マスクよりもロジャー・ラビット
「マスク」を見ながら、歯がゆい思いでいっぱいになるのだ。
遅い。あまりに遅い。

「マスク」にはTex Averyファンをくすぐるアイテムがしこたま登場す
る。彼の部屋に飾られているウルフィの置物を見ただけで、ぐっときた
りもする。「スクリューボール・クラシック」のパッケージ、「Red 
Hot Riding Hood」の挿入、壁にかかったダフィ・ダックやポーキー、ス
パイクのクッション、この映画はどう見たって、Tex Averyに捧ぐ、なの
だ。目ん球飛び出しギャグだって、アゴびろーんギャグだって、長すぎ
るリムジンだって多すぎる飛び道具だって、全部Averyギャグだ。ああ、
その大げさな身振りにくどいセリフ、みんなAvery好きゆえなのだな、ジ
ム・キャリー。わかる、わかるぜ、同志っ、って言いたいとこだ。

が。遅い。Tex Averyに比べたら世界が止まって見える。

あからさまにCG合成で仕上げたギャグ画面は、CGのテクスチャが見
えた瞬間に、あ、ここで特殊なことが起こるのね、とわかってしまう。
ギャグが後から追いついてくる。

実写のジム・キャリーも遅い。カートゥーンっぽいポーズで大見得を切
る活人画的なおもしろさがないわけではない。しかしそもそも、彼の動
きはカートゥーン並みに切れがいいわけではない。むしろ「せーの」と
片足をあげたときにわずかに体が揺らぐ、そのスキマに味のある役者だ
(その意味で見得だらけの「バットマン・フォエバー」はぼくは好き
だ)。CGを駆使したAveryギャグとつながると直前の大見得の遅さが際
だつ。胸を開いてハートを見せるときのいやらしい手つきも、ただの実
写なら彼のクド味として味わえるのに、ハートがどっきんどっきんする
CGが続くと、いかにもCGに隷属した卑しい開陳に見える。実写で足
をじたばたさせているところなど、あまりのどんくささにいらいらして
しまう。編集のタイミングも大甘だ。特撮もCG合成もない「ライ
アー・ライアー」の方がよほど騒々しくてカートゥーンらしいではない
か。「マスク」はカートゥーンと人間を、ジム・キャリーという人間上
に合成しようとして(その気持ちはよくわかる)失敗した作品だと思
う。

同じカートゥーンを扱いながら、「ロジャー・ラビット」の楽しかった
こと。「ロジャー・ラビット」では、トゥーンは人間ではなく、あくま
でトゥーンとして描かれている。トゥーンとして描かれた歌姫の色気
に、実写の男がノックアウトされる。それはトゥーンと実写が対等だか
ら成り立つことだ。対等、と、同じ、とは違う。トンネルを抜けて現れ
るトゥーンズ・タウンの晴れ晴れとした明るさは、「マスク」の警官総
踊りのシーンの何百倍も狂っている。それは住んでいる世界(の速さ)
が違うはずの実写とトゥーンが、お互いの速さを保ちつつ、同じ画面で
生きている。それが対等ということだ。

トゥーンと人間界が同じ時計で回り始めたとき、トゥーンは死ぬ。一
方、世の中と頭の中が全く異なる時計で動いていることに気づくとき、
人はもうトゥーンの世界に足を踏み入れているのだ。

(98.5.10. )



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