渡辺直己の歌と日記(その3)

細馬宏通

3.
 『渡辺直己全集』には、昭和12年11月末から昭和13年7月にかけての長い日記が収められています。これは直己が中国に赴くところからその従軍生活の、最初の8ヶ月にあたります。
 中国に渡ってほどなく、12月20日から一ヶ月の間、直己は「山東作戦」の第七中隊第三小隊長として参加します。この一ヶ月の体験は彼のその後の生活を大きく左右していることが、日記からは読み取れます。その装備はこんな具合です。「渡辺直己が肉身の哀惜と悲痛な諦めとをもつて決然支那膺懲の十字軍に参加する紛争は双眼鏡、拳銃、軍刀、写真機、図嚢、鉄兜、防毒面、背嚢、肩が痛む。」
 彼の行軍の足どりを、日記を読みながらたどってみましょう。
 十二月の凍てつく気候の中、砂塵が舞う黄河近くを行軍し、川を渡り、済南まで。足は肉刺だらけになる。道行く先々に残された屍、砲声に銃声、ときに手榴弾の爆破する音が聞こえる。先の部落で日本兵が惨殺された、街で暗殺者が跋扈しているといった噂を聞く。戦いの気配ばかりがあって戦闘はなかなか起こらない。「自分の平常の落着きの上に何とも云へない膜が掩ひかぶさつてゐるんだ」(12/26)。
 厳しい行軍を続け、明けて一月、隊は済南に着きます。そしての15日、済南郊外の倫鎮で、彼は生まれて初めて戦闘を体験します。

 「生れて始めて弾丸の下を馳駆した。感じは別にない。白白とした落ちつきだ。そして物理的法則の中に微かに動いてゐる人間の小さい存在だ。後は英雄らしく笑ふだけだ。七中隊は更に部落掃討。手榴弾と軽機をぶち込んで闖入。傷ついてかくれてゐる老人、女、子供、腹部を銃剣でさされて未だ元気を出して話す少年、窓を破ると出て来て拝んでゐる子供を抱いた母親、男は縛して大隊本部へ、女、子供は許してやる。しかし他の掃討斑はかなり殺したらしい。紅槍匪の部落らしい。しかし掃討は嫌になった。」(1/15)
 直己にとっての戦闘はこの最初のひと月にほとんど集約されていています。1月27日からは天津の俘虜収容所の副官になり、「済南攻略の日々と此処の生活とを比べて余りに隔つた生活の断面に驚嘆」します。もちろん、そこでも、収容所でトラブルがあったり、どこそこの村で反乱分子がいるらしいといった報せを受けて調査にでかけたりするわけですが、幸い、この間、戦闘は起こらない。毎日、猛烈な痒みと痔に悩まされながらも、夜には麦酒を飲み、街に繰り出す。そして憑かれたように写真を撮り、アルバムに貼り付けることを楽しみとしながら、召集解除が来るのを待っている。そんな生活が、日記からは浮かび上がってきます。では、彼の精神はどうだったか。
 戦闘を体験してのちの歌にも、「リーダー」の歌に見られる敵への想像力は、ないわけではない。しかし、その感覚は、がらりと変わっています。

慌しく逃れしあとか[かん]*の上にふかしたるままの薩摩芋あり
(『アララギ』昭和13年4月)

[かん]は火へんに抗のつくり

 「薩摩芋」の存在は「泥にまみれしリーダー」よりもずっと生々しく思いがけない。ここには、教える/教わるよりももっと近しい、人の痕跡の持つ不気味なまでに近しい温度が感じられます。自分にもすぐに食べることができそうな芋が、目の前にある。まるで自分はここに居た人のように、芋の温度を感じている。その、ここに居た人に自分は殺されたかもしれず、その人を殺したかもしれなかった。けれど、その人は逃げてしまい、そこに、間が抜けたような薩摩芋がぽかりと置いてある。

我に逼りし紅槍匪を突嗟に殪せしは歩兵一等兵伝法谷金策君なり
(『アララギ』昭和13年4月)

 「歩兵一等兵伝法谷金策君なり」という、漢字の列なりが示す正確さに、この一瞬のできごとに向ける作者の態度が感じられます。正確さによって、この一瞬は押し広げられ、そこに明晰な意識の住まう場所が生まれます。けれど、その意識の場所というのは、自分の納得のいく論理を広げる場所でもなければ、自分の情動がさわやかに満ちた晴れ間でもない。原因と結果、行為と結果しか、そこにはなく、そこには情動の入る余地はない。「歩兵一等兵伝法谷金策君」という正確さによって、歌の中で敵が倒れる。限定された、行為と結果が直結したものだけが歌を構成している。白々とした歌です。

 この戦闘の体験は、彼の以後の生活に強い靄をかけています。靄のかかった戦争の中にひととき情景が鋭く差し込まれて、そこだけはとてつもなく澄んで晴れている。そういう歌がこの頃から多くなります。

闘争と興奮との吾が意識圏に時に晴れたる蒼空があり
(『アララギ』昭和13年5月)
白々しき興奮の中の忘却と自慰とが吾が戦場心理なりき
(『アララギ』昭和13年7月)


 これらは、歌としては説明的だけれど、直己の当時の心象が正直にこちらに迫ってきます。こうした感覚を踏まえた上で次の歌を読むと、そこに表れている触覚すら、無意識の靄の中に差し込んだひやりとした冷たさとして感じられます。

 凍りたる水筒の水を探りのむ泊頭鎮を過ぎて暮れたる貨車に
(『アララギ』昭和13年5月)



 

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