アルルの朝市。眼の市場。果物、香辛料、布地、玩具、どの店も色の洪水。とりわけ、黄色から土色へのグラデーションと、赤ピーマンから陶器の赤、壁の赤へと落ち着いていく赤の道。落ち着いた色合いの中に、人を狂わせるほどの調べ。狂った人を慰める調べ。
蝉のいるテーブルクロス求めたり
ピーマンの赤去りて漆喰の紅来たる
ゴッホはアルルで収穫の時を迎え、カタストロフに陥った。アルルはさらなる収穫を得るべく、町をあげてゴッホ化している。ゴッホが耳を切ってから
入ったサナトリウムは「Van Gogh
Espace」と名づけられ、写真フェスティバル会場のひとつとなっている。庭にはライラックが盛っている。Tim
Barneyの「血統アレゴリー」(と勝手に名づけた)と、畠山直哉氏の渋谷川他作品群(これはすべて昨年見たものだった)。
写真フェスティバルは町のあちこちで行なわれており、これを回っていけば、アルルの名所や古建築を一通り回ることになる。写真と建築に興味のある人間にとっては一石二鳥のオリエンテーリング。
というわけで、まずはいちばん遠くのアリスキャンプへ。ここは、ローマ期の墓場で、石棺がずらずらと道の両脇に並んでいる。ポプラ並木は炎のように枝を立ち上げている。古寺にはめられたステンドグラスは色浅い。
そのそばの鉄道の倉庫(操車場?)が今回のフェスティバルのメイン会場。今年のフェスティバルでは、中国のコンセプチャルな作家を特集している。オリエ
ンタリズムといわれようがなんだろうが、使えるものは使うずぶとさ。中国=伝統とコピー文化の担い手、という西洋の期待に寄り添い裏切る。なるほど、世界
のアート市場で生き抜く知恵とはこういうことかと思った。
そこに表われているのは、撮ってしまうこと、繰り返してしまうことではなく、撮り繰り返すことで大向こうをうならせようという野心であり、ほとんどの作品には興味が持てなかった。
いっぽう、同じ会場でやっていた「useful
picutres」にはいろいろ考えさせられた。いちばん奥に、行方不明者の情報を求める写真のスライド上映(そして実際にここで情報を求めている)。行
方不明者の写真には、家族写真のフォーマットが借りられている。そのことが、よけいに不明者の不在を訴える。あるいはそのようなフォーマットから姿を消す
ことが、蒸発ということなのかもしれない。そういえば、「蒸発」ということばは誰が考えたのか、人を気化するものすごさ。
写真から行方くらます尋ね人
ネットにつないでみると、なんとwww.12kai.comが使えなくなっている。先方はメールを読んでいないのだろうか。とはいえ、旅の身では複雑な手続きができない。
夜、レストランで15ユーロのMenu。
方形の庭を選びし通り雨
この雨はいずれの雲より落ちにける
こうもりは方形に舞い雲流る
過ぐ雨を積分するやタイル板
それぞれのソルベの甘さ 夜の庭