この絵葉書の構図に心ひかれるのは、写真の左側からひたひたと押し寄せる水の気配のせいだろう。カメラの左手からは湖が道に向かって入り組み、危うく鳥居をかすめている。船着き場なのだろうか、鳥居から左に伸びる道は途切れてそこからは水だ。途切れた道から上がって鳥居をくぐる者、鳥居をくぐって水に入る者、この世の者ではない者が画面を横切る気配がする。 カメラのすぐ下からも道が伸びていて、人々が並んで鳥居の方に向かうところだ。人々は画面を縦に動き、やがて鳥居で人ならぬ者と出会うはずだ。鳥居をくぐった向こうで鉄道の線路はカーブを切り、山はその行方を隠している。 絵葉書は大正期以前の彦根名勝絵はがきで、中央右に写っているのは大洞弁財天の鳥居。踏切を越えて右手の山を上がると本殿がある。 参拝客は画面左の船着き場から舟でこの大洞港にたどりついた。彦根城の北東側は、かつて大洞内湖(松原内湖)と呼ばれる内湖で、彦根城からの眺め、そして佐和山山麓に並ぶ寺や弁財天からの眺めを形作っていたが、昭和19年から始まった大干拓によって、姿を消した。 この絵葉書を撮った場所からいまの大洞を眺めたら、かつてと現在の違いは、よりはっきりするだろう。実際に大洞弁財天に行き、撮影場所を探してみることにした。絵葉書は人道を見下ろしており、地平線より少し高いところから撮られていることが分かる。となれば、近くに小高い場所があるはずだ。線路沿いに歩いていくと、ほどなく高さ3mほどの築山に行き当たった。元禄以来の南無妙法蓮華経の碑が建っていることから見て、ここが当時から築山であったことは間違いない。上ってから鳥居の方を眺め、絵葉書をかざしてみる。山の稜線、カーブを切る線路、景色の手がかりが写真に重なる。鳥居の角度もぴったりだ。傍らの樹は成長し、背後から鳥居を覆っている。そのとき、それまでは絵葉書サイズだった水の気配はまさに目の前の湖水になり、吹く風はいま水を渡ってきたばかりの湿り気を帯びた。自転車が一台、鳥居に向かって走ってゆく。この風景の中で人は動いている。身体から内湖の存在感が立ち上がり、あらゆる手がかりを引き寄せ始めている。 2000.07.08 → 再訪写真 | 大洞と内湖 |