ここでは、日本語で読める最近の絵はがき本の中から、とくに絵はがき自体に注目したものをいくつか紹介する。下記にあげたもの以外にも、絵はがきをテーマ別に集めたポストカード・コレクション本も数多く存在するし、明治・大正期の絵はがきは写真資料としてもしばしば流用されるため、いわゆる写真集や歴史本も広い意味では絵はがき関連本である。以下のリストは網羅的なものではなく、あくまで絵はがき文献のごく一部であることをお断りしておく。
美しいカラー図版とともに、著者の豊富で多彩なコレクションが堪能できる一冊。明治・大正期の文芸への目配りもバランスよく織り込まれており、見どころ、読みどころが多い。
鏑木清方、浅井忠、藤島武二など、明治期に絵はがき画家として活躍した作家24人についてコンパクトな記述がなされている。小本、モノクロながら、その内容は充実しており、明治期の美術界と絵はがき界の動向をつなぐ良本となっている。
風景絵はがきや事件絵葉書の一枚一枚を吟味しながらその背景を考えていくエッセイ集。レジャー、イルミネーション、飛行機、万博など、著者の得意とする分野が絵はがきを手がかりに縦横に語られていく。朝日新聞大阪本社版に連載されていたこともあって、関西の絵はがきが多く集められている点も特徴。
柳田国男が旅先から家族に宛てた絵葉書集。文面もことごとく文字おこしされており、簡素な文面の中に、旅先での第一印象がすばやく定着されているさまが読み取れる。絵はがきの図像に矢印や書き込みを入れる「ここにいます」タイプの絵はがきも数点含まれており、個人的に楽しんだ。
氏の豊富な絵はがき・古写真コレクションが駆使された東京各地の風景写真集。この本の楽しさは、これらの写真の撮影されたひとつひとつの場所を再訪し、現在の風景と比較しているところにある。古い絵はがきに写し込まれたわずかな遺構のあとを手がかりに、過去と現在がぴたりと重なるときの、えも言われぬ感覚が体感できる。
一枚のさりげない風景絵はがきをきっかけに、それが写された場所まで旅してしまう、絵はがき漫歩。路上観察で培われた細部への目配り、道草の楽しみが読み進めるほどに伝わってくる。国内のみならず、パリの大絵はがき市、CartExpoへの旅も収められている。西編もどうぞ。
セットで売られる観光絵はがきの中にまぎれこむ、なんとも中途半端な風景もの。演出過多によって、名所の本質とは別の世界に飛び立ってしまったもの。画面の隅々に眼を配りながらこれら「カスハガ」の魅力を考察する本書は、絵はがき本でありながら、あたかも秘宝館のような妖しい輝きを放っている。
外骨の膨大なコレクションが時代や分野を超えて、一二三、いただき、ならぶ、七曜といった奇妙な符丁のもとに次々と絵葉書が配列されていくのを観るうちに、底抜けの魔術にかかった気分にさせられる不思議な書物。そして、この配列の妙じたいが、「絵葉書世界」の表裏の妙につながっているといつしか気づかされる。
ひょんなことから瀧の絵はがきを集め始めてしまった著者の、13000枚に及ぶ瀧絵はがきが、大瀑布のごとく読者の目に叩きつけられる。瀧の絵はがきというより、絵はがきの瀧。集めるという行為の大いなる謎は滝壺のごとく、ますますえぐられるばかりである。
冒頭で、稀代のコレクター喜多川周之氏のコレクションを取り上げながら、メディアとしての絵はがき論の可能性が論じられる。短いが示唆に富んだ論考。
柳田国男の本に較べると、こちらは、より観察の態度に溢れており、帰国後の資料にすることを想定した考現学的内容。絵葉書という小さな画面に旅先の観察の断片が次々と書かれ、投函されていく。あたかも配達式京大カードをみる風情。
外骨の発行した「絵葉書世界」の魅力が凝縮された一冊。絵葉書の裏表といういっけん単純な構造を駆使した外骨のかける謎は、図案のひとつひとつに分け入らせる。一枚一枚の魅力を検討していく巻末の座談も楽しい。