"Ayame-san"

Part 3 VII (3)



  二人は再び寺の境内を抜け、見世物小屋の並ぶ通りの端に出た。小屋は池のへりをぐるりと囲み、眼の及ぶ限り向こうまで続いていた。片側には、栄養不足で発育を妨げられたと思しき松、照りつける大いなる暖かな陽射しもあだにして、突き刺すような風に寒そうに身を震わせている。もう片側には、見世物小屋の大きな旗が重々しく、悪夢のような荒々しい文字を書きつけられ、ぐいと張られて竹竿に取りついたそれらは、環付きのボルトと金具をギイギイきしませている。さらに遠く、しだれ柳の向こうには、巨大な赤煉瓦の塔が、派手に空に突きだしていた。十二階あるそれぞれの窓が、鉄のような冷たさで輝いている。
 「この塔ですが、ひとつ登ってみませんか?」と学生はギフォードの方を振り返った。「凌雲閣というのですが、世間では階が十二あるというので十二階という名で知られています。天辺からの眺めは良し、それに中では美人くらべもあるとか。」
 「なんだって?」ギフォードは驚いた。
 「美人くらべです。いやあ!」学生は笑って続けた。「生身の美人がいるというのじゃあありません。東京中の有名な芸者を百人集めて写真に撮って、その写真を二つの階を使って並べてあるのです。客は入場券といっしょに投票用紙をもらって、気に入った女性に投票するという趣向です。一見の価値ありですよ。」
 いつものギフォードなら、こんな話には飛びついて熱狂するところだ。が、いまやただ退屈を感じただけだった。自分のスケッチと、それを持ち去った娘のことが心に去来していた。東京百美人など忌まわしく思われた。ふさぎこんだ気分のまま、夢の中を行くような気だった。
 一人六銭払い、入場料と投票用紙を受け取った。昇降機に乗り込むと、ものすごい速さでかじかむような寒さの中に連れて行かれ、ようよう展望台へと出た。
 おそるべき見晴らしだった。丸い太陽が無情にも沈まんとしていている此方には秩父の山々、それは雄大で重々しい山塊で、ぎざぎざと動かざる壁のごとく、西から北にかけて水平線の上に脈打っていた。目の前には薄くもやった一団の雲が、豪奢な金の欄干ですじのように遮られている。はるか富士の山腹はゆっくりと視界から消えていくところで、そこから投げられた一筋の聖なる赤く巨大な光は、遙か虚空に向かって無へと消えていき、山の残る部分すべてをおそろしい暗闇、陰鬱なる脅威の中に置き去りにしていた。東の地平線は炎と血とで青黒く染まったよう、煙は高く立ち上り街をとらえてのしかかるようだった。北東には筑波山が座礁した巨船のようで、その背中のもっとも隆起した部分をただひとつくっきりと目立たせており、低く山の端で切れ切れになった空は、鉄色の無慈悲な冷たさで見る者をただただぞっとさせた。
 そして広大にひろがる陰鬱で薄暗い海原は何マイルも続き、そのすべてを覆うように風がびゅうびゅうと吹きつけ、蝦夷と氷の海の冷気をその翼にのせて衣擦れの音をさせながらやってくる。そして南の眼下に広がっているのは、もやのない黒い甍の波、その数はうさぎの巣と見まがうほどの多さで、不規則な並びは迷路のごとく、中で一本の道だけが川の流れと対称的な線を描いてその暗色へと達している。そのずっと向こうには湾が広がり、刺すような冬風で小波細波に千切れている。
 男たちが震えて立っている展望台からは周りに向けて巨大な腕木が伸び、そこから大きな電灯が下がっており、そこにつながれた電話線は冬風にあおられて、おぞましくも不思議な音でぶんぶんと、調子っぱずれにきしりながらうなっている。望遠鏡が四五台据えられて、地平線をぐるりと眺められるようになっている。そのひとつは眼下にあるヨシワラの白い屋根や楼閣や尖塔に向けられており、その光景を手中にすれば、まさに銅貨に値する成果が得られるという次第らしかった。日本の分厚い着物を着込みながら寒さに震えている一人の男が、歯をがたがた言わせながら、これをのぞけばオイランが化粧直しをしているところが見えると言い立てている。鞭打つような風に耐えながら二人の男が眼をこらして望遠鏡をのぞきこんだが、やはり男の行ったことは嘘だった。二人とは誰あろうギフォードと学生である。
 「おう!」と学生は肩をすくめて胸のあわせをぎゅっと閉じると「それにしても寒い、ほんとうに寒い!もうじゅうぶんだと思いませんか? 下に行って芸者(singer)たちを見て、お好きな女性に投票でもするというのはどうでしょう?」



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