寝台で何度か目覚め、外が明るくなった頃、3段めからごそごそと這い出し、まだ眠っている他の客に気を使いながらコンパートメントの外に出る。だって、いま走ってるのはアルプスのど真ん中に違いないからだ。窓の外に見え隠れするとんでもない山々。トンネルの中でTexture Time。 Arth-Galdauで乗り換え、ルツェルンへ。駅のインフォでホテルを予約する。Hotel Alpha。駅から歩いて10分。TVもシャワーもない部屋だが、洗面台がある。まず顔を洗う。いい大きさの机がある。本をあれこれ広げられる。そういえばこの2週間、ゆっくり机に向かう時間を取っていなかった。窓の外は中庭で、そこから人の声がする。共同の浴室にはバスタブまであって掃除が行き届いている。1日のつもりだったが4日分宿泊を予約する。 さっそく2月に再開したばかりのブルバギのパノラマに行く。 新装されたパノラマの地上階は、時計のオメガや美容室やレストランなど、高級感のあるショッピングスペースとなっている。気になるのは人気がないこと。午前中とはいえ、観光客がほとんどここにはいない。ガラス張りであることがかえって中の人工的な暗さを強めてしまっている。夏のバカンスを楽しみたい人間には不向きな場所だ。 ロトゥンダの中央にらせん階段があって、その入り口でチケットを差し込む。ああ、ここから暗がりなのだ、そしてじきに明るくなって、そこはパノラマだ、という予感がする。だんだんパノラマずれしてきた自分に気づく。 上って、まず違和感を感じる。絵と実体との間に、大きなギャップがあるのだ。 各人形は派手ではないが、かなり作り込まれた跡がある。軍服のディテールも凝っている。おそらく今回の修復のメインワークの一つなのだろう。それはいい。 しかし、その足元に広がる雪の白さがあまりにまばゆすぎる。絵に描かれた雪とはっきり色が異なっている。そのため、一続きではなく、平面と立体の二つの世界が対比されているように見える。 たぶん、あと10年くらいしたら、実体の雪の色は褪せ、絵となじんでくるだろうか。 絵はどうか。パノラマの焦点は主に二つだ。基本的に、敗走してきたフランス軍の行軍と、それを迎えるスイス軍の行軍が、360度の二つの焦点をなしている。その二つを、山並みがつないでいる。 他のパノラマとは違って、このパノラマからは、360度の広がりが感じられるわけではない。両側の雪山から圧迫感が来る。圧迫感から逃れたくなり、谷筋に眼を移すと、自然と両軍の行軍に導かれ、山間にわずかに見える地平線へと視線は移動する。ほのかに赤い空は暮れ行く陽のせいなのかそれとももしかすると遠い戦火なのか。 戦いは行軍を谷へ谷へとたどらせてきた。山間に点々とする兵隊は、やがてこの谷に降りてこざるを得ないだろう。なにしろそこは一面の雪だからだ。彼らは、雪面からわずかに頭を出している裸木同様、一面の雪に奥行きを与えるため、そこに散在させられているに過ぎない。 ここに描かれているのは、360度をたった二つの焦点に集めざるをえない場所、つまり、国境の町だ。そして国境は地図で見るようななだらかな線などではなく、谷と交差する一点なのだ。そのような点の入り口を持つ国家としてスイスが描かれている。そのような一点に、いま、ぼくは立たされている。 説明は各国語でドラマ仕立て。エンドレステープらしくひっきりなしに流れ続けている。 パノラマの下はちょっとした博物館になっていて、普仏戦争時のブルバキ軍や、当時のスイス赤十字軍に関する資料が展示されている。パノラマに関する資料もいくつかある。 疑問なのは、あちこちに仕掛けられた覗き眼鏡で、なんと両眼で見える映像が全く違うのだ。見ていると両眼の映像がチカチカして、どう見ていいのか非常にとまどう。あるいはそのような視野闘争をひき起こさせる仕掛けなのかもしれないが、それならそれで、両眼情報の融合に必要な手がかりをいくつか盛り込むべきだろう。 図書館が併設されているので問い合わせてみたが、ごく普通の図書館で、ブルバキのパノラマに関する資料は特に置いていない、とのこと。このあたり、どうもパノラマという見世物を生かしきれていない気がする。 帰ってベッドに横になると、ちょうどいい涼しさでたまらなく眠くなり、そのまま18:00頃まで寝てしまう。疲れが貯まっていたのだろう。 昼に買ったチーズとクラッカーで夕食。フロントでコーヒーを頼むと、係が厨房に行って淹れてくれる。じゅうぶん苦く、たっぷり二杯分ある。 中庭はざっと20m四方で、中央はてんでにばらばらの植物の植わった花壇で見上げるような樹が2、3本立っている。夕方、といってもすでに21:00なのだが、子供が二人、さっきから自転車でぐるぐると回り続けている。あちこちに窓明かりが灯り、人の姿が見える。バルコニーでくつろぐ人もいる。こちらだって同じように見えているのだから、お互いにじろじろ見ないことにする、そんな暗黙の了解があるような気がしてくる。 |