくりで、どのようにこの透かしが実現されているかを見ていこう。
 まず、絵は和紙に描かれており、前面の絵のあちこちに細かい切り抜きや針穴が開いている。絵の裏は真っ黒く塗りつぶされているが、これは裏から当てた光を開口部のみで通し、絵には通さないための工夫であろう。さらに、開口部には裏からパッチ状に当て紙がされていて、この当て紙の裏に、赤や青の彩色がほどこされている。裏に彩色することで、表から見るととほんのりとその色が透けて見え、さらに裏から光を当てるとぱっとその色が浮き出たせる工夫だ。

 現在の光源は電球であるからその光は安定しているが、もともとは灯明などが光源だったはずで、その光のゆらめきは、切り抜かれた灯火の光のゆらめきに重なり、いっそうの現実味を与えたに違いない。

 今回の上演では残念ながら、前面の照明を調節する工夫は省かれていたため、透かし絵の効果はさほど明らかではなかった。そこで、土田さんにお願いして、ガラ箱の上にさがった電球を切っていただいた。すると、そこには驚くべき夜の光景が浮かび上がった・・・



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